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「こちらに、指を置いてくれませんか?」

通されたこれまたバステルピンクの色の部屋で、示された椅子に座ったとたん、睦実はさっき案内をしてくれた職員の男に、そう言われた。

「えっ?」

「すいません、念のためDNA検査をします」

「ええっと……私、疑われているんですか?」

 男の手の中にある、トランプぐらいの大きさのカードを見ながら、睦実は聞いた。

 疑われているのなら、さっさと帰ろうか、と思ったのだ。

 睦実にしてみれば、疑われてまで、祖父の手紙が欲しいとは思わない。

「ちょ、ちょっと、待ってくださいっ」

 だが職員の男は、慌てたように言った。

「すいません、事情はお話しますから、とりあえず、御協力をお願いします」

 改めてカードを差し出され、睦実はしぶしぶそのカードの上に、人指し指を乗せた。

 するとそれと同時に、ピーと音が鳴る。

「ちょっと待っていてください」

 職員の男は軽くため息を吐くと、

「一致しました」

 そのカードに向かって、小さく呟いた。

「大変失礼しました」

 それから、ペコリと、睦実に頭を下げた。

「あなたはまちがいなく、芹沢実さんのお孫さんですね」

「母から、連絡が来ませんでしたか?」

 睦実は、母から「宇宙開発センターには、代理で娘が行くと連絡したから」と、言われていたのだ。

 あの島から、宇宙開発センターのあるこの街に来るまで、一昼夜はかかる。

 なにしろ、本土との交通は、今でも定期連絡線のみである。その連絡船も、週に三日しか来ない。

 だが、本土にいる睦実に頼めば、行き来でも半日あればいい。

「ええ、確かに。ですが、一応念のため検査をさせてもらいました。なにせ、あなたが初めてなのです。本当に手紙を取りに来られた、御家族は」

「……はっ?」

 男の言葉に、睦実は目をぱちくりとさせる。

「あの宇宙移民計画に参加したクルーは、全員で三十七名おります。内、日本人クルーは五名です。私どもは、その五名からの手紙を本部から預かったのですが、今まで、自称『御家族』の方が百名近く来られましたが、どの方も本物の御家族ではありませんでした」

 睦実の向かい側の椅子に座りながら、男性職員はそう説明した。

「えっと……」

「つまり、あなただけが、唯一の本物だということです」

 絶句する睦実に、男性職員はきっぱりと言い切った。

 つまるところ、睦実だけが本物の「家族」であって、後の百名近くの人間は、「偽者」だったわけである。

 それでは、宇宙開発センターの方が警戒するのも無理はない。

「でも…なんで、そんな……」

 手紙と言えば、プライベートな物である。

 なぜ、そんなに百名も近い人間が欲しがるのだろうか?

「そうですね。たいていの『自称』の方は、DNAの検査をしようとした時点で、拒否されたり、暴れたりされるので、すぐに警察に引き取ってもらっていましたが……警察の方にお聞きすると、本当に色々な方がいらっしゃいました」

「色々?」

「はい。自称作家さんとか、ルポライターさんとか、テレビ局のスタッフの方もいらっしゃいました。かと思えば、一般の企業にお勤めしている方や、大学生の方もいらっしゃいましたし。あ、小学生(ジュニア・ハイスクール)の男の子もいましたね。この子、一人でここまで来ましたよ」

「本当に、色々ですね……」

 マスコミ関係に、一般社会人、学生に、子ども。

 男性職員の言葉通りである。

「付加価値、なのでしょうねぇ。マスコミ関係の方々には、格好の話題でしょうし、一般的な方や学生さんには、あこがれゆえにその手紙を欲しがる方もいれば、売却が目的で手に入れようとされる方もいらっしゃったようです。最後の小学生のお子さんは、純粋なあこがれだったようですけどね」

 六十年前に行われた、太陽系外・惑星移住計画。

 それは、本当に賭けのような状況で行われたのだ。

 宇宙世紀に入って、四百年近く。

 初の太陽系外の惑星に移住した人々を、それこそ、英雄のように世間では扱っていた。

 手紙が届くまでは、本当に忘れ去っていたのにもかかわらず、宇宙開発センターがこの事実を発表したとたん、世間は再び、宇宙移民に注目をし始めていたのだ。

 六十年前の宇宙移民計画以後、太陽系外の移民が行われなかったのは、それが「成功」しにくい物であると、世間で認知されたせいであり、また、すぐに結果が出ないせいでもあった。

