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「小柴優奈の殺害も優奈の恋人のケイを調べていた笛木さんの殺害も犯人は不明です。優奈がどうやって〈禁断の果実〉を入手したかもわかっていない。もしも優奈に禁断の果実を与えた人間がケイならば、ケイは禁断の果実の密輸ルートを持つ夏木十蔵に近しい人間です」

『それが伶だと?』

「可能性としては、の話です。木崎さんはどう思われますか?」

『どうも何も。自分が関知していない事柄に持論を述べる気はありません』


 狼狽えもせず激昂するでもない。落ち着いた素振りの木崎愁のポーカーフェイスはいまだ崩れず、しぶとく本性を表さない愁に美夜と共に隣室で聴取を傍聴する上野一課長や百瀬警部はヤキモキしていた。


それは聴取を行う真紀も同じだろう。付き添いの杉浦と視線を合わせた彼女は最後の手札を切る判断を下した。


「では最後に夏木コーポレーションの子会社、エバーラスティングに関する質問です。エバーラスティングでは2016年1月からスマートフォン専用アプリの配信を開始していますよね。中でも最も売上の大きいアプリが〈agent〉と呼ばれるクライムアクションゲームです」


 エバーラスティングや〈agent〉アプリの名にも愁は動じない。マジックミラーを隔てた隣室で真紀と愁の攻防戦を見つめる美夜は、先ほどから気持ちの悪い引っ掛かりを感じている。


気持ちの悪さを感じたのは捜査会議の議題が連続絞殺事件に移行した時だ。エイジェントは何故、凶器を八ミリのロープにしているのか。

復讐代行殺人とされる一連の未解決事件の殺害方法はすべて絞殺。

エイジェントはロープによる絞殺に執拗にこだわっている。その理由は?


 美夜が黙考している間も愁と真紀の一進一退の駆け引きは続く。真紀の話はエイジェントの復讐代行を誘うご依頼受付フォームと2016年から始まる連続絞殺事件の追及に入っていた。


「先に述べた〈agent〉アプリと連続絞殺事件は繋がっていると我々は考えています。アプリ利用者にメッセージを送信したエイジェントの正体をあなたはご存知ですよね?」

『俺は一介の会長秘書ですよ。子会社の業務内容まで把握していません』


 連続絞殺事件で使用された凶器は園芸用のロープ……。

園芸、植物、観葉植物、植木鉢……連想する言葉に従って次々と記憶のアルバムが美夜の脳内に再生される。事実に気付いた彼女の戦慄の横顔を眉を下げた九条が見つめていた。


『神田、大丈夫か? 廊下出る?』

「うん……」


 九条に連れられて美夜は暗闇の室内から明るい廊下に這い出した。廊下の明るさが目に慣れず、彼女はしばし瞬きを繰り返す。


『やっぱり木崎の聴取を見るのはキツかったよな』

「違う。そうじゃなくて……前に木崎さんの家で見てるのよ。観葉植物の吊り下げに使われていた……あのロープ……」


上手く言葉が出てこない。とにかく確認しなければ九条にも上野にも事実を伝えられない。


 捜査一課の自分のデスクに戻った美夜は連続絞殺事件の特別捜査本部が作成したデータベースで捜査資料を検索する。データベースには夏木コーポレーションと夏木十蔵に関係したあらゆるデータが集約されている。


