第6話 お待ちなさいお嬢さん
翌朝。
「おはよ。おっさん」
「……お、おう。おはよう」
いつも通り、出勤前にコンビニに立ち寄ると、俺に気づいた万引き少女が近寄ってきて話しかけてきた。特徴的なピンク髪が、朝の陽光にきらりと輝く。
地味に、二日連続で顔を合わせるのは初めてだった。昨日引っ叩いてしまったこともあってか、答える俺の声は少しうろたえている。
そんな俺を観察するようにして、
「…………(じぃぃ)」
と、万引き少女がまじまじと視線をよこしてくる。その視線には、何やら妙な熱を帯びているような感じだった。
「……な、何か用か?」
「ん……見てるだけだけど」
「そうか」
俺なんぞを見て、何か面白いことでもあるのだろうか。冴えない顔してんなこのおっさん、なんてことを考えていたりするのかもしれない。あるいは、引っ叩かれた復讐をいかにするのかとか、そんな計画を頭の中で立てているのかもしれない。いやほんと、頬を張ったのはやりすぎだったって悪かったって。そう言って謝ろうかと思ったけれど、藪蛇だったらそれはそれで面倒なので、結局俺から言えることは何もない。
妙に居心地の悪い彼女の視線を避けるようにして、俺はコンビニの中へと入った。
どういうつもりか、少女もとてとてと俺のすぐあとをついてくる。昨日までの彼女ならあり得ない行動だ。
だって、なあ……こんなの、ほら、あれだ。まるで俺に懐いてるみたいな振る舞いじゃないか。
「……なぁ」
試しに軽く振り返りつつ声をかけてみれば、少女は「なに?」と首を傾げる。
それはなんというか、思いのほか素直な反応だった。これまでなら、「話しかけるな」とか「ウザい」とか「死ねば?」とか「息臭いんだけど?」とかって反応が返ってきていたというのに。
俺があっけに取られていると、訝し気な目を少女が向けてきた。
「……黙り込んでどうしたの? 話しかけてきたの、そっちからなんですけどー」
「あ、ああ……いや」
軽く咳払いしてごまかす。
「お前さ」
「みづき」
「は?」
「水嶋みづき。あ、みづきは満月って書いて
「ああ……それがどうしたんだ?」
「だから、みづきだってば。ほら、リピートアフターミー、みづき」
「……みづき?」
「よし」
……どうやら、名前で呼べと。つまりはそういうことらしい。どういう風の吹き回しなんだか。
戸惑う俺だが、みづきは口元をにやけさせてなぜだか満足気だ。何がそんなに嬉しいのやら。こちらとしては困惑するしかないんだけどな。
「で、みづきとやら」
「なに?」
「万引きは、やめとけよ」
こいつには前科がありすぎる。念のためそうくぎを刺すと、みづきは、
「分かってる」
と、これまたやけに素直にうなずいた。これまでのお前はどこへ行ったと、ついそんな突っ込みを思い浮かべてしまうほどだ。
なんて、余計なことを俺が考えているとみづきが不意に問いかけてくる。
「おっさんは?」
「あ?」
問いかけの内容が漠然としすぎていてよく分からない。俺が首を傾げていると、
「名前。あたしが名乗ったんだからおっさんも名乗りなよ」
みづきがそう言葉を付け加えてきた。
「ああ、名前……名前ね」
そういや確かに、一ヵ月半もなんだかんだ絡んできたのにお互いの名前を改めて交換した覚えはなかったことに気づく。
しかしまあ、こいつが俺のことなんかに興味を持つなんてな。
「もしかして俺に惚れたのか?」
「はあ!? バカにすんなっ!」
「いってぇ」
冗談のつもりでそう言ってみると、少女があからさまに顔を赤くして怒り出した。
ふくらはぎの後ろ辺りを蹴りつけられて、痛みに思わず呻き声を上げる。怒るにしたって暴力はダメだろ暴力は。これでお前、昨日俺が頬を引っ叩いたのはチャラだかんな!?
「い、いきなり変なこと言うなってのっ」
「ああ、分かった分かったって。冗談言って悪かった。お前が俺に惚れるとかありえねえ――だから痛ぇって!」
「ふんっ」
なぜかまた足を蹴られる。何にカリカリしてんだか。
生理か? 女の子のあの日なのか? それともなんだ、カルシウムが足りないってか? 地雷ポイントがよく分からん。これだから、若い女ってやつは。
「
痛みを堪えつつそう言って名乗ると、「ふ~ん?」とみづきが気のない返事を返してくる。
それから何事かを口の中でもごもご呟くと、
「じゃあタツトラ君だ」
と、勝手に俺の呼び方を決めていた。
「……なんだその呼び方。妙に馴れ馴れしいんだが」
「不満でもある?」
「そういうわけじゃねえけど」
ただ、なんか違和感があるだけだ。こいつから、そんな親しげな呼び方をされることに。
しかしそう思っているのは俺だけのようで、みづきはしれっとした顔で、
「ならいいじゃん」
なんて口にしていた。
彼女の態度に首を傾げつつ、俺はいつも飲んでる缶コーヒーをレジへと持っていく。
会計の直前、タバコを切らしているのを思い出したのでついでにそれも買うことにした。
「セッター。十ミリ、ボックスで」
常連で顔も覚えられている俺は、いちいち年齢確認もされたりしない。決して老け顔なわけではない。本当だぞ。他のコンビニでは年齢確認されるんだからな。
内心でそんな言い訳をしている間に会計を終え、俺はレジを離れる。
するとその直後、後ろから声が聞こえてきた。
「あたしもセッター。十ミリ? で、ボックスをひとつ!」
お待ちなさいお嬢さん。
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