3-14
A棟に向かった美夜を追いかけようと方向を変えた滝本の行く手を愁は塞いだ。
血の気の多いジムトレーナーの拳や足技を淡々とかわし、相手が技を出す直前に生まれる一瞬の隙を見計らって愁のストレートパンチが滝本の頬を潰す。
拳を受けて滝本が地面に仰け反る間に、彼はベンチにもたれていた九条の腕を掴んで立たせた。
九条は体力の消耗が激しい。滝本に殴られた口元には血が滲んでいる。
『神田を先に行かせた俺ってかっこいいとか思ってんだろ?』
『そんなことはどうでもいいが、ここはさっさと終わらせるぞ。美夜の身体に傷付けられたくねぇからな』
『だからあいつを自分の女扱いするな』
九条の愁に向けられた敵意は美夜の存在が大きい。彼女の相棒は相手が面倒な番犬だった。
人を殴った後の拳は赤く腫れてヒリヒリと痛む。普段の戦闘では圧倒的に足技が多く、愁は久々に格闘で使った手の甲をさすった。
九条の銃を奪って滝本を撃ち殺してしまえば話は早いが、美夜がそれを望まない。ジョーカーの一面を露にして警察の魂胆に乗るのも
『仕方ないからそっちの動きに合わせてやる。その代わり一撃で決めろよ』
『ほんっといちいち腹が立つ男だ。こんな男のどこがいいのか、理解に苦しむ』
九条の嫌味に愁は冷笑で返した。確かに美夜はこんな犯罪者のどこがいいのか、当事者の愁も理解はできない。
どれだけ愁を嫌おうと格闘となれば話は別。この場では愁の協力が不可欠と悟った九条もそれ以上は嫌味も文句も言わない。
美夜の指示に従って愁は九条の左側の補佐に回る。愁と九条は呼吸を合わせて同時に滝本への攻撃を仕掛けた。
いくら空手の有段者でもそれなりの格闘ができる男二人の相手を同時に行うのは容易ではない。体力を消耗しているのは滝本も同じだ。
九条は右側から拳を、愁が左側から膝蹴りを。これが最後の一撃となって地面に倒れた滝本の動きが完全に止まった。
九条のインカムにC棟制圧完了の連絡が入ったのは滝本の両手に彼が手錠をかけた数秒後だった。
*
さすがは有名私立女子校と感心している場合ではないが、敷地全体に金の臭気がまとわりついている。
七階建てのA棟は中庭と同じくフレンチシックな外観をしており、校舎は少女マンガの実写映画やドラマの撮影場所に何度も使われている。
一階の昇降口も美夜が通っていた埼玉の公立高校とは比べ物にならない規模だ。各クラスの下駄箱の間隔がこれだけ広ければ靴の着脱時に生徒同士がぶつかったり、順番を待つ必要もないだろう。
銃弾は左方向から飛んできた。広大な昇降口を支える円柱型の柱の後ろまで走り込み、美夜は柱の裏に身を隠す。
インカムに入ったC棟制圧完了の知らせを合図に彼女は銃のセイフティを外した。
下駄箱の狭間から銃を構えた梶浦が姿を見せる。人相の悪い梶浦はいかにもヤクザの世界に片足を突っ込んだチンピラの風体をしていた。
『警察にも美人っていたんだな。あんた、めちゃくちゃ俺好み』
「言っておくけど私はあなたみたいな男は好みではないし、あなたと遊んでる時間もない。さっさと終わらせて上に行きたいのよね」
『つれないなぁ。爆弾なんか放っておけばいいさ。あいつらは死にたくてやってんだから。俺はここで自爆なんかまっぴらごめんだ。
巻田と繋がっていた木羽会の目当ては、やはり組を壊滅させたジョーカーへの復讐。それなら梶浦は何故、美夜ではなくジョーカーである愁を狙わなかった?
「あなたはジョーカーの顔を知ってる?」
『知らないね。でもジョーカーが夏木の手下って話は俺らの世界では有名だ。人質にしてる夏木の娘も高値で売れそうだしなぁ。夏木の娘を餌にすればジョーカーが現れるかと思ったんだが、釣れたのは美人の刑事だった。これも悪くねぇな』
梶浦と吉井の所属は木羽会の二次団体。幹部でもない彼らが知り得る情報は微々たるもの。
梶浦は滝本達の計画に便乗してジョーカーをあぶり出すつもりだったらしい。梶浦が愁の正体を知らなかったことに安堵した自分に嫌気が差す。
口元を緩ませて近付いてくる梶浦の舐め回す視線も気持ち悪い。どいつもこいつも、女を見れば頭の中は下品な想像で埋め尽くされる。
一刻も早くこの銃撃戦を終わらせたい。
九条と愁、それとSITの捜査員がこちらに向かっているとインカムに知らせが入る。動くならそろそろだ。
美夜が隠れている柱と隣の下駄箱までの距離は目視でおよそ5メートル。梶浦を確実に仕留めるにはここよりも下駄箱からの位置が都合が良い。
姿を見せた美夜を狙って先に発砲した梶浦の銃弾が床を跳ねる。駆け出した彼女は下駄箱を盾にしつつ梶浦に狙いを定め、連続して二度、引き金を引いた。
一発目は銃を構える肩に、二発目は太ももに狙い通り弾が命中する。
梶浦の手を離れた拳銃を回収し、太ももと肩を撃たれて悶え苦しむ彼の腰のベルトを引き抜く。周りを見渡しても他に止血に使える物はなさそうだ。
「これ止血に使わせてもらうよ」
『痛っ……!』
「撃たれて痛いのは当たり前。それと私、煽りに乗るタイプじゃないのよね。刑事煽っていい気になっていたかもしれないけど、こっちはヤクザの相手してる暇はない」
視界に愁と九条が映った。梶浦が痛みに叫んでもベルトで容赦なく止血ポイントを縛る美夜を見下ろして九条は苦笑いを浮かべている。
『お前やっぱりえげつな……』
「九条くんは口の血を拭いて。その顔で雪枝ちゃんに会いにいくの?」
美夜が渡したハンカチで九条は渋々口元の血を拭う。九条がこれだけ傷付いていても、涼しげな表情の愁にはかすり傷ひとつついていなかった。
裏門到着から今までの出来事は美夜と九条の胸元に装着した小型カメラを通して警察に記録されている。
ジョーカーの顔を見せずとも、民間人の立場で刑事と互角の戦闘能力を披露してしまった愁への嫌疑はさらに強まった。この事件が解決した後、上野一課長と百瀬警部は任意の事情聴取を愁に要請するだろう。
そうなった時、愁はどうする?
美夜はどうする?
刑事の使命と恋の狭間で彼女は揺れていた。どうしようもなく、揺れていた。
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