6
「それで、あんたは結局、何て返事を書いたの?」
お墓の前の花を生け代えながら、母が言った。
「ああ、うん……」
墓の近くから見える海を見ていた睦実は、母の言葉で、我に返る。
「たいしたことは、書いてないよ。『お手紙ありがとうございます。祖母は昨年逝きました。幸せだったと申しておりました。あなたも御健勝で』って感じ」
「他には?」
「書かなかったよ。書きようがないもん」
「まあ、そうだろうね」
花を生け終わった母は、手をはたき、頷いた。
「お母さんも、手紙書く?」
「何て? あんたが書いたようにしか、書けないのに」
「お姉ちゃんはどうかな?」
「同じじゃない? 興味すら、ないようだったよ。今は牛の交配で忙しいから、それどころじゃないって」
「ああ、義兄さんともめているんだっけ」
「樹(たつる)君は、交配も自然にしたいって言っているんだけど、実浩は、それじゃあ採算が取れないからって、譲らないし」
それでも、夫と協力しながら牛を育てている姉の様子を思い浮かべたのか、母は小さく笑った。
「まあ……そうだよねぇ」
母の言葉に頷きながらも、睦実は海へと視線を向けた。
「……血の繋がったおじいちゃんの手紙取りに行くの、そんなに重かった?」
母は、実の祖父のことを、「本当の」とは、言わない。
母にとっても、「本当の」父親は、芹沢実ではないのだ。
「ううん、そうじゃなくって……手紙、あれで良かったのかなって思って」
睦実は、宇宙開発センターから手紙を受け取った後、すぐ様この島へと戻って来た。
本当はもっとゆっくりと、次の週末の休みに戻るつもりでいたのだが、そうも言っていられなくなったのだ。
実は、宇宙開発センターのビルから出た直後。
睦実の持つ携帯コンピューターに、着信があったのだ。
見覚えのない番号だったので、一瞬嫌な予感はしたのだ。
しかし、間違い電話かもしれないと、通信を開始したのだが。
案の定、平面の画面に映った女性は、睦実の知らない人物だった。
そして、開口一番、睦実が受け取った「芹沢実」の手紙を、息子に譲って欲しいと言った。
例の手紙を一人で取りに来た小学生の母親らしかったが、睦実は新垣に言われた通り、
「何のことですか?」ととぼけ、間違い電話ですよと言い、回線を切った。
新垣から、もし手紙を欲しがる連中が個人的に接触してきた場合、どうすればいいのか、教えてもらっていたのだ。
そして、すぐに宇宙開発センターに連絡をして、そのまま故郷の島へと戻って来たのである。
個人情報(パーソナルデーター)である、睦実の携帯コンピューターの番号を、どうやって調べたのかはわからないが、のんびりできる状況ではないな、と判断せざるえなかった。
新垣にも、すぐに島に戻るように、通信で勧められた。
ただ、女性の方は宇宙開発センターが何らかの対応をしたらしく、その後の連絡はなかった。
またその後は特に何事もなく、睦実は一日かけて、故郷の島へと帰って来ることができたのだ。
ただ、異動する時間の中で。
これで良かったのか、と考えたのだ。
祖父の―芹沢実からの、手紙。
たった数行の短い手紙を、彼はどんな思いで書いたのか。
睦実は、彼への手紙の返事は、あくまでも「菱原千鶴の孫」として書いた。
芹沢実を「祖父」と思えない以上、それは当然のことだった。
だがそれは、地球から三十光年も離れた場所にいる人の気持ちを、傷つけるのではないかと。
嘘の気持ちでもいいから、もっと別のことを書いた方が良かったのではないか、と。
「いいのよ、それで」
しかし母は、あっさりと言った。
「お母さん……」
「だって、それは血の繋がったおじいちゃんが―芹沢実さんが、おばあちゃんに出した手紙でしょ? おばあちゃん以外の人からの返事なら、どんなことを書こうと同じよ」
「……そう?」
「それにね、睦実。あんたが思うほど、あの人は不幸でもないと思うわよ。本当に不幸なら、こんな手紙出したりしないって。まして、別れた妻にね」
睦実は、母を見た。
母は、にっこりと笑った。
「きっとね、自慢したかったのよ。『どうだ、俺はお前と別れて、こんなでかいことをしてやったぞ』って。それに対して、あんたは、『あなたと離婚した後、孫まで出来ました』って自慢仕返したんだから、それでいいのよ。本当の返事は、あの人があの世に行った時、おばあちゃんがしてくれるわ」
そう言った後、母は睦実が渡した手紙を、エプロンのポケットから出した。
「そのためには、ちゃんと届けないとね」
そして、火のついた線香と一緒に、それを墓の前に置いた。
手紙は一瞬、焦げ付いたかと思うと、線香と一緒に、すごい勢いで燃え出した。
「きっとあの世で会ったら、お互いどれだけ幸せだったか、延々と自慢しあうわよ」
「そうなの?」
幸せ、だったのだろうか。
祖母は疑いようもなく幸せだったと、睦実も思う。
だが、祖父は?
