第17話 ほんとは好き

「……んっへへっ」


 辰虎の部屋をあとにしたみづきは、スマホを取り出すとだらしなく表情をにやけさせた。


 先ほど交わした『約束』を思い出すと、ついつい頬が緩んでしまうのだ。


 しかも、約束を交わしただけじゃない。辰虎と連絡先の交換までできてしまったのだから、にやけるなという方が無理な話である。


 もちろん、そんな隙の大きな表情を辰虎の前で見せたりするつもりはないのだが……。


「だって、そんなの恥ずかしいし」


 今みたいに、だらぁ~っとした顔を見られたら、照れくさすぎて顔から火を噴きだすかもしれない。そしてきっとそのまま燃えて死ぬ。絶対そうなる。焼けて死ぬのはきっと物凄く苦しいので、できれば避けたいところであった。


 まあ、苦しくない死に方ならばいいのかと聞かれれば、今のみづきは首を横に振るのだけれど――。


「はぁ……」


 ふと、ため息をつく。約束を交わし、連絡先の交換までして少し浮かれていたけれど、自分のした発言を不意に思い出してしまったのだ。


 心にもない、照れ隠しで放った「大っ嫌い」という言葉は、言った自分ですらびっくりした。本当は、まるで反対のことを思っている。……どう思っているのかを具体的に考えようとすると、このままごろごろと地面の上で身もだえしそうになるのだけれど。


 みづきにとって、辰虎は恩人であり、唯一自分を心配してくれる大人であり――言葉にできない想いを寄せてもいる相手だ。


 これが恋愛感情と呼んでいいものかどうかは、まだ本人でも分からない。そもそも、色々あって友人と呼べるような相手もろくに作れなかった彼女は、対人経験が人と比べて圧倒的に少ない。


 だから自分の感情にちゃんとした言葉を与えることに慣れていない。それでも――二ヵ月に満たない関わりだとしても、辰虎が特別な存在だということは認識していた。


 そんな相手に、「大っ嫌い」はないだろう、「大っ嫌い」は。


「あーもうっ」


 整理できない感情やら後悔やらが、みづきの口から迸る。


「あ、あ、あたし、よりによってなんてこと言っちゃったんだろう……うぅぅ~っ」


 道の真ん中で、思わず頭を掻き毟りながら喚く。だが、ちょうどそこを通りかかった通行人から「ギョッ」とした目を向けられてしまい、みづきは慌てて取り繕うような愛想笑いを顔に張り付けた。


 それから足早にその場から立ち去りながら、「タツトラ君のせいで変な目で見られちゃったじゃんっ」と口の中でもごもごと毒づく。もしこの場に辰虎が同行していたならば、「いや、完全に自業自得じゃねえか」などと無粋な突っ込みを入れてみづきに足を蹴っ飛ばされていたことだろう。


 いや、今は辰虎に責任転嫁している場合じゃない――しばらくしてそのことに気づいたみづきは、慌ててスマホを取り出して登録したばかりの連絡先を呼び出して、チャット画面を表示する。


 それから、記念すべき初メッセージはどんな内容にしたものか、と必死で頭を巡らせる。桃色の髪の毛に彫りの深い顔立ちで見た目は完全にハーフだが、これで国語の成績にはけっこう自信がある方なのだ。理数? 聞くな。


「えっと、えっと……」


『辰虎様。メッセージの方でははじめましてでございます。平素は大変お世話になっております。さて、梅雨明けを迎え近頃は晴天が続く中、辰虎様はどのように――』


 入力している途中で気づく。どう考えてもこれはメッセージで送るような内容ではない。あまりに堅すぎて、送られた方が逆に恐縮してしまいそうである。


 ならば、と一度入力した文章を削除して、みづきは再び文面を組み立ててみる。


『やっほー☆ 初メッセよろ! あ、えっとねー、タツトラ君のこと、実は全然キライじゃないヨ? むしろ……って、これは次に会った時に教えてア・ゲ・ル(はぁと)」


「……いやこれはない。絶対にない」


 どう考えても、これはみづきのキャラではない。ここまでキャピキャピしてたらもはやギャルだ。入っている血のせいで見た目は派手だが、みづきはむしろああした手合いとは対極の性格をしている。


 だけど、じゃあ、今さら自分らしい内容ってどんなん? なんて考え始めると、五段階評価で四と五を行ったり来たりしているみづきの成績でもなかなか答えを導き出せない。


 だからといって、スマホでのメッセージのやり取りについて助言を求められるような相手もいない。いるとするなら、まさに今、メッセージを送ろうとしている相手ぐらいだ。


 そうやってみづきが文章を書いたり消したりしながらうんうん唸っていると、不意にスマホが「ポーン」とメッセージの着信を告げる。


「わっ」


 びっくりしてつい、スマホを取り落としかける。空中で何度かお手玉しながらようやく落とさず確保したみづきは、ホッと一息つきながら画面を確認した。


 するとそこに表示されていたのは、


 タツ:よろしく。辰虎だ


 という、簡素なメッセージ。それから続けて「ポーン」とスマホが着信を告げ、


 タツ:言い忘れてたが、ハンバーグ、まあまあ悪くなかった


 なんて文面が送られてきた。


「……そこは、おいしい、じゃないんだ」


 分かっていたのに、少し悔しく思っている自分がいた。先にメッセージを送られてきたのも悔しいし、「おいしい」と言わせることができなかったことに関してはとても悔しい。


 まあ、あそこまで黒焦げになっていたんだから、おいしくないことは分かっていた。それはそれとして――こういうのは、おいしく食べてもらったほうがどっちも嬉しいに決まっているのだ。


 だからみづきは、返事を返そうとして――、


「あっ」


 作成途中の文章を、辰虎に送信してしまったのであった。


 * * *


 みづきからの返信が返ってきて、俺はスマホ画面を開いた。


 水嶋みづき:ほんとは好き


「……んん?」


 好きってなにがだ?

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