4-5
愁の聴取担当は真紀だ。補佐には杉浦が付き、真紀と愁がスチールの机を囲んで向かい合った。
まずは先日の立てこもり事件の聞き取りから入る。
美夜と九条の小型カメラで撮影した映像をタブレットで流しながら当時の愁の行動を順を追って確認した。真紀が繰り出す質問に淀みない返答を返す愁のポーカーフェイスはまったく崩れない。
「この場面での滝本への対処は見事でした。武道の
『幼い頃に合気道や空手に剣道、武道の習い事は一通りこなしてきました。一度体に身に付いた技術は消えませんよ』
「習い事で身に付けたわりには、木崎さんの動きは日頃から身体を使い慣れている……そう見受けられました。腕っぷしの強いうちの刑事でもあそこまで動けませんよ?」
『キックボクシングのジムには趣味程度に月数回通っています。ジムのオーナーに確認いただいてけっこうですよ』
犯人グループ制圧に際して愁が見せた格闘技の数々は民間人の技量を越えていた。
警察官の美夜と九条を
殺伐とした殺人業務と愁との関わりを誰もが連想した。これが愁とジョーカーを結びつける糸口となると踏んだ捜査本部は、愁のポーカーフェイスの切り崩しを試みる。
だが、愁は格闘慣れをキックボクシングのジム通いのおかげだと証言した。彼は新宿のキックボクシング専用ジムの名前を告げ、悠々と椅子に深く腰掛けた。
そう簡単には愁もジョーカーの顔を覗かせない。切り崩せるなら崩してみろと、ポーカーフェイスの口元が挑発的に微笑んでいた。
キックボクシングジムの詳細をメモした真紀は立てこもり事件の話題を早々に切り上げた。元々、愁の聴取の本題は立てこもり事件ではない。
真紀は茶封筒から取り出した書類を愁に差し出した。彼女が見せた紙切れは愁の戸籍に関する書類だ。
「あなたのお母様、木崎凛子さんは5年前に失踪宣告を受けて死亡扱いになっています。凛子さんは夏木グループの系列ホテル内のレストランでウエイトレスとして働いていましたが、85年にレストランを退職した1年後に未婚であなたを出産されている。戸籍の父親の欄は空白となっていますが、あなたの父親は夏木十蔵ですか?」
『ええ、俺の父親は夏木十蔵です。母は夏木十蔵の愛人でした』
愁は夏木十蔵との血縁関係をあっさり認めた。DNA鑑定でもすれば簡単に知れてしまう事実を隠しても仕方がない。
「お母様は何故失踪を? 夏木会長との間に揉め事があったのですか?」
『母は男好きな人でした。失踪前には母と夏木十蔵との関係はとっくに冷えきっていましたし、その頃の母はホスト遊びに夢中だった。お気に入りのホストと駆け落ちでもしたんだと思っています』
「警察にはあなたの名前で捜索の届けが出されています。夏木十蔵の人脈を駆使すれば、お母様の捜索も可能だったのでは?」
『父は最初から母を捜そうともしなかった。来る者拒まず去る者追わず、夏木十蔵とはそういう人間なんです』
自分が殺した母親の話を愁は淡々と語る。どこまでが真実でどこからが偽りか、美夜だけが愁の真実を知っていた。
愁の母親は今この瞬間も、鎌倉にあるという夏木家別邸の庭に埋まっている。
「……話題を変えます。10月の中頃、群馬県の山中で男性の白骨体が見つかりました。DNA鑑定の結果、白骨化した遺体はジャーナリストの
真紀は笛木周平の顔写真を机に置いた。愁は写真を見下ろすだけで何も言わない。
「笛木さんは10月に殺害されたアイドルの
笛木周平の顔写真の隣に笛木が撮影した小柴優奈と男の写真が並んだ。
真紀に笛木周平の失踪と優奈の交際相手の情報提供をした人物は、美夜も対面した週刊ルポルタージュの桑田記者だった。
「小柴優奈の隣にいる男性に見覚えはありますか?」
『それを俺に
「質問の仕方を変えましょう。この男性は優奈からは“ケイ”と呼ばれていました。ケイと優奈は男女の関係にあり、優奈は殺される直前もケイと会う約束をしていました。ケイは、あなたの身近にいる人に容姿が似ていると思いませんか? 例えば、夏木会長の養子の夏木伶さん……とか」
木崎愁がジョーカーだと証明できる証拠は現時点ではないに等しい。ジョーカーが起こしたと思われる殺人事件は立証できない事件が多く、今のままでは愁自身の自白がない限り愁を逮捕できない。
だから捜査本部は方針を変えた。木崎愁のウィークポイントに狙いを定め、揺さぶりをかける手法に打って出たのだ。
『伶に似ているかと言われると、見た目は似ていますね』
「目元はサングラスで覆われていますが、これがサングラスを取り除いてモンタージュのシミュレーションをしたケイの顔です。夏木伶さんの顔写真は大学のホームページに掲載されていた写真を使用しました。シミュレーション画像と合わせると、ケイと伶さんは骨格、目元、口元、鼻の形がほぼ一致します」
伶が在籍する法栄大学のホームページから、受験生に向けた学校紹介ページに掲載された夏木伶の顔写真をモンタージュ作成用に拝借した。
シミュレーションをした結果、優奈の恋人の“ケイ”と夏木伶の顔の骨格、目、鼻、口の位置や形の類似度は96.7%。ほぼ同一人物との結果が出ている。
タブレット端末に表示されたシミュレーション画像を見つめる愁の瞳はとても暗い。この場にいる誰よりも愁の深層に近い美夜であっても、愁の感情はまったく読み取れなかった。
『写真の男が伶であっても、それだけでは伶が小柴優奈と親しい関係にあったという証拠にしかならない。アイツの交遊関係には干渉しない主義です。芸能人との付き合いは刑罰の対象にはなりませんよね』
「お付き合いだけでしたら個人の自由です。ですが、小柴優奈は薬物使用の常習でした。優奈の自宅からは数種類の違法薬物が見つかっています」
『伶も女と一緒に薬物を使用していたと?』
「そうとは言っていません。データばかりで恐縮ですが、もう一枚、こちらをご覧ください」
真紀が愁に提示した三枚目の写真は小袋に包まれたオレンジ色の粉末の写真だ。
「この粉末の名前は〈禁断の果実〉。脳に性的刺激を与える中東製造の媚薬であり、今の日本では入手困難な違法薬物です。かつて禁断の果実の密輸ルートは、犯罪組織カオスが握っていました。夏木十蔵とカオスのキングはビジネスパートナーの間柄にありましたよね。カオス壊滅後の密輸ルートは夏木会長に譲渡されたのではありませんか?」
『夏木十蔵が裏社会の人間とこそこそ取引している噂は耳にします。そういった話は会長に直接聞いてください』
夏木十蔵とカオスの話題に切り込まれても愁は
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