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 ちょうど、睦実の母が生まれる前。

 宇宙世紀に入って三百年を、少し過ぎようとしていたこの時代、所謂、「宇宙開拓」と言う言葉が、流行りだした。

 まず、西暦の終わり頃に、「コロニー」と呼ばれる人工の居住空間を作り出すようになった

 そしてそれがある程度一段落すると、今度は太陽系の惑星や衛星の中で、月を始めとして、火星と金星、そして木星の衛星エウロパと、移住できそうなものたちは「地球化(テラ・フォーミング)」されて、人が住むようになっていった。

(もともと、太陽系では火星と金星は地球と似た構造をしていたこと、木星の衛星・エウロパでは「水」が存在していたことが、「地球化」しやすかったらしい。地球とは異なる条件の月では、人々は建設された「ドーム」の中で生活している)

そして、宇宙歴に入って二百年以上も経つと、それも一段落して。

 睦実の祖母が大人になった頃には、太陽系以外の惑星に移住する計画が、ちらほら出るようになったらしい。

 だけど、誰もがーと言うか、大抵の一般人の人達は、その話を本気でとらえてはいなかった。

 何せ、どの惑星も地球から数十光年経っているようなところにあり、コールドスリープなどというものも、まだまだ開発中だったこの時代、移住者達は、宇宙船の中で、人生のほとんどを過ごすことになるのだ。

 だが、この時代の「宇宙開発センター」は、ほとんどの人が夢物語だと思っていた計画を、発表したのである。

 もちろん、それは日本だけではなく、世界中にだ。

 その発表された当時。誰がそんな無謀な計画に参加するのか、とほとんどの人が思ったらしい。

 それは、睦実の祖母も例外ではなかった。

 宇宙開発センターに科学者の一員として勤めていた祖母は、それでも、この計画は無謀だと思っていた。

 だが、その無謀とも言える計画に、喜び勇んで参加を表明した人物がいた。

 それが、睦実の血の繋がった祖父で、当時祖母の夫だった、宇宙飛行士・芹沢実だった。

           ★★★

「千鶴(ちづる)。俺、今度の宇宙移民計画に参加することにしたから、お前も着いてきてくれ」

 宇宙移民計画に参加することを、祖父は帰るなり開口一番、そう言ったらしい。

「はい?」

 だが、しかし。

 祖母(千鶴は祖母の名前)は最初、それがとても本気で言っているようには思えなかったそうだ。

 宇宙飛行士だった祖父が、昔から太陽系外の惑星に移民することを夢見ていたのは、祖母も知っていた。

 宇宙開発センターという職場で出会った二人だったので、宇宙への憧れは、祖母も強かったらしい。

 でも。でも、である。

 自分が無謀だと思う計画に、夫は参加すると言う。

 しかも、自分も付いてくることも、込みで、である。

 まあ、たいていの妻であれば、まず、

「はい?」

となるのが普通であろう。

「何だよ、その言い草。お前だって、今度の移民計画は知っているだろ?」

「そりゃまあ……そうなんだけど」

 夫である祖父の不満そうな声に、祖母は、そう返事をするのが精一杯だったそうだ。

「もちろん、今すぐじゃないけどさ。楽しみだよなあ、どんな宇宙船に乗ることになるのか。あ、そうなると荷物とかまとめないと行けないよな。ここのマンションも、売る手続きしないとなっ」

