3-11
九条の暴言を愁は気にもしていない様子だが、それが余計に九条の怒りを煽ってしまった。
『おい、黙ってねぇで何か言え』
「九条くん。こんな時に突っかからないで。何を苛立ってるの? 一課長に潜入を志願したさっきまでの覇気がなくなってるよ」
険悪な眼差しで愁を睨みつける九条と、八つ当たりをされても涼しげな横顔で九条の睨みを受け止める愁の間に美夜は割って入る。
所轄時代の合同捜査本部で九条と初めて会った時から幾度も、美夜は九条と軽口を叩き合ってきた。
今はそれほどではなくともバディ結成時は何かにつけて美夜の学歴を持ち出してエリートだと悪態をついたり、顔と頭は良い女だとか失礼にも程がある物言いをする九条の相手を面倒に感じもした。
だが、九条の本質は善意と優しさで出来ている。彼は単に困ってる人をほうっておけないお人好しのお節介な人間だ。
そんな善意の塊のような男が愁に向けた一方的な敵意はあまりにも九条らしくない。
ジョーカーの疑惑を背負う愁の背景を考慮しても、ここで愁に当たり散らすのは間違っている。
『雪枝ちゃんの親の話はたまに聞いてたんだ。母親は勉強も習い事も生活態度も理想の娘像を押し付ける人らしくてそれがキツイって。今日、その意味がやっとわかったよ。あの子の親は雪枝ちゃんの悩みを何ひとつ理解してなかった。今も、娘がそんなことするはずないって母親はヒステリックになってさ、親が子どもの本当の姿を知らないって笑えるよな』
どうやら雪枝の両親との面会が九条の心を
『だけど、あの子の親と話してみて俺が雪枝ちゃんに言ってきたことも全部、綺麗事だったと思い知ったんだ。何でも愚痴を言っていいよってこちらが手を差し伸べても、雪枝ちゃんは俺には本当の気持ちを言わなかった。それは俺が雪枝ちゃんの苦しみを理解できていなかったからだ』
「相変わらず考えが生ぬるいね。他人の苦しみを理解しようだなんて思い上がりもいいところ」
弱音を吐露する九条に背を向けた美夜はアタッシュケースの鍵を解錠した。中に入る二丁の拳銃は10月に伊吹大和を警護した時と同じく、
「九条くんが雪枝ちゃんの万引きを止めた時も、その後に甲斐甲斐しく世話を焼いてるのを知った時も嫌な予感はした。綺麗事って幸せな傍観者が吐く夢物語だからね。その立場に立った経験がない人にはわからない。雪枝ちゃんが九条くんに本当の気持ちを話せなかったのも当たり前だよ」
『そう言えばお前は雪枝ちゃんに深入りするなって言ってたよな。綺麗事が嫌いなお前の意見が結局は正しかった』
銃本体から引き抜いたマガジンに彼女は弾をひとつひとつセットする。マガジンに装填できる弾数は八発。
弾切れに備えて予備のマガジンも用意されていた。
「九条くんは太陽の下を歩いている人だもの。だから平和主義で呑気な綺麗事を平気で言える。九条くんは本気で誰かを憎んだことも、誰かを殺したいと思ったこともないでしょう?」
八発入りのマガジンが挿入された拳銃を九条の傍らに置いた。九条の躊躇いの視線が銃と美夜の顔を行き来する。
「だけど綺麗事を吐き続けるお人好しに救われてる人もいる。私もお人好しでお節介な九条くんの綺麗事に救われてるよ。あなたがバディで良かったと思ってる」
これが美夜の正直な気持ちだった。お人好しでお節介がいなくなった世界には冷たい人間しか残らない。
美夜は“いい人”も”綺麗事”も大嫌いだ。でもいい人も綺麗事も消えた世界は、きっともっと嫌いになる。
太陽の恩恵は誰もが等しく必要とする。九条の陽だまりに美夜も知らず知らず救われていた。雪枝も同様だろう。
「太陽なら太陽らしく、明るく笑って綺麗事吐き続けなさいよ。雪枝ちゃんはお人好しでお節介な、正義のヒーローの九条くんを待ってる。今さら雪枝ちゃんから逃げないで」
肩で大きく息を吐いた九条が銃を掴む。刑事の責任の重みを確認した彼は勢いよく立ち上がった。
『俺の相棒は言うことがキツいんだよ。て言うか俺、太陽じゃねぇし。あんなにギラギラと暑苦しくないぞ?』
「相棒が暑苦しい太陽だって言ってるんだから太陽でいいの。あと、さっきの発言を木崎さんに謝って。彼も気持ちは九条くんと同じだよ」
九条はバツが悪そうに愁に顔を向ける。美夜はあえて愁を見ず、もうひとつの銃のマガジンを取り出した。
暴言の後始末は男同士で勝手にやればいい。
『大人げなく八つ当たりして悪かった』
『別に気にしていない。こちらも舞のワガママを教育できなかった落ち度がある。同級生のいじめは俺達が舞を甘やかし過ぎた結果だ。申し訳なかった』
互いに否を認め、謝罪する彼らは一応の和解をしたと言える。
九条を取り巻いていた険悪な空気も緩和した。ジャケットを脱いだ九条に防弾ベストを手渡したのは愁だ。
『そっちの機嫌が悪かったのは相棒を横取りされた嫉妬もあっただろ。廊下に居たよな』
『やっぱりあんたは気に入らねぇ。俺の気配に気付いていたくせに我が物顔で神田から離れなかったよな。当然のように自分の女扱いしやがって。そういうとこがすっげぇムカつく』
愁と九条の意味のわからない会話にマガジンに弾を装填していた美夜の動きが止まった。
「今のどういう意味?」
『お前らがここでイチャついてる真っ最中に俺は廊下で待ってたんだよ。目の前の誰かさんしか見えてなかった神田は気付いてなかったみたいだな』
特に小学校は教室の扉を部分的に透明か磨り硝子のガラス窓にしている学校が多い。この学校も例外ではなく、図書室や図工室の扉も上部が透明なガラス窓の造りだ。
先ほどの愁との一部始終を扉一枚隔てた廊下で九条が見聞きしていた。キスは回避したものの、男に酔う姿を九条に見られてしまった衝撃が美夜の視界を歪ませる。
『神田が男が絡むとポンコツだってよぉくわかった。あんな場面でなければ、お前なら外の気配に気付くのになぁ?』
「それ以上言わないで。自分の馬鹿さ加減に落ち込む」
二つ隣の図書室には多くの刑事が集う対策本部が置かれている。深く考えなくても、誰に目撃されるかわからない場で個人的な関係にある男との軽率な触れ合いはタブー。
目撃者が美夜の心情に理解のある九条だっただけ、まだマシだ。
愁も廊下にいた九条の存在を知っていたなら、美夜がキスを避ける前にどうして自重しなかった?
しかもこの男は、どさくさ紛れに鎖骨の周辺にキスマークを二つもつけている。
美夜が恨めしげに睨んでも愁は得意の澄まし顔。その憎たらしいポーカーフェイスを一発殴ってやりたい。
とにかく今はこちら側で揉めてる暇も色恋に
間もなく出動時刻だ。暑苦しいバディと冷淡な殺し屋を引き連れた美夜の耳には上司と繋がるインカムが、ジャケットの胸元には小型のビデオカメラを取り付け、腋の下には拳銃を装備。
爆弾のタイムリミットまで残り1時間半。
覚悟を決めた彼女達は人質一四〇〇人の命を背負って、紅椿学院高校への道を辿った。
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