第31話 油断も隙も無い後輩
定時を迎え、俺は作業の手を止めた。
今週は仕事の進みも順調で、今日も残業することなく済みそうだ。工具類を道具箱にしまい込みながら、おやっさんに声をかける。
「おやっさん、お疲れ様です」
「おー、上がれ上がれ」
上の空でそう返してくるおやっさんは、まだ作業の手を休める様子がない。そんなおやっさんを横目に俺はタイムカードを押すと、奥の事務所で作業着から私服に着替えた。
そして荷物を手に取り、事務所をあとにしようとしたところで、おやっさんが工房から顔を出す。
「タツ。最近なんかオメエ、調子いいじゃねーか」
「え、そっすか?」
「おう。顔色もいいしよ、嫁でもできたか?」
「ヨッ……メは、できてねーっすよ」
思わぬことを訊かれ、答える声が上ずったのが自分でも分かる。
おやっさんは「カカカッ」と豪快に笑うと、
「そーかそーか、嫁以外はできたんか」
なんてことを言ってきた。
……くそ、妙なところで鋭いところがある人だ。
「……からかわんどいてくださいよ」
すっと視線を逸らしながらそう返すと、おやっさんがバシバシ肩を叩いてきた。その威力のつえーことつえーこと……こんな仕事をしているからか、齢五十を超えてなおその肉体は壮健であった。
「ま、オメエがしっかりやってくれてんならなんでもいいがな。せいぜい頑張れや」
「……ウス」
「あ、それと、今度わしが使っとるマムシ剤でもくれてやるわ」
励め励め! とガハハと笑いながらおやっさんは作業場に戻っていった。……これから気晴らしに
「……帰るか」
呟き、今度こそ俺は事務所をあとにした。
* * *
事務所を出ると、程なくしてスマホが着信を告げる。
このタイミングで連絡があったということはみづきだろうか? そう思って画面を確認すると、意外な名前が表示されていた。
「おす」
『あ、おれおれ、おれっす』
「切るぞミヤ」
『相変わらず冗談きっついっすね、トラさん。不肖の後輩を蔑ろにしないでほしいな~』
聞こえてくる軽薄な声に、思わずため息が口をついて出る。
通話の相手は蛭子宮之進――つまり、後輩バンドマンのミヤであった。
いったいなんの用事なんだか、と思っていると、ミヤが電話の向こうで口を開く。
『で、トラさん。ちょっと聞きたいんすけど……したんすか?』
「……したって、なにをだよ」
『そんなん、決まってんじゃないっすか~。お礼っすよお礼。愛しのMIZUKI☆CHANへのお・く・り・も・の♪』
「切るぞ」
『わ~、待って待ってくださいよトラさ――』
ピッ。
ツーツーツー……。
「はあ、これで静かに――」
ホッとため息を吐きかけたところで、再びスマホが着信を告げる。やはりというか、ミヤが再びかけてきたようだった。
無視をしてもいいのだが、後日改めて文句を言われるのも面倒くさい。仕方なく画面をフリックして、通話に出る。
『いきなり切るなんて冷たいじゃないっすかトラさん。ほんと、微妙に冗談通じないんすから
』
「それを分かってて冗談飛ばすミヤが悪い」
『ちぇ、ま、そういうこと言っちゃうところもトラさんらしいっすけどね』
内容だけなら不満げだが、声の調子からそうでもないことが分かる。なんだかんだで、俺とこいつの付き合いもだいぶ長いもんだと思った。
……そうだな。お礼でもしたらどうだとアドバイスをくれたのはミヤだし、報告ぐらいはしたっていいだろう。なんだかんだで、気にかけてくれているってのも分かるしな。
「みづきとは土曜日にデパート行ってな」
『お、デートっすか! いいっすねえ!』
「デートじゃねえよ保護者同伴だ」
みづきによってデートということにされてしまったけどな……。
「で、まあ、デパートを一通り回ってみて、みづきのほしいもんが特に見つからないから結局なにも買ってやることはできなかったな」
『はー……そりゃまた、情けない話っすねえ』
「……はあ?」
『それ、みづきちゃんがトラさんになんか選んでプレゼントしてほしかったとかじゃないんすか?』
「どうしてそうなるんだよ。俺がなにか選ぶより、本人のほしいもんくれてやった方がいいだろ、普通に」
『そういうとこはトラさんらしいと思いますけど、自分を喜ばせるために悩みながらも選んでくれた贈り物っていうのも乙女心に突き刺さるなにかがあるらしいっすよ』
「ふむ……」
そう言われてみれば、みづきもデパートで自分じゃなかなか決められないとか言っていた覚えがあるな。
あの時は気づかんかったけど、まさかあれが『だからあなたに決めてほしいナ☆』アピールだったのか? 分かんねえよそれならそうとはっきり言えよ。
ったく。
「女って死ぬほどめんどくせえな」
『や、これに関しちゃトラさんがクソありえないだけっす』
「おい」
『ま、冗談はさておき女子ウケするもん適当に見繕ってあとでトラさんにメッセしとくっす。それがみづきちゃんのウケ悪かったらまた改めて考えりゃいいと思うっすよ』
「……それは、正直助かるな。ありがとな、ミヤ」
『なんの、お安い御用っすよ!』
礼を言うと、気さくな声が電話の向こうから返ってくる。軽薄でお調子者だが、本当にいい後輩だよ。
「で、ミヤの用件はそれだけか?」
『や、これはどちらかというとトラさんに恩を押し付けるための前置きっすね。むしろ本題はこれからでして……』
「……おいおい」
恩を押し付けるって、微妙に怖い響きしてんだが。
いったいこれからなにを言うつもりだよ。ごくりと生唾を飲みながら、俺はミヤの言葉を待った。
『今度の土曜日、駅前で夏祭りがあるって知ってます?』
「ん? ああ、知ってるが……」
『それに合わせて、
μ’sがあるのは駅前だ。夏祭りを行う場所からも目と鼻の先である。
もしかしたら、祭り目当ての客を見込んでのライブでもあるのかもしれない。
「あー……」
先にアドバイスを受けた手前、雰囲気的に断りにくい。
ただなあ……その日はすでにみづきと夏祭りに行くという先約が入っている。軽々しくうなずくわけにもいかないだろう。
『……やっぱ、ダメっすかね?』
「すまんな。予定がある」
『そっすか……。ちなみに予定っていうのは?』
「みづきと行くんだよ。その夏祭りに」
正直に答えると、ミヤは『あー』と声を漏らす。
『そんならしょーがないっすね。ま、それならトラさんとみづきちゃんの気が向いたらついでに寄ってもらうってことで』
「ああ。すまねえな」
『アキさんには、トラさんが浮気したって告げ口でもして憂さ晴らしするんで、大丈夫っすよ』
「……今度埋め合わせするからそれだけはやめてくれ」
『らじゃっ』
そう言って短く笑うと、ミヤの方から通話を切った。
……ったく。
油断も隙もねえ後輩だな、ほんとに。
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