 すぐに結果が出ない=失敗、と考えがちな世間は、あの移民が実行された後、「宇宙移民」そのものに興味を失っていった。

 やはり、「地球」から遠く離れるのはよくないとーこれは、火星などの惑星やコロニーに住む者達ですらも、抱いた考えだった。

 それで、結局。

 ここ六十年は、もっぱら新しいコロニーの建設が、宇宙開発センターの中心的事業だったのである。

 だが、この「手紙」が移住先から届いたことで、六十年前の計画は、「成功」だったことがわかった。

 再び、宇宙開発センターから、第二の「太陽系外宇宙移民計画」が発表されるのではないかと、世間では噂されている。

「……そんな手紙を、受け取っていいんですか?」

唖然とした思いを抱きながらも、睦実は職員に聞いた。

「何の問題もありませんよ。あなたは、受け取る資格がある。マスコミへのフォローもしてありますから、ご安心ください」

 職員がそう言った時、ふわんっと、ドアが開いた。

「お待たせしました」

 そうして、これまた睦実とは一つか二つしか違わなさそうな、若い男性職員が入ってくる。

 彼は、両手にお盆を持っていて、その上にはいい匂いのするコーヒーと、ショートケーキが載っていた。

「どうぞ」

 そうして、それらは睦実の前に置かれた。

「ありがとうございます」

「どうぞ、召し上がってください。お手紙をお持ちするまでに、ちょっと時間がかかりますから、その間に食べてください」

 目の前に座る男性職員が、そう言って、睦実に薦める。

「ありがとうございます」

 そう言われると断る理由がないので、睦実はお礼を言って、置かれたフォークを手に取った。

 若い男性職員は出入り口で軽く礼をすると、またふわんっと開くドアから出て行った。

 どうも、このふわんっとまるでカーテンのように開くドアに、睦実は慣れなかった。

 また、「宇宙開発センター」にいるのに、どこかの保育園にでも来たのかと言うような、パステルカラーの壁も気になった。

「どうぞ、遠慮なさらず。このケーキのお店は、私どももお気に入りなのです。材料は、全て自然農法で育てられた物だけを使っているそうです」

「あ、では、遠慮なく」

 睦実は、さくっとフォークでケーキを切りながら、何気なく尋ねてみる。

「皆さん、こういうのはよく食べていらっしゃるんですか?」

「意外と、ストレスの溜まる仕事なんです。どうしても、細かい作業や長時間勤務になりがちなので。そのために、できるだけストレスを感じさせないように、この建物も作られているんですよ」

「ああ……」

 その言葉に、睦実は納得した。

 つまるところ、あのドアの開き方も、パステルカラーの壁紙も、全ては「ストレスを溜めないため」に作られたのだろう。

「あ、おいしい」

 口に運んだケーキは、とてもおいしかった。

「そうでしょう? やはり、自然に作った物が、一番おいしいですよね」

 睦実の言葉に、男性職員は自慢げに言った。

 だが、その「自然に作られている物」を、十八で大学に進学するまで、毎日睦実は食べていたのである。

 おそらく、このケーキに使われている卵や牛乳や小麦粉は、とても高い値段がついているのであろう。

 だがそれらは、あの故郷の島ではすぐにしかも安く手に入る。

 それがどれほど贅沢なことか、島を出てから睦実は初めて知った。

 「自然」なものを希求しながらも、「最新」のものを求める。

 このパラドックスは何なのだろうな、と睦実は思った。

 もっとも、自分には関係のないことではあるのだが。

 「宇宙開発センター」の職員という立場にならない以上、考えても仕方のないことだった。

 祖母や実の祖父が宇宙関係の仕事に付いていたのにも関わらず、睦実自身はあまりそっちの方面には興味はなかった。

 それは、島に残り、牛を育てる義兄に嫁いだ姉も同じだった。

「ところで、睦実さん。私も、あなたにお聞きしたいことがあるのですよ」

「はい?」

コーヒーを飲んでいたら、男性職員が、少し声を潜めて言った。

「これは、僕の個人的な質問なんで、答えたくなかったら拒否してもらってもかまいません」

 男性職員はそう事前に断り、そして睦実に聞いた。

「どうして睦実さんは、手紙を取りに来られたのですか?」

と。

「えっ?」

 どうしてと言われても、睦実は母親に、「取りに行って」と言われたから来たのだ。

 それ以上もそれ以下のも、理由はない。

 だが、男性職員は言葉を続けた。

「いえね、先程も言った通り、日本人クルー五名の手紙を、私共は預かっているのですがー事前に、御家族の皆様には御連絡したのです。ですが、どの御家族も、手紙の受け取りは拒否されたのですよ」

「えっ、そうなんですか?」

「ええ。その五名の内、実は芹沢実さんと同じで、もう一名、妻子と別れて移住計画に参加された方がいらっしゃったのです。奥さんはもう亡くなられていたのですが、お子さんが二人とも、まだ健在でしてね。このお子さん達の拒否の仕方が、一番強かったのです」