「ちょ、ちょっと待って、実さん」

 だが、自分だけの考えで盛り上がる祖父を見て、このままじゃいかんっと思って、ストップをかけたらしい。

「何だよ」

「ちょっと、落ち着いてよ、実さん。とにかく、テーブルに座ろう?」

 一度落ち着いて欲しくて、祖母はそう言った。

「何だよ、反対なのか?」

「そうじゃまくてさ、一度、落ち着こうよ。思いつきだけで決められることじゃないでしょ?」

 祖母の意見はごもっともだと、話を聞いていた睦実もそう思った。

 義理の祖父は漁師だったが、いつも、「思いつきだけで漁に出れば、死んでしまうぞ」と言っていたし、そもそも「宇宙移民」は、そんな簡単に決められるものではないからだ。

 だが、祖父は。

「お前だって、俺の夢は知っているだろ?」

 そうではなかったらしい。

「やっと、その夢が叶うんだぜ?迷う必要が、どこにあるんだよ」

 もし睦実がこの時代に生まれていて、この祖父の言葉を聞いたなら、「あるわっ」と突っ込んでいたに違いない。

「実さんはそうかもしれないけどさ、私にも、考える時間が欲しいよ」

「何でだよ? お前だって、俺の夢のことは知っているだろ!?」

「それは、そうなんだけどね……」

 実は。

 この時、既に祖母のお腹の中には、睦実の母が宿っていたのだ。

 その報告を祖父にしようとしていた矢先、祖父の方が先に、宇宙移民の話を持ち出した、と言うわけなのだ。

「わかった、もういい」

 祖父はそう言うと、ぷいっと祖母を追い越し、階段を上って二階の自分の部屋に行ってしまった。

 祖母はその時、明日もう一度冷静になって話し合おう、と思ったらしいのだが。

 事もあろうか、祖父は自分の最低限の荷物をまとめると、早朝、祖母がまだ寝ている間に家を出て、そのまま、さっさと宇宙移民計画が実行されるアメリカの宇宙港へ、旅立ってしまったのである。

               ★

 アホだ。

 その話を聞いた当時まだ中学生だった睦実は、素直にそう思った。

 まあこれは、睦実のいた環境のせいもあるだろう。

 睦実の故郷である島は、昔から住んでいる人達もいたが、現在の社会情勢や環境に疲れ、移住してくる人達もいたのだ。

 そして、そこで生まれ育った子ども達は、就職や進学を期にいったん島の外に出る子も多いが、それでも約半数以上の子ども達は、ある程度の年月の後、島に戻ってくる。

 それは何故か。

 結論から言えば、合わないのだ、「都会」と言われる場所の生活に。

 便利だけど不自然で、何かと言えば、自己主張をすることが「正」とされ、常に周りの人間を「敵」と見なさなければやっていけず、何事も「スピード」が求められる。

 育った島との真逆の環境・価値観なので、たいていの子ども達は生活に疲れ、帰ってくるのだ。

 もちろん、都会に馴染む者もいる、だが、睦実の姉の実浩や叔父の貴宏のように、島の外に出ず、結婚をして子どもを育てている者も、増えてきている。

 つまり、睦実の価値観は、「何事も、こつこつと」「周りの人と、歩調を合わせて」「堅実に生活していく」と言う、日本地域が昔持っていた価値観だし、それは、島に住むほとんどの者が持っているものでもあった。

「今、実さんのこと、アホだと思ったでしょ?」

 そのことをよく知る祖母は、笑いながら言った。

「いやぁ、だって……」

 自分の思い通りにしないならいいよと怒って、話も聞かずに出て行くようなこと、睦実の周りでは、小さい子しかしない。

 それも保育園に通っている、小さい子達だ。

「まあそうじゃないと、宇宙飛行士なんて仕事、してないだろうしね。あれは、常に命の危険が一緒の仕事だから。迷って一瞬でも判断が遅れたら、自分はおろか、仲間だって死なせてしまうだろうしね」

「そうなの?」

「それに、即断即決が、美徳とされている環境でもあったのよ」

 そう。

 現代のーというか、宇宙歴の社会情勢は、「即断即決」が常に求められていた。 祖父はその職業柄と社会情勢ゆえに、そのような結論を出したのだと、祖母は言った。

「子どもの頃から、宇宙に行くのが夢だったって言っていたからねぇ。普通の人なら恐怖を感じるような場所にも、嬉々として行っていたから、根っから冒険好きだったんだよ。宇宙飛行士は、天職だったんだろうね」

 そんな、宇宙飛行士になるために生まれてきたような祖父(おとこ)は。

 アメリカの宇宙港の中にある、「宇宙移民計画実行センター」に行ってしまった後、徹底的に音信普通を貫き通したらしい。

 祖母は、祖父が出て行った後も、何度も「話し合いたい」というメールを祖父の携帯コンピューターに送っていたが、返事はこなかったらしい。

 そうしている間にも、宇宙移民計画はけっこうさくさくと進んでいった。

 テレビのニュースでも、移民に参加する人が決まった、宇宙船の建造も進んでいる、と毎日のように放送していたそうだ。

 それと同時並行するように、祖母のお腹にいた母も、順調に育っていった。

 祖父と連絡が取れない間も、祖母は色々と考えていたのだ。

 おそらく、夫は自分が財産やら荷物やらを処分して、宇宙港まで行くのを待っているのだろう、と。

 だがそうした時、問題が出てくる。

 まず、祖母自身の家族―両親のことだ。

 でもこれは祖母には兄がいたから、クリアしようと思えば、できる。

 しかし、次のお腹の子どもーこれは、どうなる?

