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「もし……ええとっ」

「あ、私は新垣(あらがき)と申します」

 睦実が自分の苗字を言おうとしたことを察した男性職員は、自分から教えてくれる。

「新垣さんが、百年以上も前に亡くなった、えらい人の写真を見せられて、『この人が、お前のお父さんだよ』と言われたら、どう思いますか?」

「えっ?」

「その人が、父親だって実感持てますか?」

 真っ直ぐに新垣を見て、睦実は言った。

「相手は、百年以上も前に亡くなった人です。当然、自分という子どもがいたことも知らない。そして、自分も『父親』として接してもらった記憶がない。……それでも、その人が『父親』という実感持てます?」

「それは……」

「無理、ですよね。それと同じことが、私には言えるんです。私の祖父は、確かに芹沢実さんという方なのでしょう。でも、私はその方が祖父だという実感が持てないのです」

 睦実や姉にとって、「祖父」という存在は、漁師の義理の祖父だった。

 それは、おそらく母も同じなのだろう。

 祖母は、祖父が宇宙に旅立ってから二年後に、たまたま島から本土に出てきた義理の祖父と出会い、再婚した。

 だから母にとっては、実の父ではない。

 けれど、共に生活をして、再婚をした数年後故郷の島に戻り、そんな生活の中で母を育て慈しんできたのは、まぎれもなく、あの義理の祖父だった。

 だから。

 芹沢実、と言う人が実の祖父だと知っていても。

 その人から、手紙が来たと言われても。

 祖父だという実感が持てないから、どんな思いも抱きようがない。

 そう。怒りとか、憎しみとか。

 そんな感情ですら、湧きようがないのだ。

「手紙の受け取りを拒否された方は、きっとクルーの方と御家族として過ごして、御家族としての関係を、時間をかけて築いてこられたんだ思います。でも、私や姉や母と芹沢実さんの間には、そんなものはないんです。全くない―何もないゼロ、なんです。」

 そう。

 芹沢実という人は、睦実や姉にとっても、そして母にとっても、最初からいない人だった。

 だから当然、家族としての思い出も、日々積み重なって育っていくはずだった家族としての絆も、何一つ存在していない。

『せめて思い出の中だけでも、お母さんが生まれるのを楽しみにしていたとか、とても喜んでいたとか、そんなことが残っていたなら、まだ違っていたかもしれないけどさ。芹沢実本人も、我が子の誕生は知らなかったんなら、なおのこと、実感の湧きようがないわよ』

 そんなふうに、姉も言っていた。

 母の「朱実」という名は、そんな母にせめて名前だけでも実の父との繋がりをと、祖母が名付けた名前だった。

 名前ぐらいしか、もう与える物がなかったのだ。

「ならば、不躾を承知でもう一度聞きます。何故、あなたは手紙を取りに来られたのですか? 拒否した方々とは別の理由で、あなた方も取りに来ることはない、と思うのですが」

