3-16

 美夜達のいるトイレはA棟とB棟を繋ぐ東側の渡り廊下横にある。SITが反対側の西階段から四階生徒達の避難誘導を開始したとインカムを通じて連絡が入った。


四階までの生徒が全員避難すればひとまず中等部の生徒の安全は確保された。人質の数が少なくなるほど警察は動きやすくなる。


 四階から上にはまだ高等部の生徒達がいる。爆弾が仕掛けられた本陣の五階1年C組を爆破予定時刻の16時までに制圧しない限り、五階、六階、七階の生徒の避難はできない。


上野一課長の指令は水穂をトイレから出さないこと。四階の生徒の八割が避難するまでなるべく水穂との会話を引き伸ばし、人質の安全を考慮した上での速やかな逮捕が美夜と九条に課せられた任務だ。


「私、少年鑑別所にいる弟さんに面会したのよ。数日前、勇喜くんと同じ学校に通う生徒が殺された件でね。勇喜くんのクラスメイトの紺野萌子を知ってる?」


 萌子の名前が出た途端に水穂が発した狂気を含んだ笑い声に寒気がする。水穂をトイレの外に出さず尚且つ、水穂から人質を離すにはどの策が最善か美夜は模索していた。


「あのマウント女は私が殺した」

「私も萌子を殺した犯人はあなただと思った。ただの勘だったけれどね」

「勘でわかっちゃうって刑事は凄いね。どうして私が萌子を殺したと思ったの?」

「まずはあなたの家ね。あなたは萌子の殺害現場に近い南千住のマンションに住んでいる。殺害現場付近の不審者の目撃証言がなかったのも当たり前よね。近くに住む人間なら犯行現場周辺を歩いていても不審に思われない」


 人は普段から見慣れている人物を不審者とは認定しない。南千住八丁目を構成する住宅街の住民が同じ地区の公園を出入りしていても不自然ではなかった。


近隣住民の目撃証言が出ないはずだ。住民達は確実に水穂の姿を見ているのに、水穂が見えていなかったのだから。


「次があなたの経歴。出身校が勇喜くんと萌子が在学している高校と同じ荒川第一高校だった。それも2016年3月卒業、三年生の時の担任は陣内克彦」

「あーあ。そんなことまでわかってるんだ。じゃあ私が萌子を殺した動機はわかる? 多分わからないと思うよ」

「勇喜くんが萌子の人柄を話してくれた。萌子は他人を見下す物言いや成績が良いことへの優越感から周りの反感を買うタイプだった。萌子はあなたにも同じ行いをしたんじゃない?」


 語られない萌子と水穂の接点や殺害に至るいざこざは想像するしかない。

水穂と勇喜の姉弟、萌子と勇喜、萌子と水穂、絡み合う相関図の中心にはデリヘル嬢連続殺人事件を犯した21世紀の切り裂きジャックこと、陣内克彦がいる。


美夜が心の奥底に封じた10年前の殺意を見抜いたあの男は暗い影を落としてどこまでも彼女を追いかけてくる。またしても陣内の教え子と対峙するとは思わなかった。


「勇喜があの事件で捕まるまで、萌子が勇喜のクラスメイトって知らなかったんだ。萌子とアプリでチャットしてる時は私もあっちも本名じゃないし、勇喜の同級生と勇喜の姉だと知らずに私達はチャットしてた」


 匿名のチャットアプリは雪枝と犯人グループを繋げた場所。要するに水穂も、勇喜の存在を間に挟んでいるとは知らずに萌子と知り合った。

二人の女のいざこざの大方の筋書きが読めてきた。


「うちの親どっちも性格最悪の毒親なんだ。家では私と勇喜、お互いだけが味方だった。離婚した後も勇喜とはずっと連絡し合ってたの」


 離婚後、水穂は母親に、勇喜は父親に引き取られた。


 鑑別所で勇喜のカウンセリングを担当したカウンセラーの話では勇喜が幼い頃から両親の仲は冷えきっていた。子どもが健全な精神を養える家庭環境ではなかったそうだ。


21世紀の切り裂きジャックに心酔した勇喜の女児や女性に向けられた破壊衝動は、長年蓄積された両親への不満やストレスが起爆剤となったのではとカウンセラーは見解を示した。その見解は同じ家庭環境で育った姉の水穂にも当てはまる。


