第5話 叱ってくれてありがと
「ほんと、いい加減ほっといてよ」
自棄な口調で、少女が言葉を繰り返す。
「いつもいつも……ほんっと飽きないよねおっさんも。女子高生つかまえてお説教するのがそんなに楽しいわけだ? 下らない」
「そんなんじゃねーよ。第一お前が万引きなんかしなけりゃ、俺だってほっとくっつーの。いちいちガキの相手なんつーめんどくさいこと、好き好んでやるわけねーだろ」
「……ふん。めんどくさいならそれこそほっといてよ」
「そういう話をしてるわけじゃないのは、分かってんだろ」
「……っさいなあほんと。説教臭い男はモテないと思うんだけど」
「お前にモテたいわけじゃねーからな」
そう返すと、少女がムッと睨みつけてくる。だけど俺はそれを気にせず言葉を重ねた。
「だいたいな。そんなに俺に絡まれたくねえんなら、他にいくらでもやりようがあるだろうがよ。別の店で万引きするとか、もっとバレねぇやり方考えるとか」
「……なによ」
「あとは、そもそも万引きやめるとか。……ってかお前、悪さとかやり慣れてねーだろ?」
「うるさい!」
「お前の声の方がでけえよ。だいたいな、手口だっていつも同じだし、この店でしかやってねーみたいだし……別に本気で万引きしたいわけでもないんだろ? ああ?」
「っ、分かったようなこと言わないでよ! うるっさいなあ!」
「人間、図星を突かれると怒ったり、怒鳴ったりするらしいぞ」
「~~~~~~~っ」
言葉にならない声を上げ、彼女は灰皿を蹴り飛ばす。ガシャァンと耳障りな音が響いた。
そんな彼女の振る舞いを見て俺は言う。
「モノに当たるのはやめとけよ。壊したら弁償させられるぞ」
「そんなの、あたしの勝手じゃん! だいたい、なんでそんなにあたしなんかに構うのよ!」
「決まってんだろ。目が離せねえんだよ。お前みたいに危なっかしいやつは」
それに、ここまで関わりを持ってしまった以上、警察の厄介にでもなられたら目覚めが悪くなる。余計なお世話だお節介だと言われても、知らないふりはもうできない。
だが少女は、俺の言葉に不愉快そうに眉を顰めると、
「……もういいよ。別にそんなのが本音じゃないんでしょ、どうせ」
と、やけに醒めた声で呟いた。
「はあ?」
「白状したらいいじゃん。女子高生に説教するのがただ気持ちいいだけなんでしょ。よくいるじゃん、そういう大人って。正義押し付ける正義マンみたいな? 正しい言葉ならいくら言っても許されるって思い込んでる痛いヤツ」
「…………」
「しかもさ。そういう大人に限ってしてたりするんでしょ? 援助交際とか。ほんっと……バカみたいな話だよね」
そう言葉を紡ぐ少女の声には、どこかバカにするような響きが込められていた。
「なんならさ。おっさんもどうせ、そういうこと考えてるんでしょ。……いいよ別にシてやっても。それでもう二度と話しかけてこないって約束してくれるんだったらお金もいらない。どう? お望み通りの展開でしょ、おっさんにとっては」
「――――ッ」
気づいた時には手が出ていた。せせら笑うように言う少女の頬に、俺の右手が強烈な平手を食らわせる。
胸の内がぐつぐつ煮えている。これほど激しい怒りを覚えるのは、久しぶりだった。
「この――バッカ野郎がッ!」
怒りは怒声となって出た。大人が子ども相手に上げるには理不尽なほどの怒鳴り声だ。
……俺はいつもこうだ。すぐに感情的になって、気に食わないことがあれば当たり散らしたりなんかして、そしていつも後悔する。
ああ、さんざん言われてきたさ。『思いやりがない』『乱暴』『いつも不機嫌』『怖い』……あんまり言われてきたもんだから耳にタコだ。
だけどそうと分かっていても、こればっかりは黙っちゃいられなかった。声を荒げずにはいられなかった。
俺の怒声に当てられた少女は、頬を打たれた衝撃もあってか身を竦ませる。怯えた表情で半歩後ずさる。そんな少女の反応を見て、熱くなっていた頭が急速に冷えていく。