「一緒にいても幸せになれないから、別れたのよ? 芹沢実さんも、地球に残るよりは、ずっと幸せだったはずよ」
地球に残り母を生むことを決めた、祖母と同じように。
「後はね、睦実。おばあちゃんに任せよう。少なくとも、芹沢実さんに何の思い入れもない、あんたや私達が考えることじゃないよ。それは、二人に対して失礼よ」
「そうだね……」
もうすっかり灰になってしまった手紙を見て、睦実は頷いた。
芹沢実という人は、睦実の中では、「祖母の前の夫」と言う意味しかない。
血の繋がりがあろうとなかろうと、それ以外の言葉は、思い付きようがないのだ。
ならば、もう後のことは。
母の言う通り、祖母に任せるべきなのだろう。
芹沢実を、かつて夫として、愛した女性(ひと)に。
「さ、帰ろうか。お父さんも、睦実が帰って来るっていうから、楽しみにしているのよ」
「うん。あ、夕飯作り、手伝うよ」
「はいはい、助かります」
そうして。
二人が去った後に、残された手紙の灰は。
しばらく、墓石の前で留まっていたが。
海が夕闇に染まる頃、強い風に飛ばされて、高く高く舞い上がり。
やがて海の彼方へと、消えて行った。
★
後に。
睦実が、祖父の手紙を受け取ってから一年後に、地球の子ども達が書いた手紙を乗せて、小さいロケットが打ち上げられた。
それは、宇宙移民のいる移住先の―移住者達は、エデンと呼んだ―惑星に向けて、打ち上げられたものだった。
そしてそのロケットは、三十光年の旅路の果てに、無事エデンへと辿り着いた。
そこに積まれていた手紙は、まだ健在だった元クルー達の、家族から手紙の返事をもらえなかった寂しさを、十分に紛らわしてくれた。
それが、ほとんどの元クルーの家族から手紙の返事をもらえなかった「宇宙開発センター」の、狙いでもあった。
子ども達の宇宙へのあこがれや元クルー達への善望を利用して、家族からの返事がない事実を誤魔化したのだ。
だが、ただ一通だけあった返事の手紙は。
すぐさま、本人へと届けられた。
そしてここから先は、睦実には知りえないことだ。
その手紙を届けられた齢百を超える老人は、最後に書かれた睦実の名に、自分の名と同じ字が使われているのに気付き、静かに泣いた。
そしてその翌年に、男は静かに息を引き取った。
その直前に呟いた名は、別れた妻の名でもなく、唯一知り得た孫娘の名でもなく。
共に、宇宙移民を成し遂げ生きた、愛する者の名だった。
同じ年に、今度はエデンから子ども達の手紙を乗せたロケットが打ち上げられたが、この時には、睦実を含む、元クルー達の家族への手紙は、一通も乗っていなかった―。
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