第32話 暖房(夏)

 そして、祭りの日がやってきた。


 昼前にやってきたみづきは、昼飯を終えたあと、ダイニングのテーブルの上にノートや教科書など勉強道具を広げていた。


 彼女が食事のあとにこうして勉強をするのは、そう珍しいことではない。万引きをしようとしていた女の子だとはにわかに信じがたいほど、みづきは勉強熱心だ。


 だからこの日も、食器の下げられたテーブルで黙々と問題文に取り組んでいる。


 タバコを燻らせながらみづきのそんな姿を眺めていた俺は、ふと思い立って訊いてみた。


「なんつーか、勉強好きなのか?」


「んー……」


 質問すると、シャーペンのお尻を唇の下辺りに当てながらみづきが唸る。


「別に。好きでも嫌いでもない。ただ、やりたいこととか特にないし、普段遊ぶこともめったに無いし、だから勉強しとけばとりあえず選択肢は増えるかなって」


「ほーん。なんか、随分と利口な考え方だな」


「そーお? ……ま、前はこんな考え方なんて全然してなかったんだけどね」


「そうなのか?」


「うん。選択肢とか、将来とか……そういうの、心底どうでも良かったから」


 あー……。


 確かに、出会った頃のみづきはやけっぱちという感じだったな、と俺は納得する。


 だが、そうなると疑問が残る。


「なんでまた、考え方が変わったんだ?」


 問いかけると、みづきが「うっわ……」とドン引きしたような目を向けてきた。


 納得いかねえ。いや、別に今の普通の質問だっただろ?


 俺がそう思っていると、みづきがボソリと呟いた。


「あー、これタツトラ君のお得意のやつだ……ほんとありえない」


「はあ? なにがだよ」


「自覚ない系だって言ってんの」


「なんの自覚だよ」


「そりゃあ……あれじゃん?」


 みづきはポッと頬を染め、すぅっと俺から視線を逸らすという恥じらいの表情を見せながら、小さな声で言葉を続けた。


「………………………………バカなことすんなって、どっかの誰かに言われたからだし」


「それって――」


 ――俺のことか? そう問いかけようとしたところで、みづきが「わぁーっ」と声を上げる。


「この話やめやめっ。あーもう勉強しなきゃ勉強。わー、ほんと忙しい忙しい」


「そういや、高校生は今頃テスト期間が始まる頃か」


「うちの高校はもう先週終わってるけどね。今週の頭にまとめて返却されたから、今やってるのは苦手なところの復習な感じ」


「そうか。そりゃ、偉いな」


 素直に思ったことを言うと、みづきは「んっへへっ」と照れ笑いを浮かべた。


 そのみづきの笑顔を見ると、俺も嬉しい気持ちになる。


 やけっぱちだった頃のみづきが、少しでも前を向けるようになったなら、本当によかった。


 そんな喜びを噛み締めていると、みづきが「ところで」と話しかけてくる。


「あたしもタツトラ君に前から聞きたいことあったんだけどさ」


「なんだ?」


「……この部屋って賃貸だと思うんだけど、それ、いいの?」


 言いながら、みづきが俺が手にするタバコに目を向ける。


 セブンスターの十ミリ。言うまでもなく、俺がいつも吸っているタバコ。


「あー……」


 そのタバコを口元に運び、吸い、天井に向けて煙を吐き出したところで俺は口を開いた。


「……ま、いいだろ。っていうか、さんざん吸ってきたから今さら気にしたら多分負けだ」


「なにそれ。適当なんだから」


 みづきがバカにしたような目を向けてきたけど、それに気づかないふりをしてタバコの煙を吸い込む。


「……受動喫煙でも間接キスになるのかな?」


「あー?」


 ふと、みづきがぽつりと呟く。


 俺は眉をしかめて言葉を返した。


「間接キス煙ってか?」


「タツトラ君暖房つけていい?」


「……すまん」


 確かに今のは寒かった。俺のおっさん化も順調に進んでいるのかもしれないと、深く反省する俺なのであった。

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