第38話 μ’s―ミューズ―
「……お前覚えてろよ」
ようやくみづきと奏から解放された辺りでミヤを睨むと、彼はヘラヘラ笑いながら紙に包んだ串焼きを二本、こちらに差し出してきた。
「まあまあ、そう怒んないでくださいよトラさん。これ、二人にサービスするんで」
「サービスって……金払わなくていいのかよ?」
「もちろんっす」
本心の読めない笑顔を浮かべたままミヤがそう言って胸を張る。
……なんか、怪しい。経験上俺は知ってるが、ミヤがこういう笑い方をするときは大抵なにか落とし穴があると相場が決まっているのだ。
「なに企んでんだ?」
と、試しに聞いてみたところ。
「いや~、僕みたいな健気な後輩を疑うなんてひどい先輩だなぁ~。ほら、二人で食って食って食ってくださいよ」
……あからさまに、ごまかすようなことを言ってきた。
うーん、やっぱり怪しい。怪しすぎる。
だがしかし、俺もみづきも腹が減ってるのは事実で、しかも目の前には食欲をそそる香りを振りまく串焼きがちょうど二本、あるときた。正直、今この状況で食うのを我慢しろと言われたりしたら軽い拷問まである。
ちら、とみづきのほうを見やれば、「おにくたべたい」とその表情が物語っていた。その気持ちは俺もすげえ分かる。肉汁滴るこの串焼きにかぶりついたら、きっとすごい幸せな気持ちになれる。
葛藤する俺の隣で、不意にみづきの腹が「くぅ~」とかわいらしい音を立てた。
「…………」
「…………ほらよ」
「……ありがと」
くいくい、と訴えかけるように服の裾をみづきが引っ張ってきたので、仕方なく串焼きのうち一本を手渡した。
ここまで来たら、もう仕方ない。覚悟を決めて、みづきとほとんど同時に俺は串焼きにかぶりついた。
「っ、お、おいしい!」
そして、みづきが歓声を上げる。
俺も無心で食いながら、心の中で同意の声を上げていた。広がる肉汁に程よくかかった塩コショウ。シンプルな味付けだが、空腹にこれほど効く食い物はないんじゃねえかな。
つまり、肉と塩コショウの組み合わせは神である。
「食ったね? 食いましたね?」
串焼きを平らげると、ミヤが目を光らせて確認してきた。
「……ああ」
渋々うなずく。無意識に、なにを企んでいるのかと俺は身構えていた。
「そんじゃトラさん。串焼きのお代はいらないんで、その代わりにうちのライブ、観に来てくださいよ~」
「……それ、この前一度断った話だと思ったんだがな」
「そっすね。でもまあ、今日こうしてここで偶然会ったのもなにかの縁なんで、ダメ元で声をかけてみよっかな~、なんて」
それに、とミヤが言葉を続ける。
「トラさん、別にこの間だって断ったわけじゃないっすから。トラさんとみづきちゃんの気が向いたら来てくれるって、そういう話になってませんでしたっけ?」
「そりゃあ……そうかもしらんが」
ちら、とみづきに視線を向ける。みづきとライブハウスかあ……みづきの見た目が派手なせいか、妙に組み合わせとしてはしっくり来るような気がしないでもないが。
俺の視線に気づいたみづきが、「んう?」と愛らしく小首を傾げた。
「ね、タツトラ君。ライブって、どういうこと?」
「それは――」
一瞬答えにまごつく俺。その隙を逃さずにミヤが言葉を挟んでくる。
「トラさん昔バンドやってたんだよね。で、トラさんもよく通ってたライブハウスの名前がこの近くにある
「タツトラ君が、よく通ってた……?」
「そそ。トラさんはもう最近はだいぶ足遠のいちゃってるけど、ライブハウスって人の入れ替わりはそんな激しくないからね。当時のトラさんのことをよく知ってる人もたくさんいるよ」
「そうなんだ」
言葉巧みに、ミヤがみづきの興味を引き出していく。
慌てて俺は口を挟んでいた。
「ミヤのライブったって……八時半からなら終わるのはもう九時過ぎだろ? さすがに、学生にゃ遅すぎなんじゃ――」
「それは、タツトラ君が家まで送ってってくれるから大丈夫でしょ?」
だが、俺の心配は当のみづきに否定された。
それからみづきは、ほんのり瞳を輝かせながら俺に訴えかけてくる。
「あたし、ちょっと興味あるな。タツトラ君がよく通ってたっていう、そのライブハウス」
「つったってな……」
「ダメ?」
……あーもうっ。
「みづきが行ってみたいってんなら、仕方ねえなあ」
根負けしてそう返す俺に、ミヤが嬉しそうな笑顔を向けるのであった。
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