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それでもまだ身元が不明の人間がいる。反対派メンバーリストの顔写真とも一致する人間がいない最後のひとりは三十代前後の男だ。
上野一課長の指示で防犯カメラに記録された身元不明の男の映像を愁に確認してもらう。パソコンの前に腰を降ろした彼は画面に出現した挙動不審な男を凝視した。
滝本や木羽会のチンピラは言わずもがな、若年層で女性の河原水穂や宮島知佳でさえ堂々と武器を構えて学校に侵入している。けれど最後まで身元不明のこの男だけがキョロキョロと不安げに周りを気にしていた。
『コイツ……巻田だ』
「知り合い?」
『今年の初めに解雇したうちの元社員』
「解雇理由は?」
『あまり口に出したくねぇが、女子更衣室と女子トイレの盗撮と盗聴。一部の女子社員の告発で発覚したんだが、会社としては被害届は出さずに巻田の解雇で事を終わらせた。犯人グループにいるってことは巻田の動機は解雇が不服の逆恨みだろうな』
最後のひとりは夏木コーポレーションの元社員だった。これで全員の身元が判明したが、愁の物言いに美夜は多少の引っ掛かりを感じた。
「どうして会社は被害届を出さなかったの?」
『内部告発者が巻田の元カノだった事情でプライベートの恨みと会社の問題が混みあって厄介だったんだ。だから警察沙汰にしなかっただけ』
巻田の個人情報は愁が夏木コーポレーションの人事部長に連絡をとり、対策本部宛に巻田のデータを送るよう取り計らってくれた。
男のフルネームは巻田恒星。出身地と出身校が東京の巻田と千葉県在住のリゾートホテル計画反対派メンバーとの接点は見当たらない。
やはり犯人グループは雪枝が利用する匿名チャットアプリで知り合った可能性が高い。
夏木十蔵や夏木コーポレーションへの復讐が目的の者、夏木舞への恨みなど犯人グループの動機は様々。夏木十蔵が謝罪会見を開かないとなると、タイムリミットの16時までに人質救出と犯人グループを逮捕しなければならない。
爆弾が仕掛けられた場所は舞と雪枝がいる高等部一年生C組の教室だ。爆弾のタイマーは16時ジャストにセットされている。
どこで手に入れたか知らないが、爆弾は軍事テロに使用される爆弾と同種。
爆発すれば学校の校舎も周辺のオフィスビルも簡単に吹き飛ばせる威力があり、近隣の企業や住宅にも被害が及ぶ。爆発による死者数は校内の人質も含めて二千人規模と想定された。
最優先は夏木舞の保護と人質一四〇〇人の救出。リアルタイムでこちらに送られる防犯カメラ映像を確認すると、雪枝以外の犯人グループ十人は校内に散らばっている。
グループの実質的なリーダーと思われる滝本は5分前にエントランスの防犯カメラがその姿を捕らえた。
どこをどう攻め込むか、SITの捜査員と上野一課長が協議する最中に挙手をしたのは九条だった。
『一課長、俺を学校に行かせてください』
SITや場合によってはSAT(特殊急襲部隊)が本陣である教室を制圧する前に、捜査員が学校に潜入して散らばっている犯人達を確保する必要がある。九条はその特攻の役割を買って出た。
『犯人グループは銃を所持している。万一の時は人質の命を最優先にし、犯人を狙撃する覚悟はできているか?』
『できています。それに俺は雪枝ちゃんを他の刑事には逮捕させたくないんです。雪枝ちゃんがこんなことをしてしまう前に、俺が彼女の苦しみに気付くべきだった。雪枝ちゃんのことは最後まで俺に責任を取らせてください。お願いします』
対策本部に到着して以降、九条は雪枝のスマートフォンに連絡をし続けている。幾度も連絡を試みたが、雪枝は電話に出ない。
けれど数分前に雪枝から九条宛に届いたトークアプリのメッセージには〈ごめんなさい〉の文字が綴られていた。
以前の美夜は、九条の決意を無鉄砲だと諭して止めただろう。特殊訓練を受けたSITやSATの所属ならいざ知れず殺人捜査専門の刑事には、先陣を切る特攻の役割は荷が重い。
しかし雪枝を他の刑事に逮捕させたくない気持ちが美夜には痛いほどわかる。愁を一瞥してから、彼女は九条の横に並んで上野に頭を下げた。
「私が九条くんを補佐します。だから九条くんを行かせてあげてください。雪枝ちゃんは九条くんが来てくれるのを待っています」
美夜の援護も加わり、上野とSITの捜査員はしかめた顔を見合わせた。しばしの黙考を経て、上野が小さく息をつく。
『……九条、神田。お前達の任務は校内に散らばる犯人グループの確保、SITが制圧の準備を整えるまでの
「はい」
『じゃあ俺も一緒に行かせてもらおう』
美夜と九条の背後に潜んだ低い声に場がざわついた。さすがの美夜も驚きを隠せず、振り向いた先にいる木崎愁を揺らいだ眼差しで見据える。
愁に返答を返したのは美夜ではなく上野だ。
『木崎さんが夏木会長のお嬢さんを心配するお気持ちは理解します。けれど今のあなたの立場はあくまでも民間人、ここは我々に任せていただきたい』
『ご心配なく。自分の身は自分で守れます。俺もそちらの九条さんと同じなんですよ。舞を自分で助けに行きたいだけです』
犯人側が指定した16時のタイムリミットは刻々と迫っている。押し問答をしている時間の余裕はなかった。
『わかりました。ですが潜入の際は神田と九条の指示に従ってください。くれぐれも単独行動は謹むように、頼みます』
上野に頷き返す愁を見つめる刑事達の誰もが同じことを思っていた。
木崎愁が本当にただの民間人ならば足手まといになるだけだ。もしもこの潜入で愁がジョーカーの
今の愁は会長秘書でもジョーカーでもない。
妹を助けに戦地に乗り込む覚悟を決めた、兄の顔をしていた。
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