3-15

 梶浦の逮捕と後始末はSITの捜査員が引き受けてくれた。確保できた犯人グループはリーダー格の滝本、飯森、梶浦、C棟にいた吉井の四名。

SIT第二部隊が間もなくB棟の制圧に入る。


 A棟内で姿が確認できているのは五階の教室にいる雪枝と宮島知佳のみ。

残るメンバーは巻田恒星と河原水穂だが、二人とも30分以上も防犯カメラの前に姿を現していない。彼らはどこに潜んでいる?


 現在時刻は14時53分。タイムリミットまで残り1時間。

SIT第一部隊が一階から順に教師と生徒の避難誘導を開始した。避難する生徒でごった返す前に昇降口を抜けた美夜達は階段を駆け上がる。


四階から五階に上がる踊り場で美夜は足を止めた。中等部三年生の教室と生徒会室が並ぶ四階の一角にはB棟に通じる渡り廊下がある。


『どうしたんだよ』

「向こうから声が聞こえた。女の子の……すすり泣くような声」


声が聞こえた方向は生徒が閉じ込められている教室側ではなかった。渡り廊下の隣にはトイレがある。


「トイレの入り口見て。あの赤い点々とした跡、血痕じゃない?」


 九条と愁も美夜の考えを察する。九条がインカムで真紀に四階トイレの異常を報告していた。


『主任の許可が降りた。まず状況を確認しろって。四階の避難誘導も待ってもらった』


 この状況では教室から生徒を出せない。四階の生徒を安全に避難させるには、この階で何が起きたのか調べる必要がある。


銃を構える美夜と九条は周囲の気配に意識を集中させ、トイレまで歩を進める。トイレの入り口に点々と続く血飛沫ちしぶきが廊下には一滴も落ちていなかった。


「トイレから廊下に出る時に凶器をしまったか、血を拭ったか……」

『現場がトイレなのは間違いなさそうだ』


 当然のごとくこの学校には女子トイレしかない。清潔が保たれた白い床とベビーピンクの壁が明るい印象を与えるトイレは、どの個室も扉が開け放たれていた。


 現場はすぐに判明した。左右に七つ並ぶ個室の左側、手前から四番目のトイレの床が赤く濡れていた。

最悪の事態を想定して四番目の個室を覗き込んだ美夜と九条が目にした顔は思いもよらない人物だった。


ベビーピンクの壁に飛び散った血の壁画。

洋式便器に右半身を傾けさせて絶命していた人物は男だ。生徒の死体を予想していた美夜達にとっては、あまりにも意外な惨状にしばし絶句する。


 男はくびから喉を掻き切られている。壁も床も男も血まみれ。おびただしい出血量だ。

美夜は背後に立っていた愁に顔を向ける。


「身元の確認お願いできる?」

『俺の確認が必要?』

「多分……あなたの知ってる人」


 美夜と会話をしながらも愁はトイレの右奥をじっと睨みつけていた。その視線を外して彼は美夜の隣に立つ。

腰を屈めて血溜まりに沈む男の死に顔を凝視した愁は一言呟いた。


『巻田だな』

「やっぱりね。確認ありがとう」


夏木コーポレーション元社員の巻田恒星の遺体を見ても愁の顔色は変わらない。

こんな血まみれの死人を見ても平然としていられる人間は医者か刑事か犯罪者だけ。普通の人間は気絶している。


 美夜はインカムを対策本部にいる真紀に繋げた。


「身元確認とれました。巻田恒星に間違いありません。頸部に刃物による刺し傷があります。体温や死斑の具合を見て死後30分程度」

{わかった。SITは今動けないから裏門で待機してる杉浦さんをそっちに行かせる}


 床を覆い尽くす血溜まりを踏まないように大柄な身体をトイレに忍ばせた九条は死後硬直がまだ始まっていない巻田の片手を開いた。


『トイレに巻田がいた理由はこれだろうな。小型の隠しカメラだ』


