3‐17

 逮捕した水穂を杉浦刑事に引き渡す。手錠で両手を繋がれた水穂は精神が虚脱した身体を機械的に動かしていた。

夜明け前と同じ暗さの彼女の瞳に美夜が映る。


「ねぇ、そこの刑事さん。上に行くなら気をつけてね。あの子は人殺しの私よりも性格歪んでるよ」

「あの子? 雪枝ちゃんのこと?」


水穂は力なくかぶりを振り、薄笑いの口元が妖しく動いた。


「雪枝は可哀想だよね。あの子は利用されてるだけ。雪枝は爆弾を偽物だと思ってる。そういうことにして皆で雪枝を騙したの」


 気掛かりな言葉を残して水穂は杉浦に連行されていく。人質の少女にも怪我はなく、多田刑事が校舎から連れ出してくれた。


 まだ美夜達には最後の仕事が待っている。爆発までの残り時間は30分。


「九条くん、雪枝ちゃんの説得できそう?」

『俺がやるしかない。このメッセージを見て確信した。雪枝ちゃんは俺を待ってるんだ』


 九条と雪枝のトークアプリのメッセージ欄には、雪枝が応答してくれなかった通話の通知と「ごめんなさい」の文字が寂しげに並ぶ。


雪枝が設定しているトークアプリのアイコンは夕焼け空の写真だ。美夜はこれまでも捜査の一貫で嫌と言うほど高校生のスマートフォンを閲覧してきた。


十代少女のトークアプリのアイコン画像は友達や彼氏と写った写真やプリクラ、愛犬や愛猫の写真が多い印象だ。真っ赤な太陽に染められた夕焼け空のアイコンは綺麗ではあるが言い様のない物悲しさもはらんでいる。


 五階、高等部一年生の廊下は小声で交わす会話や控えめな足音さえも周囲に届いてしまうほど静寂に満ちていた。

高等部は全部で七クラス、美夜達から見て右側にAからDの四クラスが、左側にEからGの三クラスが並んでいる。C組は右サイドの手前から三つ目の教室だ。


他のフロアより一段と緊迫を濃くした異様な空気が五階に膜を張っている。廊下側の窓越しに教室に閉じ込められている生徒や教師が震える眼差しをこちらに送っていた。


 立てこもり早々に犯人グループが流した校内放送では、五階にいる教師と生徒がひとりでも教室の外に出ればタイムリミットの16時を待たずに爆弾を爆破させると脅しをかけたそうだ。


だから五階のクラスで授業を受け持っていた教師も生徒も教室でじっと警察の救助を待っている。巻き込まれた人達のためにも早急にこの事件を終わらせたい。


 異様な空気の根源、1年C組に辿り着いた。教室の扉を開けた先にいたのは椅子に縛られてうつむく舞と、舞の側に仁王立ちする雪枝だ。


ここに来る間に美夜と九条は銃をホルスターに戻していた。雪枝話し合いで解決したいと申し出た九条の想いを美夜は汲んだ。


『雪枝ちゃん、迎えに来たよ。こんなことはもう止めよう』


 九条の顔も見ずに雪枝は首を横に振る。二つ結びにしたセミロングの髪が左右に揺れ、長めに伸びた前髪の隙間から湿っぽい瞳が覗いていた。


「来て欲しいのに来て欲しくなかった。九条さんにだけは会いたくなかった」

『俺は会いたかったよ。会いたかったからここまで来たんだ』

「でも神田さんも一緒なんだね」

『相棒だからね。神田さんも雪枝ちゃんを助けに来てくれたんだよ』

「……助ける? 逆でしょ。九条さんも神田さんも私を逮捕しに来たんだよね」


 年上の男への恋慕を隠せなくなった少女はニヒルな笑顔を浮かべた。口元を斜めにしてわらう雪枝は九条ではなく美夜を見ている。


 九条と美夜のバディ関係を社会人でもなく警察官でもない雪枝がどの程度正しく理解しているかは知らない。利発な雪枝は、頭では九条と美夜が行動を共にする事情を職務上の理由からだと理解はしている。


しかし四六時中、好きな男の側を当然な顔で独占する女は恋をする女の邪魔者でしかない。


「九条さん達が助けに来たのはこの子だよね? このいじめっこのワガママ姫を助けるためにそんな怪我までして……」


 雪枝の対応は九条に任せ、美夜はこの教室内で雪枝よりも誰よりも、美夜の登場を驚いている少女に微笑みかけた。


「舞ちゃん、私のこと覚えてる? 夏に一度会ったよね」


 立てこもり開始から3時間が経過している。3時間も椅子に縛り付けられたままの舞の表情は憔悴していた。排泄行為も禁じられ、飲み物も飲ませてもらえていないのだろう。


これでは監禁と同じだ。舞が雪枝に行っていたいじめの程度は定かではないが、SNSや動画で現在の舞の姿を晒し者にした雪枝の仕返しは酷すぎる。


 美夜を見据えた舞は小さく頷いた。捕らわれの少女が絞り出した声はかすれて小さい。


「……覚えてる。……愁さんの……」

「ごめんね。あの時、私はあなたに嘘をついた。私の仕事は公務員ではあるけれど、区役所の職員ではなく警察官なの。私は刑事だから舞ちゃんも雪枝ちゃんも両方助けに来た。でもここに、舞ちゃんが学校で何をしていようと、舞ちゃんだけを命懸けで助けに来た人がいる。誰かわかるよね?」


美夜の背後に控えていた愁を目にした舞の瞳にみるみる涙が溜まっていく。


「愁さん……」

『舞、遅くなって悪かった』

「来てくれたんだ……」

『今日は迎えに行くって朝に言っただろ?』


 舞への慈愛に満ちた愁の優しい声。舞がいじめの主犯だろうと世間から中傷を受けようと、愁にとって舞は大切な妹だ。


彼がどんなに舞を家族として愛しているか美夜は知っている。愁のこんなに優しい声は彼女も初めて耳にした。


 美夜と九条が背負う命は人質一四〇〇人分でも、愁はただひとりの妹のために命を張ってここまで乗り込んできた。

愁は最初から舞の救出しか眼中にない。冷酷な人殺しのくせに妹のためなら自分の命も惜しまず助けようとする。

木崎愁とはそういう男だ。

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