「それは……」

「自分達を捨てた父親の手紙など、今さら読みたくないと、どちらも、もうお孫さんがいらっしゃるぐらいの年代の方です。対応した職員にも、けんもほろろ、だったようです」

「……」

「それなのに、あなたのお母様の対応は、あっさりしたものだった。『わかりました。娘を代理に、そちらにやります』という返事を聞いた時は、正直耳を疑いました」

 つまり、この男性職員が母に連絡をしたのだろう。

「そして、あなたも手紙を取りに来られた。……何故ですか?」

 男性職員の問いかけに、睦実はコーヒーの入ったカップを、テーブルの上に置いた。

 そうして。思い出す。

 以前、姉と交わした会話を。

 自分にとって「芹沢実」という人が、どんな存在であるのかが、わかった日のことを。

              ★

「お姉ちゃんは、私達の血の繋がったおじいちゃんのことは、知ってた?」

 それは、祖母の家から帰って来た、次の日のことだった。

 帰るなり、睦美は、前日に自分が知った事実を、姉の実浩も知っているのか気になり、二段ベットの上で携帯コンビューターを見ていた姉に、尋ねてみた。

「うんー?」

だが、何か本をダウンロードしたらしい姉からは、生返事しかない。

「ねえ、お姉ちゃんってばっ」

 勉強用の椅子に座り、もう一度呼びかけると、姉はやれやれといった感じで、睦美の方を見た。

「芹沢実でしょ?」

 そして、あっさりとそう言った。

「お姉ちゃん、知ってたの!?」

 目を丸くする睦美に、当時高校生だった姉は、まあね、と肩をすくめた。

「お母さんか、おばあちゃんに聞いたの?」

「ああ、あんたはそっち経由なんだ」

 姉は、かけていた眼鏡を上げ、睦美の問いに答えてくれる。

「違うの?」

「ここの人達は、私達よりその周辺のこと詳しいのよね。ちらっとだけ、近所の人が話しているのを、小学生の時に聞いたのよ」

「ええっ!?」

 その点は、自分と一緒だった。

 なのに、姉は母や祖母には何も聞かず、事実を探り当てていたのだ。

「いやあ、びっくりしたわ。サイトで名前入れて検索しただけで、過去の資料がわんさか出て来るんだもん」

「そうなんだ……」

 姉は睦美とは違い、自分がわからないところがあると、徹底して調べ上げる習性があった。

 本やコンピューターを使い、「芹沢実」を徹底的に調べ上げたのだろう。

「お姉ちゃんは、どう思った?」

「いや、別に」

 だがあっさりとした口調で、姉はそう言った。

「別にって……」

「だってさ、睦美。芹沢実って人は、宇宙へ移民に行っちゃっているんだよ?なのに、私達のおじいちゃんっていうことはさ、どんな経緯があれ、妻であったおばあちゃんと子どものお母さんを置いて行ってんだよ?まずそれで、夫として父として、それはどうなのよって思わない?」

「まあ…それはねぇ……」

 それは、睦美も同感だった。

 思いっきり、アホな人だと思ってしまっていた。

「それに、芹沢実の写真を見たのは、それこそ小学生の時だったんだけど。正直、この人が私の祖父だっていう、実感が湧かなかったのよねぇ」

「実感?」

 けれどその言葉には、首をかしげてしまった。

「例えて言うならね、睦美。あんた、歴史上の人物で誰が好き?」

「え?……んーと、マイケル・ジャクソン」

「またえらい古典系ね。それに、あの顔がいいの?」

「晩年のじゃなくて、整形する前の顔がいいのっ。それに、音楽はとても素敵じゃない」

「日本人らしく、織田信長とか武田信玄とかさあ」

「その人達こそ、もっと古典じゃないっ。千年以上も前の人だよっ」

「五百年ぐらい、五十歩百歩のような気もするけど……まあ、いいや」

 そこで、姉は一度言葉を切った。

「そのマイケル・ジャクソンさんが、睦美の本当のおじいちゃんだよ、と誰かが言いました。さて、信じられますか?」

「ううん、全然」

 その言葉に、睦美は首を振った。

「なんで?」

「なんでって……証拠がないし」

「うん。証拠がない。他には?」

「うーん……でも、何か信じられないよ。だって、マイケル・ジャクソンってもう五百年も前の人なんだよ?」

 五百年も前に死んだ人が祖父だと聞いても、実感が湧かない。

「それと同じことをね、睦美。私は感じたのよ」

 そう言って、姉は小さく笑った。

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