そんな顔をさせたかったわけではない。怒りをぶつけて怯えさせるのが目的じゃないんだ。
ただ、俺はただ――。
「――ッ、それはダメだろ、お前」
燃え盛る怒りを抑え込むように、意識落ち着いた声を出す。怯え竦んで俯いていた少女は、おずおずとこちらの様子を窺うように顔を上げた。
「ダメって……」
「わざわざ、何がダメなのか説明されないと分からないか?」
「……」
不貞腐れたように少女が唇を尖らせ、黙り込む。その態度を見れば明らかだった。
説明するまでもなく、なんで怒鳴られたのかなんてことは本人だって分かっていることに。そのことに少しだけ、俺は安堵する。
「お前の体はそんなに安いか? そんな簡単に、赤の他人に触れさせていいもんなのか? ……もうちっと、自分で自分を大事に扱ってやれっての」
「そんなの……でも、あたしなんてさ、誰も心配なんて」
「んなもん俺がとっくにしてるっつーの! 言わせんな!」
殴りつけるような勢いの声が俺の口から迸る。
「でなけりゃお前――お前のことなんか、とっくの昔に見捨ててるわ!」
「――ッ」
見開かれた少女の瞳に、衝撃の色が走る。つぅ――と不意に透明な液体が浮かび上がり、彼女の頬を流れ落ちた。
それを見て、熱くなっていた俺の頭が不意に冷えていく。赤らんだ頬を伝う涙が痛々しくて、さっそく手を上げてしまったことを後悔していた。
「……すまねぇ。痛かったよな」
「……(こくり)」
「待ってろ。今、冷やすもん買ってくる」
コンビニに戻って冷たい缶コーヒーを買ってくる。それを見て、少女が「むっ」と唇を尖らせた。
「あたし、ブラック飲めない」
「別に飲まなくてもいいよ。痛みが引くまで、これ、当てとけ」
「ん……」
思いのほか素直に頬に缶コーヒーを当てると、少女は気持ちよさそうに表情を緩めた。だけど、瞳はまだ潤んでいる。潤んだ目を、俺に向けている。
……なぜか反対の頬まで心なしか赤くなってるのは俺の気のせいだろうか?
「……ごめん」
不意に少女がそう呟く。
「なに、謝ってんだよ」
「だって、あたし……多分、バカなこと言ったから」
もごもごと、口の中で少女が呟く。
そんな彼女の言い回しに、俺は思わず苦笑を漏らした。『多分』と付け加えてしまう辺りはきっと、まだまだ彼女が幼いところなのだろう。
そして、そうやって些細なところで見栄を張ってしまう時期は、確かに俺にも存在していたものだ。
俺が笑ったのが気に食わなかったのか、「むっ」と唇を尖らせて彼女は俺を見上げてきた。
「なによ。笑ったりなんかして」
「いや。……俺もそんな頃があったなって思っただけだ」
「なにそれ」
「いずれ、分かるだろ」
俺の言葉に納得いかないのか、「むぅ」と少女が眉根を寄せている。宥めるようにして頭をポンポンと叩いてやれば、お気に召さなかったのかすぐに手を振り払われた。
不貞腐れた様子で、「ぷいっ」と俺から顔を背ける。
「……子ども扱いしないでよ」
「なんだよ。拗ねてんのか」
「そんなんじゃないもん」
そう言って否定する声は、しかし完全にいじけていた。
「でも、まあ、なんていうかその……」
と、歯切れ悪く彼女が口を開く。
「んあ?」
「
小さな声で少女が何かを呟いた。でもそれは、小さすぎて俺の耳に届かない。
「今、なんて?」
と問い返しても、少女ははにかんだように「んっへへっ」と笑いを浮かべるばかりであった。
「とにかく、そういうことだからっ」
「おい、そういうことってなんだよ」
「じゃーねおっさん。また明日!」
缶コーヒーを頬に当てたまま、やたら明るい口調でそう言うと、足取りも軽く少女が走り去っていく。
……また明日?
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