巻田の手のひらには小型カメラの部品が転がっていた。九条が拾い上げたそれを見て愁が舌打ちする。


『コイツ、学校でも盗撮をやる気だったか。懲りねぇな』

「カメラをトイレに仕掛けようとしたところを殺された? でも誰に……」

『そこに隠れてる人間に聞けばいいだろ。俺達がトイレに入った時からそこにいたんだから』


 愁が指差したのは先ほど彼が睨みつけていた右側の奥の個室。あそこだけ内開きの扉が開ききっていない。

美夜と九条は瞬時に銃を構えた。個室から聞こえた物音と誰かの速い呼吸の音。


 まず見えたのはひらりと揺れたセーラー服のプリーツスカート、次は細長い脚を纏うスラックスだ。

若い女と中学生が二つの銃口の前に姿を現した。ショートヘアの痩せた女は、目に涙を溜めて怯える中学生の喉元に鋭利なナイフを押し当てている。


「……河原水穂。あなたが巻田を殺したのね?」


犯人グループで雪枝を除けば若い女は二人だが、女達の身体的特徴は異なる。ショートヘアで細身の女が河原水穂だ。


 誰であってもトイレの行き来を防犯カメラで逐一記録されたくはない。思春期の少女なら尚更、トイレ内やトイレ周辺の防犯カメラの存在には抵抗がある。

そのため生徒のプライバシー保護の目的でトイレ内部とトイレ周辺の通路には防犯カメラの設置がされてなかった。


カメラからの水穂の消失は防犯の盲点をつかれた。死角となったトイレで起きた殺人事件の動機は?


 水穂の身長は推定170センチはあるだろう。人質の少女は155センチ程で後ろから水穂に抱き抱えられている。少女の身体に目立った外傷はない。


「この子、学校がジャックされた時にこのトイレにいて、ずっとここに隠れていたんだって。でも私が巻田を殺した時に悲鳴を出して見つかっちゃってね。災難だよね」


 水穂の頬や服には巻田を殺した際に飛び散った返り血が付着していた。

人を殺した後でも水穂は落ち着いている。興奮や動揺もしていない淡々とした振る舞いがかえって恐ろしい。


「何故、巻田を殺したの? 仲間でしょう?」

「あんな奴、最初から仲間じゃない。巻田が持ってたカメラ見たよね? 巻田は立てこもりには興味なくてトイレにカメラ仕掛けて逃げるつもりだった。アイツは爆弾が本物だとも思ってないから、トイレにカメラ仕掛けたって今日ここが吹っ飛んでなくなるとは考えてなかったんだ。馬鹿なのよ」


 少女を拘束したまま水穂は横歩きにトイレ内を移動する。美夜と九条の銃の照準は水穂に固定されているが、銃の暴発を防ぐとりでのセイフティは外していない。

対策本部からは発砲許可が降りなかった。この状況では人質の安全が最優先だ。


「巻田が計画に乗ったのは女子校の盗撮ができると思ったからなんだって。本当は盗撮で会社クビになったことも雪枝達にはリストラだって誤魔化してたんだよ」

「あなたはどうして計画に加わったの?」

「沢山人を殺せそうだったから。殺した人間は巻田が初めてじゃないの。ひとりったらもっと殺したくなった」


 美夜の憶測は正しかった。この学校立てこもり事件には犯人グループ十一人の思惑が混在している。


 夏木コーポレーションと夏木十蔵の醜聞を自爆覚悟で世間に晒した館山リゾートホテル計画反対派の五人。


夏木舞のいじめを告発した大橋雪枝、木崎愁ジョーカーに壊滅させられた組の仇討ち目的でこの場に愁を誘き寄せようと企んだ木羽会の残党。


盗撮が目当ての巻田恒星、殺人衝動を抑えられない河原水穂。残る宮島知佳の動機だけが未だ不明だった。

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