「私、高校デビュー失敗組なの。受験の時に試験監督だった先生に一目惚れして、先生に好かれたくて目立とうと頑張って陽キャになろうとして、調子乗っちゃって。同じクラスのカースト上位の女に嫌われていじめのターゲットになった。でも先生が絵茉を殺してくれた時はスカッとしたなぁ……。絵茉はカースト上位のグループに金魚の糞みたいにくっついて、一緒に私をいじめてきたの」


 “先生”と“絵茉”。これだけ情報が揃えば水穂が萌子を殺した動機の想像は容易かった。

21世紀の切り裂きジャックに傾倒していた人間は萌子と勇喜だけではない。


「一目惚れした先生が陣内克彦?」

「そうだよ。先生が殺人犯って知って嬉しくなったんだ。先生も私と同じ種類の人間だった。先生は常識に囚われない人。誰とも群れずに飄々としてかっこよかった」


 水穂や萌子、勇喜も、心に闇を抱えた者はある種のアウトローに引きずられる。健全な精神の人間が忌み嫌う存在を慕い、憧れの対象とする。


SNSでも21世紀の切り裂きジャックや月曜日の切り裂きジャックを称賛する声が見受けられた。過去には犯罪組織カオスやカオスのキングにも熱烈な狂信者やファンがいたと聞く。


 人質の少女に美夜は視線を送った。震える少女は美夜の視線と同じ方向を見つめ、そこにいる愁とも少女は視線を交えた。


女は好きな男の話をいつまでも語りたがる。水穂は陣内の話題に酔っていて美夜と少女のアイコンタクトにも気が付かず、美夜の時間稼ぎにも気付かなかった。


「私と勇喜は歳は違っても双子みたいに考えや行動がシンクロするの。思ってることがいつも同じ。陣内先生の真似をして人を切ってみたいと言った私に勇喜は同調してくれた。最初に私が小学生を切って、次が勇喜。私も勇喜もだんだん止まらなくなった。人を切るってたのしいよね。小学生じゃ物足りなくてさぁ、萌子の身体をグサッとやった時の快感は気持ち良かった」


 もうひとりの月曜日の切り裂きジャックが狂った素顔を露にする。勇喜の破壊衝動よりも強い殺人衝動をもて余した水穂の闇が萌子と巻田を切り裂いた。


 この危険な賭けは美夜と九条と愁、今は言葉を交わせない三人の意志疎通を必要とする。トイレの表では杉浦が待機しており、インカム越しに四階生徒の避難人数が八割を越えたと伝えられた。


「陣内を好きなあなたには悪いけどあの男、他の生徒の話では冴えなくて暗い教師だって評判だったよ。そんな男に一目惚れだなんて変わった好みしてるのね」


 水穂の口元がヘの字に歪んだ。水穂がどんな男に惚れようと美夜は関心がない。異性の好みは個人の自由だ。

しかしこの場で水穂を煽るには陣内の話題はうってつけ。あとひと押しの決め手はやはり、あの件だろう。


「陣内と萌子には身体の関係があった。未成年、しかも生徒に手を出す教師は最低よ。でもあなたは陣内に手を出してもらえなかったのね。それで萌子に嫉妬して殺したの?」

「……あんたに何がわかるのっ?」


 巻田を殺した後でも淡々とした態度を崩さなかった水穂の怒りに火がついた。怒りの矛先は陣内を侮辱した美夜に向かい、水穂は人質の少女を突き飛ばして美夜めがけてナイフを振り上げる。


突き飛ばされてバランスを崩した少女は足をもつれさせながら愁の背後に逃げ込んだ。少女は美夜と愁が送ったアイコンタクトの意味を汲み取ってくれた。

少女は愁が庇ってくれている。水穂と人質を引き離せればこちらのもの。


 水穂の背後に回り込んでいた九条がナイフを持つ水穂の腕を掴み、彼女の動きを封じた。


「15時17分、殺人の現行犯で逮捕する」


煽り役の美夜、人質保護の愁、水穂の動きを封じる九条、三者の言葉のない意志疎通が噛み合った瞬間に、河原水穂の自由は殺人の罪状を刻んだ鉄の鎖で拘束された。

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