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 地方の中規模ショッピングセンターではテナントに入るレディースのアパレル店も限りがある。服の系統はミセス向けかティーン向けのどちらかしかなく、渋々入店したティーン向けの店は小遣いを握りしめた地元の中高生で溢れていた。


「少し色が派手じゃない?」

『これがいい。美夜は赤が似合う』


 愁が選んだ紅色のケーブル編みニットは美夜の白い肌によく映える。先ほど同じ棚から色違いの白色のニットを高校生と思われる少女がレジに運んでいた。


 服にこだわりがない美夜でも自分よりはるかに年齢が下の客で埋め尽くされた店での買い物は気恥ずかしい。愁はそんなことは気にも留めず、美夜に似合う服を探し求めて店を徘徊している。


無精髭を生やした三十路の男がレディースのアパレルショップをうろつく様は常識的に考えれば女性客に疎ましがられる。けれど十代の中高生にしてみればオジサンの領域に入る愁を見つめる少女達の眼差しは一様に熱い。


「年下からもモテてますよ。あの子達が隠し撮りしないかヒヤヒヤする。今の子って写真撮ってSNSに載せることしか考えてないもの」

『今のところスマホいじってないから大丈夫だろ。田舎臭いガキ共が舞より可愛い女なら相手に考えてやってもいいけどな』

「シスコンねぇ」

『舞より可愛い女はいねぇし、美夜よりいい女もいねぇよ』


 さらりと放たれた口説き文句の裏側にはひとりにしてしまった妹への愛情が潜んでいる。置いてきた人々を気にしているのは愁も同じ。


 衣類と下着、手袋やスノーブーツの防寒具と食料品を買い揃え、帰り道に立ち寄った書店で二人はそれぞれ小説を一冊購入した。


 寄り道の本屋で愁が選んだ小説はフィクションを交えた歴史小説。暇潰しの流し読みをするにはこのジャンルの本がちょうどいいらしい。


 美夜が選んだ一冊は彼女にしては珍しい毛色の小説だった。数年前に人気女優を主演にしてドラマ化も果たしたシリーズものの長編小説の主人公は警視庁捜査一課の女刑事。


十代の頃ならいざ知らず、フィクションの推理小説に今の自分の食指が動くとは思わなかった。

ドラマ版で主演を務めた女優は今も活躍しているが、美夜は原作もドラマも知らない。


 女刑事主役のミステリーシリーズは全五作で完結らしいが、本を購入した小さな書店にはシリーズ作品の一作目と三作目、五作目が並び、二作目と四作目は不在だった。


一作目の文庫本は美夜が手元に呼び寄せたため、書店の棚には三作目と五作目の中途半端な巻数だけが今も並んでいる。


 美夜はシリーズ作品は一作目から順に読み進めるタイプだ。もしも書店に一作目がなく、三作目と五作目だけが並んでいれば、おそらく美夜はこの物語と出会わなかった。


 本も人も偶然の出会い。少しのボタンの掛け違いで、生まれて消えるもうひとつの世界線。

出会ってしまった後には、出会わなかった頃には戻れない。

ぬくもりを知った後は、ぬくもりを知らなかった頃には戻れない。


いつか悟るとしても。

いつか悔やむとしても。

戻りたくなかった。

離れたくなかった。


 帰路を辿る頃、車窓に雪がちらつき始めた。せっかちな雪雲は、夕方の訪問予定を少し早めたようだ。

雪を降らせ続ける空が完全に闇に呑まれると冷え込みはますます厳しくなった。


 強めの暖房が効いたリビングのテーブルにはささやかなクリスマスディナーが並ぶ。ショッピングセンターの食品売場で購入したオードブルセット、小さなホールのクリスマスケーキとロゼのワイン。