 新垣の言葉に、睦実は小さく微笑んだ。

「母が言うんです。祖母が生きていたら、その手紙を読みたがったに違いないって」

「……」

「たぶん、手紙を拒否された方々は、クルーの方とは、皆さん血が繋がっていらっしゃる、兄弟とかお子さんとかではないですか?」

「その通りです」

 睦実が聞くと、新垣は頷いた。

「私にはよくわからないんですが、夫婦は、またそういう方々とは、違うのかもしれません」

「……なるほど」

 新垣は目を閉じ、小さく呟いた。

 そうして、静かに目を開けると、着ていたスーツのポケットから、一枚の封筒を出し、テーブルの上に置いた。

「これは……」

「芹沢実さんから、芹沢千鶴さんー菱原千鶴さんへの、お手紙です」

「さっき、まだ手紙を持ってくるのは時間がかかるとおっしゃっていませんでしたか?」

「ええ。私が、納得するまで時間がかかると思っていました。ですが、あなたの答えを聞いて、何故あなたがこの手紙を取りに来たのか、よくわかりました」

 そう言いながら、新垣は睦実の方に手紙を差し出した。

「あなたは、御自分のおばあ様のために、この手紙を取りに来られたのですね」

 睦実にとっては、それは当たり前のことであった。

 睦実がこの場所に手紙を取りに来たのは、ただ、祖母が生きていたら読みたがっただろう、と。

 母の言葉に納得したから、来たのだ。

「この手紙をどうしようと、あなた方の御自由です。ですが、私どもは、『資料』の一つとして、この手紙の複写を取っています。そのことは、ご理解してください」

「わかりました」

 新垣の言葉に、睦実は頷いた。睦実にはよくわからない、宇宙開発センターの「事情」と言うのもあるのだろう。

「そして、これは私の勝手なお願いなのですが」

 そう言いながら、新垣はテーブルに置いた手を膝に戻した。

「もしよろしければ、その手紙を読んで、御返事を書いてもらえませんでしょうか?」

「返事……ですか?」

「ええ。別に、芹沢実さんの孫としての御返事じゃなくていいんです。菱原千鶴さんのお孫さんとして、書いてもらえませんか?」

「……」

 睦実は、黙ってテーブルに置かれた封筒を、手に取った。

 その封筒は、何てことはない、白い普通のものだった。

 遥か三十光年離れた場所の惑星(ほし)から来たものが、自分達が使っているような物と同じだということに、睦実は不思議な思いがした。

 手紙は、封が切られた跡があったが、それについては理由がもうわかっていたので、あえて何も聞かず、中に入っていた手紙を取り出した。

 ぱらりっと、四つに折られた紙を開く。

 思ったよりもしっかりした字が、そこには綴られていた。

「千鶴へ

 俺は、お前が来るのをずっと待っていた。

 出発の日も、お前が荷物を持って、ゲートから入ってくると思っていた。

 結局、お前は来なかったけどな。

 千鶴。お前は、今、幸せか?   芹沢実」

 睦実は、黙って手紙をたたみ、封筒に入れた。

 そして、封筒の中にもう一つ、何かカードみたいなものが入っているのに気付いた。

「これは?」

 黙って自分を見ていた新垣に、聞いてみる。

「ああ、写真も入っているんですよ」

 出してみると、それは、平面型写真だった。

 何かの記念式典らしき場所でとった写真は、黒いモーニング姿の男性とスーツ姿の女性が、二十人ぐらい写っている。

「あちらで、撮影したものみたいですね」

 睦実は、それをテーブルの上に置いた。

 日本人クルーは五名参加した、ということだったが、なるほど、黒髪・黒い目の人達が、数人混じっていた。

 中国や韓国などからも、参加した人がいたのだろう。

 皆、どうみても四十前後ぐらいだった。

「意外と皆さん、若く見えますね」

 地球から三十光年離れているというから、みな老齢と言われる年齢ぐらいにはなっているのではないか、と睦実は勝手に思っていたが、そうではなかったらしい。

「光速船に乗ると、時間の流れが地上の時と違って、遅くなるんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。ですから、クルーの者達があちらに着いた時は、皆、四十前後ぐらいだったのでしょう」

「……」

 睦実は、黙って写真を見つめた。

「どれが、祖父なんですか?」

 でも結局どこに祖父がいるのかわからず、新垣に尋ねる。

「……おそらく、この方だと思いますよ」

 新垣が指差したのは、中央から少し離れた場所に立っていた、一人の中年の男性だった。

 どこか、昔見た写真の面影があるような気もした。

「ありがとうこざいます」

 睦実は礼を言うと、テーブルの上の写真を持ち、そのまま、封筒の中に入れる。

「手紙、書けそうですか?」

 そんな睦実を見て、新垣がそう聞いてきた。

「少し、考えさせてもらえますか?」

「いいですよ。せっかくのケーキですから、味が落ちない内に食べてください。その間に、考えてもらえればいいですから」

睦実は礼を言うと、残りのケーキを食べるべく、再びフォークを持った。

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