 妊婦が宇宙に行くことは、まず有り得ないことだとされていた。

 宇宙飛行士の女性は、もし自身が妊娠した場合、たいていその仕事を辞めていた。

 妊娠した時、胎児は「重力」というものがないとしっかり育たない、とされていたからだ。

 無重力状態がある宇宙空間では、子どもに悪影響がある、とも考えられていたのだ。

 そして何よりも、妊婦が危険と隣り合わせの宇宙空間で、仕事をするのは、大変危険なことでもあった。

 では、子どもを出産した後はー?

これは、前例がないわけではなかった。

 だが、母が生まれる予定日は、移民船が出発する予定日の、少し後だった。

 そして、宇宙船での出産。

 これは、どう考えても危険(リスク)が高かった。

 お腹の子の発育と、出産。

 どちらを考えても、母をお腹に宿したまま、宇宙船に乗ることは不可能だった。 念のため、祖母は産科医に相談もしたのだが、

『冗談ですよね?』

と、真面目な顔で言われたらしい。

 そうなると、中絶しかない。

 だが、それだけはしたくなかったのだと、祖母は睦実に言った。

 そうだろうな、と睦実も納得した。

 祖母の性格からしても、そのことを選ぶだろう、と。

「でも、その実さんは、おばあちゃんが妊娠していたのを、知っていたの?」

 さすがに睦実は祖父のことを、「おじいちゃん」とは言えず、名前で呼んだ。

「いや……知らなかった。教えてないのよ」

「えっ、なんで?」

 もし我が子が妻のお腹の中に宿ったと聞いたのなら、さすがに祖父も考え直したのではないだろうか。

 そう、睦実は思った。

「何度も、メールに書こうとしたんだけどね…。多分、教えていたら、考え直してくれたかもしれないね」

「教えれば、良かったのに。そうすれば、残ってくれたかもしれないのに」

 まあそうなれば、義理の祖父と祖母は再婚しないことになるのだが。

「うん……でもね、そうなったらきっと、実さん、後悔したと思うのよ」

「えっ?」

「あの人にとって、太陽系の外惑星に行くことは、長年の夢だったの。もう、本当にそれだけのために、宇宙飛行士になったぐらいだからね」

「えっ? だって家族だよ? 我が子が生まれるんだよ?」

 それ以上に大切なことなど、睦実にはないように思えた。

 だが、祖母は言った。

「太陽系外の惑星に移住する計画は、あの後発表されてないだろう? あそこで行かなければ、実さんは、一生夢を叶えるチャンスを失っていた。多分……後悔しただろうね」

「おばあちゃん……」

「そしてね、思うのよ、きっと。何時もは思わないけど、朱実が言うことを聞かなかったり、ケンカをしたりした時に、『この子さえいなければ』ってね」

「……」

「それは、生まれてくる子が……朱実が可哀想かな、って思ってね」

 そうして、結局。

 祖父が出て行って四ヶ月後に、祖母は、地球に残ることを選んだ。

 それでも最後のあがきとして、「連絡をください」と、祖父の携帯コンピューターにメールを送った。

 そして最後の最後のあがきとして、一ヶ月、祖父から連絡が来るのを待ったのだ。

 返事は……来なかった。だから。

 祖母はまず、祖父名義で貯めていたお金を半分、自分の貯金口座に移した。

 そして、祖父名義の通帳と(どんなに通信機能が発達しても、重要な文書は必ず紙に印刷された)祖父のアルバム、祖父の亡くなった両親の位牌―そういったものを全部、祖父の愛用していた宇宙船用のバックに詰めて。

 祖父が、いつも大事な物をなおしていたバックのポケットに、自分の名前と判を記入した離婚届を(結局、重要な書類は紙に「書く」「判を押す」習慣は、睦実が大人になった時代でも、日本地域からは廃れなかった)入れて、アメリカの宇宙港へと送ったのだ。

 その祖母の行為に対しての返事は、祖父からはなかった。

 メールも、立体映像通信も、手紙も。

 ただ、その移民船が宇宙(そら)へと旅立つ日に、離婚届が着いた。

 きちんと、祖父の名と判が押してあったそうだ。

 それを持って役所に行った時、ちょうどその役場の大型スクリーンには、移民船が宇宙へと旅立つ様子を、ライブで放送していた。

 スクリーンの前ではしゃぐたくさんの人達を横目で見ながら、祖母は、離婚の手続きをしたそうだ。

 手続きが完了した後、不思議と涙は出なかったらしい。

 大型スクリーンに映し出された、小さくなった宇宙船を見ても、同じだった。

 祖母が泣いたのは、それから二ヵ月後。

 母が、誕生した時だった。


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