第21話 ずるいのが悪い
そんな風にして、俺の部屋にみづきが通い詰めるようになった。
毎朝コンビニで顔を合わせて、仕事の後には待ち合わせをしてスーパーへ向かう。そこで買い出しをして、みづきと一緒に夕飯を食べる。
みづきの料理は上手くいくこともあるし、逆に失敗することもある。それでも少しずつ上達はしているようで、その週が終わる頃には野菜の切り方や調理の手際も最初と比べると確かに上達しているようだった。
「しかしまあ……本当に毎日飯を作りに来てくれるとはな」
金曜の夜。みづきを家まで送り届ける途中に俺がそう口を開くと、隣を歩く彼女は「はぁ~?」と髪を揺らしてこちらを見上げてきた。
俺たちの住んでいる辺りは、夏でも夜は幾分涼しい。二人の間を、心地よい夜風が通り過ぎていく。
「タツトラ君がダメって言った日以外は作りに来るって言ったじゃん」
「いや、確かにそう言ってたけどよ。毎日こんなに遅くなってもいいもんなのか、ちょっと心配になってな」
時刻はすでに八時を過ぎている。料理に加えて、みづきは洗い物まですると言って譲らない。だからこんな時間になってしまうのだが、女子高生が街を歩くには夏だとはいえすでに外は真っ暗だ。
こんな中を一人で毎日歩かせるわけにもいかないし、だからこうして俺が送っているのだが……家の人は心配しないのだろうか?
そんな、ごく常識的であるはずの俺の疑問に、みづきはつまらなそうな表情で答えた。
「別に」
「別にってなぁ」
「いてもいなくても同じだから問題ないってこと。家に帰るのが遅くなっても、そのことに気づく人なんてうちにはいないし」
「……そうかよ。それは、深く聞いていい話なのか?」
「んー……」
ほんのりと眉を寄せ、みづきが難しい顔つきになる。それから小さく、「うん」と納得したようにうなずくと、
「そっちはつまんない話にしかならないからやめよ?」
なんて言って腕を絡ませてくる。
……夏とはいえ、この辺りは夜になると幾分涼しくなるほうだ。だが、それでも人間が一匹絡み付いてくれば暑苦しいことに変わりはない。
そう思って絡められた腕を振りほどいたところ、それがみづきの気に障ったらしい。ばしんばしんっ、と肩の辺りを平手で叩かれる。
「いって。は、なに? なんで叩くの?」
「タツトラ君が冷たいのがいけない」
「だって、暑いだろ」
「ほら冷たい」
だから暑いんだって。そんなことを思ってる俺の肩を、みづきが不満を示すように再びばしん、ばしんと叩いてくる。
こんなに叩かれていたら、そのうち俺はビスケットよろしく二人や四人に増えたりするんじゃねえかな。想像してみると普通にキモいので、俺が分裂する前にぜひとも叩くのをやめていただきたい。
そんなことを考えていると、『ばしん、ばしん』が不意に止む。俺が分裂しそうになるのをみづきも察したのかと思ったが、横目で彼女の様子を窺ってみるとどうやらそうではないらしい。
なにやら、口元をもにょもにょと居心地悪そうに動かしている。なにかを言おうとして飲み込んだような、そんな顔。
「んだよ。変なツラして」
気になってそう訊ねてみれば、今度は分かりやすく「ムッ」と唇を尖らせた。
「うっざ。変な顔じゃないし」
「へーへー、すんませんねえ失礼で。……で? そっちこそ、妙な遠慮とかするんじゃねえよ」
「遠慮なんて……」
「してるだろ。言いてえことがあんなら素直に吐けよ。ガキが妙な気ィ遣うんじゃねえ」
俺の言葉に、みづきが眦をキッと釣り上げる。
「っさいなあ。子ども扱いしないでよ」
「――ククッ」
あるある、そういうの。子どもが大人相手に噛み付く時の常套句。俺も何度も口にした。俺はまだまだガキじゃねえって。で、大人になって理解した。ガキじゃねえと喚き立ててるうちは全然ガキのままだって。
いつかみづきも、同じことに気づくんだろう。そう思うと少しばかり苦笑を漏らしてしまうが、それを見咎めたみづきが再びおっかない目を向けてきた。おお美人、こえーこえー。
「そんで?」
苦笑をしまい込み俺はそう促した。
「なんか、言おうとしてたんだろ」
「それは……そういうんじゃないけど。ただ――」
「ただ?」
「――なんか、悪かったなって」
「悪いって何が」
「そっ……それは、その」
夜道でもはっきりと分かるぐらいにみづきが顔を真っ赤に染める。最近気づいたのだが、こいつはハーフ顔で色白だから頭に血が上った時にそれが分かりやすい。照れたり、怒ったりした時に、それこそ頬は熟れたリンゴのようになるのだ。
「夜さ。こうして送ってくれんのは、嬉しいんだ。嬉しいんだケド、でも……面倒じゃないかなって。タツトラ君が」
上ずる声でみづきが告げる。両手は不安げに、服の裾をぎゅっと掴んでいる。
……ったく。こいつは、そんな下らねえ心配してたのかよ。
みづきの頭を、軽くぽんぽんと叩いてやる。そうしてやりながら、なんとなく俺は、昔奏にもこうしてやったことがあったな、なんてことを思い出した。
ちょうど、あの時の奏も今のみづきみたいな目をしていた。迷子になって不安がっている――そんな子どもみたいな目。
「タツトラ君……?」
少し掠れた声で、みづきが呟く。そんな彼女に、俺はこう言った。
「ったりまえだろ。んなもん、面倒に決まってる」
「……やっぱ面倒なんだ」
突き放されたと感じたのかもしれないな。寂しげな目で、そんな言葉をぽつりとこぼすみづき。
だけど、俺は別にそんなつもりでさっきの言葉を口にしたわけじゃない。こうしてわざわざ家まで送り届けるのは確かに面倒だよ。面倒だけど、でも――、
「夜道を一人で帰らせるなんてことできねえだろ。お前、可愛いんだしさ」
一人で帰らせたりしたら、
絡まれてるみづきを想像すると……胸糞が悪すぎて、夜も眠るどころじゃない。
そんな心臓に悪い夜を過ごすなんて冗談じゃない。たとえみづきが嫌がったって、俺はこいつを一人で帰らせるつもりはないね。
「~~~~~っ、お、お前なんて人知らないもんっ」
動揺を隠しきれない声を上げながら、顔を背けたみづきが再びばしんばしんと俺の肩の辺りを叩いてくる。
景気よく振るわれるその攻撃は、さっきとは比べ物にならない威力だ。っていうか、いや、おい、これって……。
「――待て待て、ちょ、強くね? 痛い、痛いって!」
「るっさいなあっ。タツトラ君がずるいのが悪いんだもんっ。バカなの? バカなの!?」
「は、はあ!? バカっていったいなんのことだよ!」
「それが分からないからバカのアホの鈍感なのっ。――てゆーかさあ」
非難するような、それでいて妙に恥じらってるかのような目をこちらに向けたみづきが、囁くような声で問いかけてきた。
「……今の、他の女の子にも言ってたりとかしないよね?」
「はあ? 今のって、どれのことだよ」
「だ、だからそれは、その。か……わ、いい、的な、ほら、その――なんでもないしっ」
なにいきなり不機嫌になってんだよ。
「はーあ? いや、言うならちゃんとはっきりとだな……」
「だからなんでもないっ」
「んだよ、俺はただ言いたいことあんなら素直に――」
「なんでもッ、ないッ、しッ!」
「お、おう……」
なんでもないなら、そんなキレんなって。
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