3-18

 舞が座る椅子の下には黒々とした四角い塊が鎮座していた。わざわざ舞の下に爆弾を仕掛けるとは犯人グループも底意地が悪い。


 舞へと近付く愁の行く手を雪枝がはばんだ。雪枝に銃口を向けられても愁は動じない。

未成年の少女相手に命乞いをする男でもないが、この状況に怯えを示したのは愁ではなく舞だった。


「ゆきちゃん止めて! 愁さんを撃たないでぇっ!」

「そう、その顔が見たかった。夏木さんが学校で愁さん愁さんって言って騒いでる好きな人ってこの人だよね? 好きな人を目の前で殺されたくなかったら私に謝りなさい。私をいじめたこと、あなたの好きな人の前で謝罪しなさい」


 かすれた声で泣き叫ぶ舞と他人に銃を突き付けて嘲笑う雪枝、今はどちらがいじめの加害者か、雪枝はそろそろ現実を自覚するべきだろう。


『雪枝ちゃん止めるんだ。今の雪枝ちゃんはいじめをしている人間と変わらない。君がしたことは、この学校にいる全員をいじめたようなものだよ』

「九条さんまでこの子の味方するの?」

『そうじゃない。俺は薄々、君がいじめられていることに気付いていた。なんとかしてやりたかった。でも刑事であっても外部の人間が学校の問題に口を出すには限界があるんだ。力になれない無力な俺でごめん。助けてあげられなくてごめん』


 雪枝の小さな小さなSOSに気付いた大人は親でも教師でもなく、九条だった。


 美夜は世間的に定義されるいじめと呼ばれる行為を受けた経験がない。彼女の人生において佐倉佳苗の存在を除けば成績や容姿への妬みの陰口はあれど、いじめグループの標的にされた覚えはなかった。


だが彼女は捜査を通して数々の大人の世界と子どもの世界のいじめ問題に触れた。そうしてわかったことがある。


 いじめられている人間は時としてその事実を隠したがる。親や恋人や配偶者、いじめグループ以外の友達には、自分はいじめを受けていないと無理やり虚勢を張る。


本音は地獄から助けて欲しい。誰かに弱音を吐き出したい。

そんな小さな小さなSOSをやっと吐露できた安寧の場所でも、雪枝は大人達に利用された。


「九条さんにはいじめられてること知られたくなかった。知って欲しかったけど知られたくなくて言えなかった。だけど助けて欲しくて、事件を起こせば九条さんがここまで来てくれるかなって期待して……ワガママでごめんなさい」

『どれだけワガママ言ってくれてもいいんだよ。雪枝ちゃんはイイコを演じ過ぎるんだ。お父さんやお母さんの前でもそんなにイイコにならなくていいんだよ。ワガママは子どもの特権なんだから。さ、その銃を俺に渡して、こんなことはもう終わりにしよう』


 九条が片手を差し出しても雪枝は彼を拒絶した。プラスチックのおもちゃに似た拳銃を持つ両手が震えている。絶対に離さない意思表示か、彼女は銃を胸に抱き抱えた。


「私は夏木さんを許せないっ! 私は正しいことを言っただけなんだよ? 掃除をやりなさいよって……。なんでいじめられるの? 間違ってるのは夏木さんと夏木会長の言いなりになるこの学校よっ! こんなはずじゃなった。小学生の時から憧れていたこの学校で友達いっぱい作って勉強も頑張って、楽しい生活を送る予定でいたのに……夏木さんさえいなければもっと私は高校生活を楽しめたはずなのに……」


 雪枝の嗚咽が教室に響く。滝本の言葉を借りれば、立てこもりの犯人グループは“奪われた者達”で構成されている。

雪枝が奪われたものは夢見ていた理想の高校生活。夏木舞がいなければ叶っていたかもしれない幻のユートピアだ。


 ある者の存在によって人生を侵害される苦しみを美夜は痛感している。雪枝と舞、両者のどちらにも肩入れはしないが、舞さえいなければ……と泣き叫ぶ雪枝の心情は10年前の“松本美夜”とシンクロしていた。


「この期に及んでも夏木さんは謝らない。この子の父親も滝本さん達に謝らない。どっちも悪いことをしたと思ってないからよ。この親子は人間のクズなんだよ! 誰かが裁かないといけないのっ……!」

「ずいぶん偉そうね。自分が舞ちゃんを裁けると思っているとしたら思い上がりもいい加減にしなさい。人は人を裁けない。裁く権利は誰にもない」


 雪枝に関しては九条の説得に任せるつもりでいた。雪枝の心にあと少しの柔軟さが残っていれば、九条の生易しい言葉で雪枝の凍った心は溶けていたはず。


凍えた復讐心で凝り固まった心を砕くには綺麗事だけでは甘過ぎた。九条とアイコンタクトをかわすと、彼も目を伏せて美夜に頷く。

綺麗事が必要になるのは最後の最後。それまでは九条の優しさは温存しておこう。


「舞ちゃんはどうして雪枝ちゃんをいじめたの? 何かいじめたくなった理由がある?」


 話の矛先を向けられた舞はもじもじと美夜と愁の交互に視線を彷徨さまよわせている。雪枝がいじめられてることを九条に知られたくなかった感情と同様に、舞も愁にだけはいじめをたのしむ裏の顔を知られたくなかったのだ。


「だって……ゆきちゃん……掃除をやりなさいよって言ったんだよ。先生でもないのに偉そうに……」

「それは夏木さんが掃除をサボって他の子達にやらせてるから……」

「なんでゆきちゃんが指図するの? あれはゆきちゃんが学級委員になる前だったよね。舞だって他の子に掃除をさせてサボって、悪いとこはあったよ。だけどゆきちゃんってそんなに偉い? 正しいことを言うから偉いの? じゃあゆきちゃんが今、舞にしてることは犯罪だよね? そうは思わないの?」


 メイクが崩れて泣き腫らした目元でも舞の眼光は力強い。

手元を椅子に縛り付けられて鼻水すら拭えず、屈辱でしかない姿にまでされて追い詰めされても尚、舞は雪枝に食って掛かる。


舞もただでは引かない。この強情さは夏木コーポレーション会長の娘としての舞の意地とプライドだ。

雪枝を睨み付ける舞の鋭利な眼差しが愁を彷彿とさせるのも、やはり夏木十蔵の血は争えない。

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