4-9
12月7日(Fri)
人々の視線がよそよそしい。誰も彼もが、侮蔑と好奇心と揶揄の視線を背中に向けてくる。
ある者は匿名掲示板に、ある者はSNSに、ある者はわざとこちらに聞こえる声で、彼と彼の家族の中傷を吐き捨てる。
人間とは醜い生き物だ。鉄壁と思われた城が崩れる様を、嬉々として傍観する人々の顔は非常に醜い。
しかしどれだけ後ろ指を指されても夏木伶は気にしない。醜い顔をした人々の波を平然とすり抜けて彼は法栄大学のキャンパスを闊歩した。
学生が集うピロティで来栖愛佳が待っている。伶の姿を確認した愛佳は手元のスマートフォンを慌ててバッグに戻し、余所行きの笑顔ですり寄ってきた。
愛佳の作り笑いが気持ち悪い。にこりとも笑わない伶の腕に自分の腕を絡ませた彼女は、棒立ちの伶を引っ張るように大学の敷地から退散した。
人目を気にしてまで延命させる恋人関係に何の価値がある?
カフェに入っても終わらない愛佳の無駄話に溜息が漏れる。今日の無駄話はクリスマスに浮かれる街を彩るイルミネーションの話題。
今年は六本木と銀座が見所だの、昨日芸能人が点灯式を行った横浜の新スポットのイルミネーションが注目されてるだのと、先ほどからインスタグラムの写真を延々と見せられている。
新宿に先月オープンしたこのカフェの一番人気はバスクチーズケーキだ。個数制限があるバスクチーズケーキを求めて来店した客達はすでにケーキが売り切れの事実に落胆し、恨めしげに店内の愛佳を眺めている。
愛佳の前には手をつけていないバスクチーズケーキが皿に載ったままだ。ケーキが席に到着しても、彼女はインスタに載せるためにケーキの写真を撮影しただけでフォークを持つ気配すらない。
個数制限で勝ち取ったケーキを食べるよりも伶との会話に必死な愛佳が哀れで鬱陶しい。ケーキを食べないのならば欲しがっている他の客に譲ってやればいいのに。
「それでね、ビルの屋上庭園のイルミネーションがとっても綺麗で……」
『愛佳、別れよう』
延命のお遊びも終わりだ。彼は魔法の一言で愛佳のお喋りを強制的に停止させた。
瞬時に凍り付く愛佳の顔も、かろうじて口元はひきつった笑みを残している。
何十人と人を殺している伶が言える立場でもないが彼女には良心が欠落していた。愛佳は仮にも友人だった女の殺人を金と引き換えに依頼する人間だ。
「なんで……?」
『俺が気付いてないとでも思う?』
漏れた失笑はコーヒーと共に喉の奥に呑み込まれる。空にしたコーヒーカップをテーブルに戻した伶の表情に笑みはない。
『夏木コーポレーションがホテル開発の件でバッシングされ、舞はいじめの主犯扱い。会社は株価も落ちてそのうち倒産だろうと噂されてる。父親の権力が地に落ちた俺には魅力を感じなくなったんだろ?』
言葉に詰まる愛佳の態度が伶の指摘を図星だと示している。コートを羽織って席を立つ伶の腕に蒼白の愛佳が絡み付いた。
「待って伶くんっ! ごめん、ごめんなさい……違うの……」
『何が違う? 俺と居ても愛佳は人目を気にしてる。今も沈黙を避けようとケーキも食べずに必死で話を繋げていた。舞のインスタのフォローも解除して舞との繋がりを切ったんだよな? 俺達と関わりたくないなら、俺と別れてさっさと新しい男を見つければいい』
「そんなこと言わないで……。私は本気で伶くんが好きなの……。舞ちゃんのインスタのことは謝るからお願い……別れたくないよぉ……」
これ以上、愛佳の茶番に付き合わされるのはうんざりだ。
伶が心から大事な存在は舞だけ。舞を傷付ける者は誰であろうと許さない。
カフェの店員や居合わせた客の好奇の視線をひしひしと感じる。店内で繰り広げられる痴話喧嘩を野次馬根性を隠しもせずに面白がる人間の心理はまったくもって理解できない。
『悪いけど、愛佳に構ってる暇はないんだ。俺への恨み辛みならツイッターにでもどこにでも好きに書けばいいけど舞の悪口だけは絶対に許さないから。それと食べ物を粗末にする人間は嫌いだ。要らないならそのケーキは他に譲ってやれよ』
店員と客の好奇の目も泣いてすがりつく愛佳も
愛佳がどうしても今日に会いたいとねだったデートも結局は無駄な時間だった。
舞が人質になった立てこもり事件は世間に大々的に報道されている。舞はいじめの加害者でもあり、立てこもり事件の被害者でもある。
舞を気遣う良心が愛佳に少しでもあれば、舞の看病につく伶の時間を拘束する行いはできない。今日のデートをねだった愛佳の行動そのものが彼女の本心を物語っていた。
新宿駅に向かう伶は街の雑踏に視線を走らせる。この人混みに紛れてどこかで刑事が見張っているかもしれない。
一昨日、木崎愁は警視庁に出向いて事情聴取を受けていた。名目上は紅椿学院高校の立てこもり事件の聴取でも、それが建前に過ぎないと愁も伶も承知している。
警察の目当ては愁だ。現場に己の痕跡を残さず犯行に及ぶジョーカーの正体を突き止めようと警察は躍起になっていると伶は思い込んでいた。
だから近いうちに愁ではなく伶への任意の聴取が要請される可能性を愁から示唆された時、伶の心には小さな動揺が生じた。
知らず知らず犯していた致命的なミス。
〈agent〉の復讐代行の受付フォームを送信したアプリ利用者に警察関係者が紛れ込んでいたという。心当たりのある利用者のデータを解析したが、該当者二名のアプリは脱会とアンインストールされ、位置情報も追えない状態になっていた。
伶はまんまと敵の術中にはまった。警察にも頭の働く人間がいるらしい。
つまらないモラトリアムも復讐代行もそろそろゲームオーバーだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます