第一章 万引き少女を諭したら

第1話 「どうせ、あたし、要らない子だから」

「お前、ふざけんなよ。バカじゃねえのか?」


 少女に向かって、俺はとっさにそんなことを口走っていた。


 場所は、出勤前にいつも使っている最寄のコンビニ。そこで見かけた、制服姿の女子高生が万引きしようとしているのを見て、とっさに俺は彼女の腕を掴んでいたのだ。


「ったく、ガキが粋がってよぉ。万引きとか、だっせぇ真似してんじゃねえよ」


「……うっざ」


 俺の言葉に、少女は眉根にしわを刻んで顔を背ける。いかにも不満げで、そして不機嫌な態度であった。


 そんな彼女の態度に、「チッ」と俺は舌打ちする。こちらの話を聞く気などありません、と全身で主張するかのような反応に、苛立ちを覚えていたのだ。


「お前な――」


 少女の手から万引きしようとしていた商品を取り上げながら、険を含んだ声で俺は言った。


「万引きとか、そんなダサいことやってると、クソ下らねえ大人になるぞ」


「だから? それ、おっさんに関係あるわけ?」


「あのなあ!」


 声を荒げる俺をよそに、少女は「ふんっ」と鼻を鳴らして背を向ける。


 そのまま立ち去ろうとする彼女の背に向けて、俺は言った。


「おい」


「話しかけないで」


「あんまバカなことすんじゃねえぞ。親とか、周りの人とかが心配するだろ」


 なんの気なしに告げた言葉だった。


 だが、俺の言葉にこちらを振り返った少女の瞳は……。ひどく冷め切ったものだった。まるで何か、絶望にでも打ちひしがれているような――。


「ハッ」


 と、少女が自嘲するかのように鼻で笑った。


「心配? しないよ、そんなもの」


「――は?」


「どうせ、あたし、要らない子だから」


 そう口にした少女の声は氷のように冷たかった。


 返す言葉に俺は詰まる。俺の発言が彼女にとっての地雷だったことは明らかだ。


 そうやって俺がうろたえている間にも、少女はくるりと踵を返す。


「あ、おい――」


 それに気づいて声を上げても、もう遅い。彼女はこちらを振り向くことなく、綺麗な姿勢でコンビニから立ち去っていくところであった。


 * * *


「ったく……やっちまったなー」


 と、俺こと兵頭ひょうどう辰虎たつとらはコンビニの軒下にある喫煙所でタバコを咥えながらため息をついていた。


 万引き少女はすでに立ち去ったあとである。彼女のことを思い返しながら、「やらかした」と俺は思っていた。


 俺はどうやら口が悪い、らしい。いや、自分ではあまりそうは思っていないのだが、とっさに出てくる言葉が口汚いとよく言われる。


 乱暴だとか、粗雑だとか、チンピラ紛いな言葉遣いだとか。とにかくまあ、俺を知る人間には頻繁に舌禍ぜっかを指摘されるものだ。


 事実、かつてバンドをやっていた時にも、メンバーからはよく口の悪さについて文句を言われていた。


 彼女らの言葉を借りるなら、


「すぐにバカって言うし」


「アホとか間抜けとかって言葉ばかりとっさに言うし」


「いつも人を責めるみたいな言い方ばかりだし」


「こっちの非ばかり取り上げるような話し方ばかりするし」


「デリカシーってやつも感じられないし」


「なんというか、いつも口調も不機嫌だし」


「思いやりを感じない」


 と、いうことらしい。


「……あいつら、今ごろ頑張ってんだろうな」


 昔の仲間たちは四年前にメジャーデビューして以来、爆発的なヒットを連発し今では日本を代表するアーティストになっている。止むに止まれぬ事情があって、俺だけはデビューする時にバンドを抜けたのだが……ま、それは別の話か。


 とにかく――さんざん指摘されていることだから、気をつけているつもりだったってのに。


「まーた、やっちまった……」


 思い切り、言ってしまった。『馬鹿』だとか『ガキ』だとか『ダサい』とか……いくらとっさに出てきた言葉とはいえ、これはあんまりよろしくない。


 タバコを咥えたまま頭を掻き毟る。


 だいたい、少し考えてみれば分かるものだ。自分が子どもだった頃、大人からかけられる高圧的な言葉にどれだけ反発していたかなんてことは。


 万引きをしていたあの女の子には、本当に悪いことをしてしまったと思う。……いや、注意したこと自体は間違ったことをしていないと確信を持って言えるのだが、それはそれ。やはりあんな言い方をあえてすることはなかったよな。


「……にしても、どうせ要らない子・・・・・・・・ねぇ」


 空を見上げつつ、吸った煙をぷかりと吐き出す。空に吸い込まれていく煙を眺めながら、少女のことを思い返した。


 印象的な女の子だった。まだ学生だろうに、未来も希望もなんもねぇみたいな、どこまでも冷めた瞳をしていた。あんなの、めったに見れる瞳ではない。


 あの目つきだけで、何か事情を抱えているだろうことは想像に難くない……が、妙な既視感デジャヴュが俺にはあった。


「あー、クソ。やめだやめ。面倒くせえ」


 そこまで考えたところで、首を振ってタバコを揉み消す。


 考えるだけ無駄なのだ。どんな事情を抱えていようが、しょせん彼女は赤の他人。


 これっきり関わることもないだろう、だなんて――この時の俺は、そんな風に考えていた。

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