品物は安価でも二人で過ごす初めてのクリスマスを華やかに彩ってくれた。


 グラスに注がれた薔薇色にきらめくロゼで乾杯をした直後、席を立った愁は部屋の隅に放置された自身のセカンドバッグをまさぐり始めた。

戻って来た愁に渡された物は見覚えのある小さな紙袋だ。


『クリスマスプレゼント』

「これって前にムゲットで園美さんから受け取っていた物?」

『そう』


 素っ気ない返事を返した愁はロゼを喉に流し込み、何故かうつむいている。無言の彼の隣で紙袋を開いた美夜は気泡緩衝材きほうかんしょうざいに包まれた中身を取り出した。

緩衝材の奥から姿を現した物は美夜の手のひらの上を軽やかに転がる。


「指輪……?」

『まさか女に指輪を贈りたくなるとは思わなかった。人生初』

「照れてる?」

『照れてねぇよ』

「顔赤い」

『酔ってるだけ』


グラスの半分もワインを飲んでいないくせにその言い訳は通じない。頬の赤みの理由をアルコールに押し付けた愁が可愛く思えた。


 美夜から指輪を取り上げた愁は彼女の左手薬指にそっと、指輪を通した。美夜の指で輝く華奢な指輪はピンクゴールドに同じ色の鈴蘭の花が咲いている。細部にはオーロラのストーンがあしらわれていた。


『サイズは七号らしいが、少し緩いか?』

「大丈夫。……ありがとう」


 今度は美夜の頬が赤く染まった。愁が女に指輪を贈るのが初めてなら、美夜も男に指輪を贈られるのは初めてだ。


躊躇なく美夜の左手薬指に指輪を嵌めた愁の気持ちに泣きたくなった。潤んだ目元を誤魔化してケーキを口にする美夜を愁もまた、潤んだ瞳で見据えている。


 生クリームの雪原には真っ赤に熟した苺がいた。愁は自分の皿に載るケーキの苺を手掴みで口に運び、半分かじった苺を美夜の口に放り込んだ。

愁の食べかけの苺は瑞々みずみずしくてとても甘い。


「甘い……」

『甘いな』


 当たり前の感想を二人して呟いて、今度は美夜が指で持ち上げた生クリームつきの苺を半分かじる。美夜がかじった苺は愁の口に吸い込まれ、クリームが付着する彼女の指先も彼の口の中で弄ばれた。


「指、食べないでよ……」

『指舐められたくらいで発情するな』

「発情してるのはそっちでしょ」

『お前が物欲しそうな顔するからだろ?』


 今の自分がどんな顔をしているか、自分ではわからない。けれど相手から見える雄の顔と雌の顔が情欲の気配を煽っていた。


 ケーキを口に含んだ愁とキスを交わす。開いた唇の隙間から侵入した愁の舌先がケーキの味を美夜に届けた。

二人分の唾液にまみれた生クリームとスポンジと苺が咀嚼音を奏でながら口の中で甘くとろける。


ケーキの次に口移しで愁に飲まされたロゼが美夜の喉をゴクリと鳴らす。何度も何度も、愁は薔薇色のワインを口移しで美夜に飲ませた。


 ほろ酔いの美夜の身体がソファーに横たわり、愁もとろりと溶けた目尻を微笑ませてワインで湿った唇を美夜に重ねた。


キスの合間に口内に注がれるワインが美夜は上手く飲み込めず、薔薇色の液体が口の端から滴り落ちる。火照って桃色に色付いた首筋に一筋垂れたワインは愁が舌を這わせて舐めとった。


 髭のなくなった愁の顔は首筋に伏せられたまま浮上しない。肌を官能的に這う彼の舌の感触が美夜の奥をたかぶらせる。


身体が熱いのは口移しのワインのせい?

吐息が甘いのは愁の愛撫のせい?


 彼にもっと触れて欲しくて、もっと舐めて欲しくて、もっと吸い付くして欲しくて、もっと淫らに壊して欲しい。


 理性も思考もどこかに消えた酩酊めいてい間近の情事のはじまり。

苺よりもケーキよりもロゼのワインよりも甘ったるい愛に酔いしれて、神罰しんばつの恋人達はクリスマスイブの夜に深く沈んだ。

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