第16話 約束
適当に話を切り上げたところで、みづきが「んっ」とこちらに手を差し出してくる。彼女の視線を辿ってみれば、俺の手からぶら下がっているレジ袋へと行き着いた。
「はいよ」
「あんがと」
ずしりと重い袋を手渡せば、端的に礼を口にしてみづきがキッチンへと向かう。そんな彼女の背中を眺めながら、俺は椅子へと腰を下ろした。
エプロンを装着した後ろ姿は、時折スマホと睨めっこしながら野菜を切ったり、ひき肉を捏ねたりと頑張っている。なんとなく予想できていたことだが、やはり料理をすることには慣れていない様子であった。
「おいおい。大丈夫か? ちゃんとできんのか?」
少し心配になってそう問いかけてみると、
「っさいなあ。これぐらい、全然よゆーだし!」
と、明らかに強がりと分かるセリフが返ってくる。
……ほんとに大丈夫か? と思わんでもない。かなり悪戦苦闘しているみたいだし、今もスマホに視線を落としては首を傾げて唸り声を上げている。
とはいえ、せっかく頑張っているんだからここで水を差すのも野暮ってもんか。おとなしく、もうしばらくは待ってることにしよう。
……それにしても、とふと思う。みづきのピンク色の髪は、やはり地毛なのだろうか。見る限りでは染髪した形跡もないし、顔立ちだって日本人離れしたものだ。もしかすると、外国の血が混じっているのかもしれない。
とはいえ、あまり詮索するのも気が引ける。みづきにとって聞かれたくないことである可能性もあるわけだし、おいそれと訊ねるわけにもなあ……。
ぶっちゃけ気になってたまらない俺がいた。
みづきの後ろ姿を眺めながら、そんなことを考えていると、
「タツトラ君さあ、なんか妙なこと今考えてるでしょ?」
「そんなことないぞ」
不意にそんなことを訊ねられてドキリとする。こっちを向いていないのに、なんで分かったのだろうか。
やれやれまったく……これだから女は侮れない。こいつも、いわゆる『女のカン』ってやつなんかね。
* * *
「みづき、そのエプロン似合ってるな」
だいたい一時間後。
ハンバーグばかりが十数個もテーブルに並べられたところで俺が口にしたのは、そんな言葉だった。
「そのエプロン着て皿を運んでたりするとマジでめちゃくちゃ料理上手そうに見える。髪の色ともマッチしてて最高だな」
「……変な気遣いとかするのやめて。惨めになるから」
「気遣いじゃねーよ。本音だっつの」
実際、エプロンはよく似合ってる。すんげえ仏頂面した黒猫のプリントが胸元にある、ピンクを基調としたエプロン。人にあんまり懐かなそうな表情まで含めて、黒猫のデザインはみづきそっくりだ。
しかし今のみづきが浮かべているのは仏頂面ではなく、しょげたように気落ちした表情だ。まるで今にもため息を――、
「はぁ……」
――ため息を漏らしそうな顔つきだと俺が思うよりも先に、彼女が重苦しい吐息を漏らす。部屋の空気が、多分0.5キロぐらい重くなる。
みづきが凹んでいる理由は明白だ。
テーブルの上に出された大皿、その上に十数個も積み上げられている黒い物体。かつてひき肉だったはずの存在は、見て分かるほどにこんがりと焼け
ぶすぶすと上がる煙は焦げ臭い。どんなに贔屓目に見ても、「成功」と呼べる出来栄えではないだろう。
「なんつーか、やっぱりあんまり料理得意じゃなかったんだな」
素直な感想を告げると、「はぁ」とみづきはもう一度ため息をこぼして肩を落とす。
「大丈夫だと思ったんだけどなあ……火加減がこんなに難しいなんて」
一度はテーブルの上に置いた皿を持ち上げ、げんなりと彼女が両肩を落とす。
「……ごめん。こんなの、食べられたもんじゃないよね。家に持って帰って捨てとく」
「は? なんでだよ。さっさと食わせろ」
「え? でも――」
「でもじゃねえよバカ野郎。俺ぁ腹減ってんだよ。それともなんだよ。さんざん待たせたくせして、これ以上我慢させようってか? ふざけんな」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
言い淀むみづきの手から皿を強引に奪い取る。それから黒い塊の一つを箸で挟むと、俺は迷わずかぶりついた。
「あ……っ」
と、みづきが声を上げているがそれにもお構いなしだ。標準的なサイズのハンバーグを三口ほどで平らげる。
こうして食べてみれば、案外いける。外側はがっつり焦げていてその部分は苦いのだが、中身のほうはちゃんとハンバーグの味だった。
かなり腹も減っていたせいか、十個以上あったハンバーグを次から次へと口に放り込んでいく。そうやって最後の一個を胃袋に収めたところで、皿に向かって両手を合わせた。
「ごっそさん」
「……無理して食べたりとかしなくてもよかったのに」
「別に、無理なんてしてねーよ。誰かさんに待たされたせいで、腹と背中がくっつきそうになってただけだ。おかげさまで、うっかり飢え死にするとこだったっつーの」
ぶっきらぼうにそう言い放つと、みづきがくすりと笑みこぼした。
「……タツトラ君って、人に優しくするのが下手くそだってよく言われそうだよね」
「バッ――なんッ、そんなことねーよ!」
「その反応。やっぱ図星じゃん?」
「……ぐ」
見透かすような目で言われ、俺は思わず言葉に詰まる。実際、同じようなことを言われたことは何度かあるため、おちおち反論もできない。
そうやって言葉を詰まらせている俺に、みづきが「んっへへっ」と笑いかけてくる。
「あたしは嫌いじゃないけどね。不器用な優しさって感じで」
「……っ、そういう、変な気の遣い方するんじゃねえよ」
「気遣いじゃなくて本音だもん」
身を乗り出すようにしてみづきがそう言ってくる。彼女の鼻先と俺の鼻先がうっかりくっつきそうになって、思わず身を仰け反らせた。
「お、おい……近い、近いって!
「~~~~~~~~っ」
お互いの距離感に気づいたのか、みづきが頬を赤らめて体を離す。
それから、自分の肩を抱くようにしてこちらを睨みつけてきた。
「き、嫌いじゃないっていっても別に好きってわけじゃないから! っていうか好きじゃないし! むしろ嫌いだし! 大っ嫌い! 嫌いじゃないけど!」
「それ、もう嫌いがゲシュタルト崩壊してんな、完全に」
「っさい!」
みづきがその辺にあったものを投げつけてくる。ティッシュ箱だった。なにをそんなに怒ってるんだお前は。
しばらくの間みづきはそんな感じで、なにやら怒ったり興奮したりと忙しそうにしていた。
なんで俺がそんなに罵られなきゃならんのかと思わず閉口するが、照れたり恥ずかしがったりするときについ口汚くなるのはどうやらみづきの習い性らしい。
まったく迷惑な癖である。そうやって俺が呆れていると、ようやく落ち着きを取り戻したのかみづきが話しかけてきた。
「え、えっと、タツトラ君。あのさ――」
――そうして彼女の口にした言葉に、俺は「分かった」と首肯する。
するとみづきは、ぱっと表情を明るくして、
「じゃあ、約束だからね、タツトラ君!」
と、念押しするみたいに言ってきたのであった。
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