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 この国は“いじめ”の行為自体には鈍感でも、“いじめ”のワードには敏感だ。

過去も現在も、残酷な行為を見てみぬフリをしてきた傍観者や主犯に協力した共犯者は、自分とは無関係の場所で発生した他人のいじめのニュースが出るや否や正義の顔でいじめの主犯を言論で攻撃する。


かつていじめを傍観していた者、かつていじめの共犯になっていた者が手のひら返しに「いじめはよくない」と断罪する様は異様な気持ちの悪さがある。


 いじめグループのリーダーであった過去を暴露されてSNSで袋叩きに遭った芸能人もいれば、学生時代にいじめの加害者側にいたが、贖罪のつもりで世界からいじめを無くしたいとほざくベンチャー企業の社長もいる。その社長は政界への介入を目論んでいると小耳に挟んだ。


 伶が復讐依頼を受けて殺害したアイドルの小柴優奈にしてもそうだ。自殺した望月莉愛をいじめていた犯人が高倉咲希ではなく優奈だと世間に露見した途端、優奈への総攻撃が始まった。


死人にくちなし、死人に悪口は届かないと高を括った彼ら、彼女らは、故人となった優奈へのあらゆる誹謗中傷をインターネットの海にばらまいていた。


 伶が思うに、いじめの加害者をインターネットの世界で誹謗中傷する人間の中には過去にいじめられた経験がある者が半数は混ざっている。

自身が受けた過去現在のいじめと、他人のいじめのニュースを彼ら、彼女らは重ね合わせるのだ。


 SNS、匿名掲示板、動画サイト、ネットニュースのコメント欄で舞に向けられる罵詈雑言と敵意は、そのすべてが舞への恨みではなく舞に重ねている憎い“あいつ”への恨み。


いじめの被害者は、そうして自分が今度は加害者側に回っている現実に気が付かない。被害者は加害者になってもいつまでも被害者面をする。

舞への復讐をくわだてた大橋雪枝もそのひとりだった。


 立てこもり事件が発生した4日午後から、舞のインスタグラムとツイッターには中傷のコメントやダイレクトメッセージが寄せられている。

多い時は1時間にコメントやリプライが200件以上、ダイレクトメッセージが100通以上、すべて伶が舞に代わって削除していた。削除してもまた送られる中傷コメントは見えない敵とのいたちごっこ。


始末の悪いことに、舞のインスタグラムのユーザー情報は来栖愛佳を含めたフォロワー数の多いインスタグラマーを中傷する匿名掲示板のスレッドから流出していた。愛佳と親しい間柄にある何者かが、愛佳の悪口ついでに舞のインスタの情報を掲示板に書き込んだのだ。


 批判や中傷コメントを他人に送りつける人間のアカウントのほとんどが、アイコン設定のない、フォロワーもいない捨てアカウントだ。


素性を公表する度胸もない人間が平気で「イジメっ子は死ね」「お前に生きてる価値はない」とメッセージを送りつけてくる。

果たして今はどちらが“イジメっ子”であり、“生きてる価値”がないのか、奴らも馬鹿な頭で一度考えてみるといい。


 これ等の中傷のメッセージを舞に送りつけた人々を伶は一人残らず殺してやりたくなった。SNSに個人特定の痕跡を残している者に対しては愁に止められなければ居所を突き止めて殺しに向かっていた。


 愛佳との無駄なデートから帰宅した伶は自室にいる舞に声をかける。けれど部屋の外から何度声をかけても舞は応答しない。

一言断って舞の部屋に入室した伶は、ベッドの側で立ち止まった。


ベッドに寝そべる舞の手には、ちっぽけなこの世が握られている。スマートフォンに凝縮された小さな小さな世間が一斉に舞を責め立て、牙を剥いて襲いかかっていた。


『舞、今はスマホを見るのは止めよう』


 舞のツイッターとインスタグラムのアカウントは非公開にしてどちらのSNSもログアウト状態にある。これ以上、誹謗中傷の汚い言葉の刃で舞を傷付けさせないための苦渋の措置だ。


 だが、SNSが使えなくても舞はスマホを手放さなかった。昨日も一昨日も舞は隙あらばスマホを手にして立てこもり事件のネットニュースのコメント欄や匿名掲示板を感情のない瞳で閲覧している。


まるで自分で自分をわざと傷付けているみたいだ。そうやって心を静かな死に向かわせる舞の自傷行為は見ていられない。

こうなればスマホを取り上げる措置も検討しなければならないだろう。


『……舞、お願いだ。もう自分を傷付けるのは止めてくれ』


 伶は舞の傍らに膝をついた。舞の手から優しく没収したスマホは伶の手で電源をオフにされ、テーブルを滑る。

スマホを取り上げられても舞は無言だった。虚ろな二つの瞳が伶の姿を認知した時、封じていた心の叫びが決壊した。


「お兄ちゃん……舞どこが悪かったのかなぁ……なんで皆して舞を責めるのかなぁ……。だって、先生もクラスの子達も皆、ゆきちゃんを助けなかったよ? なんで舞だけが悪く言われるの……?」


 ポロポロと溢れる雫が舞の頬に添えた伶の手を濡らす。肩を震わせて咽び泣く舞の頭を彼は抱き込んだ。

せめてここだけは舞の安息の場所になればいいと願って、腕の中に舞を閉じ込める。


教師も傍観者の生徒達も主犯の舞ひとりに責任を負わせて、自分達は安全な場所から、今度は舞に後ろ指を指している。

真に残酷な人間は、いじめの主犯の舞ではない。手のひら返しの傍観者と共犯者達だ。


「パパはどうして、舞に会ってくれないの……? 朋子ママが舞を嫌ってるのは、ママが朋子ママからパパを盗っちゃったからかなぁ……」


 立てこもり事件の後、夏木十蔵はただの一度も舞の前に現れなかった。養母の朋子も鎌倉の別邸から一歩も出ようとしない。


 朋子に関しては、舞も養母に毛嫌いされている気配を薄々感じ取っていた。夏木家に引き取られた直後から、朋子は露骨に伶だけを優遇して舞をないがしろにしていた。

理由を知れば朋子の舞への仕打ちは大人げないが、仕方がないとも思える。


けれど仮にも舞と血の繋がった父親の夏木十蔵は真っ先に娘に会いにくるべきだ。病院にもこの家にも、一度も舞を見舞いに来ない非道な養父に伶は失望した。


「愁さんは……なんで舞のお兄ちゃんなの……なんで舞は……愁さんの妹なの……」


 泣きすがる舞が最後に口にした叫びは、やはり愁のこと。

泣き疲れて眠る舞の寝顔は悲しみに暮れた天使の顔。彼の心の最も柔らかな部分に存在する天使は、片方の翼をもがれて傷だらけだった。


 誰が天使を傷付けた?

 誰が天使を不幸にした?

 誰が天使の翼をもぎとった?


 飛べなくなった天使を、笑顔を奪われた天使を、居場所をくした天使を守らなければ。


 ──“伶……舞を守ってやってね。舞を守れるのは伶しかいないの……”──


 記憶に残る弱々しい母の声が脳裏にこだまする。

どうせ夏木伶の人生もゲームオーバーが近い。最後に行う犯罪は他人の殺意の代行ではない、みずからの復讐を。

守らなければ……天使を、この手で。

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