2-4

 夏木十蔵の息子……呪われた血を引く愁はいつも女の欲望の道具に使われた。いつだって愁は、女に人生を奪われてきた。

この呪わしい人生の中心には夏木十蔵がいる。父であり、愁が誰よりも殺したい男だ。


『お前達から母親を奪ったのは俺の母だ。申し訳ない』


 頭を下げた愁を伶と舞は無言で見つめていた。リビングの壁掛け時計の針はこの静寂の合間にどれだけ進んだ?


「……そっかあ。ずっと不思議だったことがわかっちゃった。愁さんが舞とお兄ちゃんの世話を焼くのは舞達のお母さんを死なせちゃった償いなんだね」


気の遠くなる静寂を終わらせたのは壊れた機械人形のように連続する舞の笑い声だった。

不気味な明るさを孕んだ舞の笑顔が痛々しくて直視できない。


『そう思われても仕方ない。せめてお前達が社会に出る年齢になるまで近くで見守ろうと決めたんだ。……それがあだとなるとは思わなかった』


 罪滅ぼしを理由に始まった伶と舞との同居生活の誤算は舞が愁に抱いた幼い恋心。父親の愛に極端に飢えていた舞が寝食を共にする年上の男に恋をするのも、よくよく考えれば必然だったのに。


『舞、ごめんな。俺は妹と恋愛はできない』


恋をしてはいけない相手に恋をした舞のやるせない想いが愁にはわかる。

どうして、どうして、と、どうにもならない恋の相手との関係に心はひび割れて血だらけだ。


 最後は涙も流さず虚ろな瞳で舞はリビングを去った。自室にこもる舞の様子を見に行っていた伶が溜息を引き連れて戻ってくる。


『一杯だけ付き合わせてください』


 もうひとつロックグラスを携えて伶は愁の横に並んだ。顔を見て話すよりも肩を並べる方が互いに気は楽だった。


『愁さんの秘密主義には慣れましたが今回はキツかったです。舞のパパ活や母と夏木会長の関係を知って、俺も混乱している。俺と舞が半分しか血の繋がりがなかったことも全部、知りたくなかった』

『すまない。舞の父親の件はお前にはいずれ話すつもりでいたんだ。それもお前が夏木コーポレーションを継ぐタイミングで話す予定だったからな。俺としても予想外のタイミングだ』


琥珀色の液体を伶のグラスに注いでやる。喉を鳴らして酒をあおった伶はソファーの背に頭を預けた。


『雨宮冬悟を殺したんですね。あんなまどろっこしい言い方でも伝わりましたよ』

『舞に人殺しまで告白する覚悟は決まらなかった』

『それが正解です。愁さんがしていることを知れば舞はもっと混乱する。俺のしていることもですけどね。雨宮がまだ生きていたら俺が殺しに行っていた。死んだって俺は雨宮を許せない。舞が姪だと知っていて手を出すなんて……』

『俺だって雨宮をあの世に送っても許せてねぇよ。お前の気持ちの分だけの弾はアイツにぶちこんでおいた』


 ビジネスと割りきった殺人では足元に転がる死体を見ても怒りや罪の意識は感じない。しかし雨宮冬悟を殺したあの夜の愁は平常心を保ってはいられなかった。


『会長から連絡がありました。しばらくエイジェントの仕事はストップしろと。警視庁が愁さんと夏木コーポレーション、それにエバーラスティングを探り始めたようですね』

『雨宮の骨が見つかったんだ。奴が貸金庫に保管していた舞の動画を警察は手に入れた。奴らがジョーカーとエイジェントの存在に気付くのも時間の問題だろう』

『それは神田さんを指しているんですか? 雨宮の件で警視庁が動くなら当然、神田さんもこの件を知っていますよね』


 伶の探る視線を左頬に受け止めて愁はウイスキーを飲み干した。まったく酔えないのは酔わないように飲んでいるせい。

酒を体内に入れても頭は覚醒する一方だ。


『日浦さんに聞きました。先月に愁さんが伊吹大和を殺した時、現場には神田さんがいた。神田さんにジョーカーの仕事がバレてしまったんですよね。……違うな、愁さんはわざとバレるように仕向けたんだ。神田さんが警護についているとわかっていて、彼女の前に姿を見せた』


伶は相変わらず頭のキレる子どもだ。その頭の良さが伶を破滅に誘っている。

頭の出来が良いばかりに誕生した“ジョーカーを継ぐ者”。伶は夏木十蔵のこれ以上ない最高の道具だった。


『あの女もさっさと逮捕しに来ればいいと思わない? そうすればこっちも遠慮なく殺せる』

『逮捕を躊躇ちゅうちょするほど彼女は愁さんに惚れてるんだ。でもそれは愁さんも同じです。殺す殺すと口では言っても彼女を殺すのを躊躇ためらっている。殺せなくなるくらい本気で惚れた証拠ですね』


 ウイスキーを半分残したグラスを持って伶が立ち上がった。少し遠のいたスリッパの足音がテーブルの向こう側で停止する。


『人殺しが刑事を愛しても虚しいだけですよ』

『そうだな』


 伶に返す言葉は短い。再び遠くなった足音もやがて聞こえなくなり、愁はようやくポーカーフェイスの仮面を外す。


 天井にかざした彼の手は二十歳の夏に血で汚れた。最初から何もかもが遅かったのだ。

翳した手のひらを目元に押し当てる。両目を流れる夜露よつゆと一緒に、愛しい女の残像を彼は瞼の裏に隠した。


愛した女が刑事だった。

ただ……それだけ。

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