第22話 寒い家
結局、みづきは家に辿り着くまで「そんなんだからタツトラ君は」とか、「それだからタツトラ君なんだよ」とか、「デリカシーがないんだよタツトラ君は」とか、いちいち俺にダメ出しをしながら歩いていた。
終いには、「なんでタツトラ君はそんな風にタツトラ君なんだかなあッ」などと哲学的なキレ方をされた。俺思う故に俺ありです。
ま、そうやって文句を言われるのもすでに慣れている。どうせ俺は口汚い。大人になって必死で直したつもりでも、ふとした途端に
つれない態度のみづきであったが、程なくして家の近くまで辿り着いたところで、彼女はくるりとこちらを振り向いて言った。
「……んじゃね。ここまででいいから」
「おう。気ィつけろよ」
「そこの角曲がってすぐだから、気をつけるもなにもないし」
少しくすぐったそうにみづきが笑うと、背中を向けて歩き出す。
そして、角のところでもう一度振り返ると、
「ばいばい。また明日」
胸元で小さく手を振りながら、そんな言葉を口にした。
「おいおい。休みの日まで飯作りに来る気かよ」
呆れ交じりに俺が言うと、みづきがきょとんと首を傾げる。
「え? 行くよ。……行っていいなら」
「そりゃ別にダメとは言わねえが――」
「なら行く」
また、俺の言葉に被せるように食い気味にみづきが言ってくる。
「行くから」
「……そうかよ」
決然とした口調でそんな風に言われると、今さらになってダメとも言えない。むしろ、そこまで料理の腕を上げることに熱心な姿を見れば感心に思う俺もいた。
なら、ま、ありがたくご相伴に預からせてもらうとするかね。
「分かった。来るなら、好きな時間に勝手に来い。どうせ明日は部屋にいるしな」
そう告げると、みづきははにかむように頬を緩ませ、
「……ん」
と小さくうなずくのであった。
* * *
辰虎と別れたあと、みづきは寒さを覚えてぶるりと肩を震わせた。
最近は、よくこんな風になる。多分、あの口が悪くてデリカシーもない男の隣が、思いのほか温かくて居心地がいいのがいけないのだろう。
それを求めて、近づいて――別れるたびに寒くなる。これは気温や季節に左右されている寒さではない。もっと精神的ななにかであった。
そしてその寒さは、家の門をくぐる時にもっとも強く、大きくなる。
「――――」
みづきの家のある辺りは、立派な装いの戸建てが建ち並ぶ住宅街だ。
母親の趣味らしい、
息を殺したまま門扉を開き、敷地内に足を踏み入れたタイミングで、玄関の扉が開かれた。
「あ、お姉ちゃんっ」
「ヒナ……」
現れたのは、二歳違いの妹である水嶋
「お姉ちゃんおかえりぃ!」
「ちょ……」
陽菜はみづきよりも十センチは背が高い。こうして正面から抱きつかれると、妹の胸に顔を埋める形となって息苦しい上に暑苦しい。
「ヒナ、離れて……っ」
胸を手で押し返しながらみづきがうめくと、陽菜は「えぇー」なんて不満げな声を上げた。
「いいじゃんいいじゃぁーん。スキンシップしようよぉ、お姉ちゃんっ」
「過剰なのは暑苦しいから嫌。お願いだからほどほどにして」
「ほどほどだよぉ」
どうやら、陽菜との間にはスキンシップに関して大きな意見の食い違いがあるようであった。
背の高さが逆転してからも、陽菜がみづきにこうして甘えてくるのは相変わらずだ。それを好ましく思う一方で、自分にはない明るさを持つ陽菜に妬ましさを覚えるのもまた確かであった。
「ヒナは、これからレッスン?」
「うんっ。さっき部活が終わったところでね、夜はこれからスタジオに入るんだっ」
なんとか引き剥がしたところで訊ねると、陽菜は朗らかな笑顔でそう答える。その眩しさに目を眇めるようにしながら、「そう」とみづきは言葉を漏らした。
「あのね! わたし、今度の舞台でとってもいい役もらえたんだよ、お姉ちゃん!」
聞いてもいないのに、嬉々として陽菜は話し出す。
「こんないい役もらえるなんてさ、わたし本当に初めてで。だからとっても楽しみでさ! あ、でも、やっぱちょっと緊張しちゃうかな……うぅ、上手く
「落ち着いてやればきっと大丈夫だよ。ヒナはかっこいいんだから」
「わたしは、どっちかっていうとかわいくなりたかったな」
不満げに言う陽菜の身長は百七十センチを超えている。はたから見れば、みづきではなく陽菜のほうが年上に見えることだろう。
「まあ、これはこれでいいんだけどさ。わたしの憧れはお姉ちゃんだったから」
「……ありがと」
「お姉ちゃんは? まだ、レッスンには行けるようにならないの?」
「あたしは――」
ズキン、と胸が痛むのを無視して、みづきはその言葉を口にした。
「――ごめん。まだ、足痛むから」
嘘だ。一年前に音を立てて断裂した靭帯は、もうちゃんとつながっている。リハビリさえ行えば、またあの場所に戻ることは十分できる。
(だけど、きっとあたしはもう――)
「陽菜。そんなところで油売ってないで、早く車に乗りなさい」
不意に割り込んできたその声に、みづきはハッと顔を上げる。見れば、陽菜のあとから続いて玄関から出てきた影があった。
それは、みづきと陽菜の母親であった。
「あ、はーい、ママっ。じゃね、お姉ちゃん」
スポーツバッグを肩にかけ直し、陽菜が駐車場の方へと駆けていく。その背中を、みづきは複雑な目で、母親はどこか微笑ましげな目で見送っていた。
それから、母親の視線がみづきの方へと向けられる。そこには温かみの色などもはやなく、ただ冷え切ったなにかがあるだけだった。
「今帰ったのね」
「うん」
「家政婦さんが作ってくれたご飯があるから、適当に食べなさい」
「分かってる」
「それとお母さんは陽菜のレッスンを見てくるわ。戸締まり諸々よろしくお願いね」
「……分かってる」
「そう」
事務的な会話を交わすと、あとはみづきには一瞥もくれずに母親は車の方へと向かった。「
昔は、もう少し親子らしい言葉をちゃんと交わしていたはずなのに……と、みづきは思う。しかし、それはもう過去のことで、今となってはどんな会話を交わしていたのか思い出すことさえできない。
途中、母親はふと思い出したようにみづきの方を振り返る。
「そうそう。あなた、最近遅いようだけれど……余計なことはしないでちょうだい。陽菜も大事な時期なんだから」
陽菜。陽菜。陽菜。陽菜。
本当にこの人はいつだって……ああ、うん、でもそんなことはもうとっくに――、
「――分かってる」
「それならいいのよ」
結局、母親はみづきに一片の関心を払うこともなくその場を立ち去ってしまった。
「…………」
無言のままに、家の中に入る。
だけどなんだか靴を脱ぐ気力もなくなってしまったのか、みづきは玄関の踊り場に腰を下ろした。「はぁ……」と、深い溜息が口をついて出る。
「…………」
妹は――陽菜のことは、別に嫌いなわけじゃない。だけど時々、ひどく無神経に感じてしまうときがある。
だから言葉を交わしていると、時おり感情が荒れる瞬間がある。そうなってしまう自分が、みづきは嫌いだ。
そして、母親については――。
「……勉強しよ」
悪い方向に考えが傾き始めているのを感じ取り、みづきはそこで思考を打ち切った。
のろりのろりとした仕草で靴を脱ぐ。
そうしながら、やっぱり思う。――ああ、この家は寒い、と。
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