第40話 祭りの後、幸福な余韻
「たぁ~のしかったね」
夜の街を隣り合って歩きながら、弾んだ声でみづきが言った。
真夏の帰り道。時刻はすでに九時を回っていて、空には月だの星だのが瞬いている。その下を共に歩くみづきには、まだ冷めやらぬ興奮が残っているようだった。
「なんだか、圧倒されちゃった。すごいね、ライブハウスって。ズンズンって、音が芯にまで響く感じがして……問答無用で包み込まれる感じ」
「……そうだな」
「お祭りだって、どこもかしこも賑やかで。屋台とか、子どもたちとか、とにかくみんな楽しそうで。だからあたしも、楽しくなっちゃって」
「よかったな」
「楽しかったんだよ、タツトラ君」
「ああ」
「本当に、楽しかった。それもすっごく」
「……ああ」
「こんなに楽しかったことなんて、ほんと、いつ以来だろ……」
「みづき……」
不意に切なげな声が聞こえてきて、ちらり、と横のみづきを見遣る。頭にはまだ黒猫のお面をつけていて、手にはぬいぐるみの入った紙袋をぶら下げている。
夏の熱気と祭りの賑やかさとライブハウスの興奮にでも当てられたのか、むき出しの、生白い首筋がやけに色っぽく汗を吹いている。妙に静かな顔つきや、どこか落ち着いた雰囲気に、子どもらしからぬ色気を感じてしまい俺は思わず目を背けた。
……まだ、少し胸が騒がしい。ライブの興奮が残っているのか、それとも今のみづきを見てしまったからか、それは俺には分からなかった。
「ね、タツトラ君。『
「ファウストか。昔読んだな。それがどうした?」
「……今、なんかそんな気持ちだなって」
どこか寂しげにみづきが言う。
似たようなことを、昔俺も思ったことがある。楽しい時間が絶頂を迎えた時、その瞬間だけが永遠に続けばいいのに、だなんてことを。
だけど時間なんてものは無情に過ぎ去るものだ。決して止まることはなく、『瞬間』を『過去』へと変えていく。
永遠に今が続くことなんてのは、どう足掻いてもありえないのだ。
だから――。
「……お前が望むんだったら、祭りなんていくらでも連れてってやるよ」
「え――」
そんなことを俺は言っていた。
「楽しい『今』を永遠に続けることはできなくても、次の『楽しい』は作れるだろ。それが終わったとしても、その次、そのまた次って、どんどん作ってくことができるじゃねえか」
「タツトラ君……」
「それにな。μ’sだって月に何回もライブやってんだ。行きたくなったらいつでも言えよ。ミヤだってオーナーだって歓迎するさ。……あー、それにだ」
言いながら、頭をガシガシと掻く。なんだかこれを言うのは気恥ずかしい感じがしてしまうが、それでも俺は言った。
「約束だって残ってるだろ。飯、作ってくれてるお礼、俺まだやってねーかんな」
「えっ、でも、射的のあれは……」
「んなもんおまけだおまけ。いいかみづき。お前は俺に無理やりデパートに連れていかれる未来が待ってるんだからな。せいぜいその時を覚悟してろ。お前がたとえ嫌と言っても、欲しいもんをくれてやる」
「……ぷっ、なにそれ」
言いながらみづきが少し吹き出した。
「すごい無理やり悪ぶってる感が、超笑えるんだけど」
「……笑うなよ」
「ううん笑う。……だって嬉しいもん」
言葉通り、こちらを見上げるみづきの唇はほんのりと弧を描いていた。
日本人離れしたその美貌が月明りに照らされているのを見て、俺は思わず息を飲む。
「……それ、約束だからね? 絶対だよ?」
「おう」
「破ったら、許さないから」
「お、おう」
じっと見つめてくるみづきに俺はうなずく。……許さない、と言った瞬間みづきの瞳が少し物騒に輝いたのは見間違いだと信じたいぜ。
気づいたら、いつもの曲がり角までやってきていた。みづきを家まで送り届ける時の終着点。
そこでみづきは、くるりとこちらを振り返る。それからいつも通り、胸の辺りで小さく手を振ってきた。
みづきが口を開く。
「――お姉ちゃんに手を出すな、ヘンタイ」
そして、思わぬ方向から、そんな声が割り込んできたのであった。
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