彼女が検索したデータは伶と舞の母、明智紫音の自殺に関する捜査資料だ。記憶の底から引きり出した真実と15年前の真実を照らし合わせて見つかった新たな真実。


 冷めない戦慄を抱えて美夜は取調室に引き返す。愁の聴取はまだ続いていた。

今後の自分が選択するべき行動を慎重に吟味ぎんみし、彼女は覚悟を決めた。


「一課長、私に木崎愁の聴取をさせてください」


美夜の申し出に百瀬警部が異議を唱えようとしたが上野がそれを制す。上野は部下の話も聞かず頭ごなしに否定を突き返す上司ではない。


『できるのか?』

「はい。これは私にしかできない役目です。お願いします」


 美夜が繋ぎ合わせた過去と現在の真実を聞き終えた上野の判断は迅速だった。取調室に入室した美夜は真紀と交代して愁の前に腰を降ろす。


愁は取調室に現れた美夜を目にして初めて怪訝な表情を見せた。一度もポーカーフェイスを崩さなかった彼の口元はニヒルに曲がっている。


『今さらどうした? 外されたんじゃなかったのか?』

「上司に許しをもらった。……あなたに確認したいことがあります」


 尋問相手は真夜中の楽園に共に堕ちた男。

愛の罰を共有する共犯者。

いつかはこうなると定められた宿命だ。


「15年前に伶くんと舞ちゃんの母親、明智紫音さんは自殺しました。死因はロープによる首吊りで、自殺に使われたロープは紫音さんが趣味の園芸に使用していた園芸用のロープでした。紫音さんは園芸が趣味だったようだけど血は争えないのね。伶くんも園芸が趣味だと、夏にあなたの家にお邪魔した時に言っていましたよね?」


無言の彼は美夜だけにわかる微妙な表情の変化を見せている。真夜中の色と同じ暗い瞳が悲しげに揺れていた。


「2016年から始まった連続絞殺事件、凶器は八ミリ幅の丈夫な麻なわロープと推定されています。おそらくは園芸用のロープだと。これが紫音さんが自殺に使用したロープと同一の商品です。ハッピーフォレストと言う園芸用品の企業が販売しています」


 紫音が自殺に使用したロープは農業資材専門企業、ハッピーフォレストが製造した麻なわロープだ。現在も15年前と同一の商品が流通している。


「こちらは連続絞殺事件の凶器と推定されているロープを科捜研が立体再現した画像です。類似の参考商品にハッピーフォレストの八ミリ麻なわロープも挙げられています」


美夜はハッピーフォレストの麻なわロープの画像と科捜研が3D再現したロープ画像をタブレット端末に順に表示した。


「私はあなたの家で似たロープを見ています。リビングの窓辺には植木鉢に入れた観葉植物が沢山吊り下げられていましたよね。土と植物の入る植木鉢を吊り下げるロープの材質は麻なわだった記憶があります。そして、あなたや舞ちゃんは園芸には興味関心がなく植物の世話はもっぱら伶くんが担当していると、あなた達が私に話してくれたことです」


 これが真実だとすれば非常に恐ろしい。

木崎愁の恋人役を引き受け、彼の家に招かれた花火の夜に美夜は連続絞殺事件の凶器を目にしていた。


「伶くんへの任意の聴取を許可してもらえますか?」

『未成年の舞はともかく伶は成人してる。聴取を受けるかは伶の判断に任せる』


鉄壁のポーカーフェイスが歪んだ刹那、愁が見せたかげりは美夜にしか見えない。


 同じ真夜中に堕ちた者だけが知る愁の痛み。父親の命令で母親を手にかけ、父親の都合の良い殺人ロボットに仕立てあげられた木崎愁は、血も涙もない冷酷な殺人鬼ではない。


「私はあなたが理解できない。だいたい、他人を理解しようだなんて無理だもの。だけどたったひとつ、確信を持って言える。あなたが守りたい存在は父親の夏木十蔵ではなく、伶くんと舞ちゃんよね? 伶くんと舞ちゃんのためならあなたは自分の命すら投げ出す覚悟がある」


 見つめ合う瞳は甘い闇。ここに真夜中の暗闇がふたつ。

ふたつの暗闇はひとつに溶け、さらに深く、互いの闇を濃く染め合う。それがふたりにとっての愛を語る行為だと彼女と彼は理解していた。


「伶くんが殺人代行を請け負う連続絞殺犯……エイジェント?」

『さぁな。俺は何も知らない』


 冷酷になりきれない殺人鬼の宝物を女刑事は冷酷に裁かなければならない。


 彼の心の泣き声が聴こえた。

殺人鬼のポーカーフェイスの半分は泣き顔だった。それを見た女刑事のポーカーフェイスの半分も泣き顔に崩れていた。

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