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 非があるのが男側でも、どういうわけか女は女を敵視する生き物だ。浮気した男ではなく浮気相手の女を目の敵にして復讐したがる女の生態を、愁は散々この目で見てきた。


「舞は伯父さんと……エッチ……してたの……?」

『舞は何も知らなかった。悪いのは雨宮冬悟だ。でも身体は大切にしなさい。それで妊娠でもすれば取り返しのつかないことになる』


 衝動のままに美夜を抱いた自分が偉そうに舞に説教できる立場ではないと彼は心で自嘲する。美夜だったら舞にどう言い聞かせてやれるだろうか。


「吉田さん……じゃなくて、伯父さんといきなり連絡が取れなくなったのは愁さんとの間で何かあったから?」

『雨宮はお前の裸の動画を会長に一億で買えと要求してきた。動画を撮られていると気付かなかったか?』

「嘘……。全然気付かなかった。愁さんもその動画見たの……?」

『動画は俺も会長も見ている。舞が男に抱かれてる動画なんか見たくなかったよ』


 愁に裸の動画を見られた羞恥心で舞は頬を染めていた。美夜を偽の恋人に仕立て上げて舞の気持ちへのセーフティネットを張っても、舞の愁に対する感情は消えなかった。


愁が雨宮冬悟を許せないのは舞の寂しさを利用しただけでなく、愁への叶わぬ恋心につけ込んだからだ。


『愁さん、雨宮は今どこに? 舞の兄として話をつけないと気が済まない』

『伶は何も心配するな。お前の気持ちも汲んで俺が最後まで処理をした』


舞の前で雨宮殺害の詳細は話せない。愁の裏の仕事を知る伶にはその説明だけで事足りる。


『雨宮はもうお前とは会わない。あの男のことは忘れろ。連絡先も消せ。いいな?』

「……うん。だけどなんで? 伯父さんは舞が嫌いだったの? わけがわからない……」


 舞にしてみれば優しくしてくれた男の正体が実の伯父であり、伯父が自分の裸の動画を一億円で養父に売り付けた動機は理解し難い。


ここから先の話はできれば一生、伶と舞には隠し通すつもりでいた。伶にはいつか話すかもしれないが、それも将来的な話。

愁の予定は雨宮の企みによって狂わされた。


『今から話すのはお前達の親の話だ。聞きたくない話もあるだろうが、すべて真実だと覚悟して二人共聞いてくれ』


 17年以上も前の大人達の醜い痴情の争いを、このタイミングで話さなければならない己の立場を愁は呪う。愁が背負い続けた秘密の十字架を、伶と舞に背負わせたくはなかった。


『舞が生まれる前から紫音さんは夏木会長と不倫関係にあった。舞は紫音さんと夏木会長の娘だ』

『母さんが会長と不倫……?』

「夏木のパパが舞の本当のパパ? じゃあお兄ちゃんは?」

『伶は認めたくないだろうが、伶の父親は明智信彦で変わらない。伶と舞は父親違いの兄妹きょうだいになる。……もうひとり、舞には兄がいる』


 氷を鳴らして飲み込んだ覚悟の一口は味がなかった。ウイスキーの味を楽しむ心の余裕も今はない。


『舞、俺はお前の腹違いの兄だ。俺と舞は父親が同じなんだ』

「意味が……わからない。愁さんが舞のお兄ちゃん? 嘘だよね?」

『俺の親の話をするよ。俺の父親は夏木十蔵、母親は木崎凛子。俺も夏木会長が不倫で作った子どもだ。俺と舞は異母兄妹いぼきょうだい、伶と舞は異父兄妹いふきょうだい。わかるか?』


舞はいやいやと首を横に振るばかり。錯乱状態の舞の肩を抱いた伶が愁に顔を向けた。


『俺達の母さんと夏木会長はいつからそういう関係に?』

『お前の父親は紫音さんに辛く当たっていただろ。覚えてないか?』

『父が母に暴力を振るっていた記憶はあります。俺も虐待されていた。父は最低な人間でした』


 ──“もしかしたら俺があの二人を殺してたかもしれないから。俺の代わりに殺してくれてありがとうございます”──


 10年前に冷めた瞳で父親の死体を見下ろす少年が殺人者に放った言葉だ。伶は今もあの時と同じ瞳の色をしている。


『紫音さんは心を病んだ。夏木会長は紫音さんの相談相手だったんだ。そこからのことはお前らにも想像はつくよな。紫音さんは夏木の子どもを身籠った』

「それが私……?」

『そうだ。明智が舞の父親の正体に気づいていたかは知らないが、紫音さんは本当の父親を隠し通していた。戸籍上は舞の父親は明智になっている。だが俺の戸籍の父親の欄は空白だ。俺が夏木会長の息子だと知る人間は、朋子ともこさんだけだろうな』


 伶も舞も項垂うなだれていた。語られた親達の過去を咀嚼しきれない哀れな兄妹達に、本音はこれ以上の傷を与えたくはない。


『舞が自分の子じゃないとわかったらあの男は母さんを責める。不倫がバレて母さんは自殺を……』

『それは違う。自殺の直接的な原因は俺の母親だ。俺の母が紫音さんを追い込んだ』


伶と舞を傷付けないためにはここで話を終わらせるべきだろう。けれど哀れな兄妹はまだ夏木十蔵を囲む女達の因縁の結末を知らない。


『紫音さんを自殺するまで追い込んだのは俺の母親……木崎凛子だ。母は会長に愛されている紫音さんを妬んで嫌がらせをしていた。あの時に高校生だった俺は毎日、母の紫音さんへの恨み言を聞いていた。いつか母が紫音さんを殺してしまうんじゃないかと怖かった』


 女達の因縁の泥沼に引きりこまれた愁の少年時代。

紫音への憎悪が膨らんだ母の恨み言を日夜聞かされ、凛子と紫音、二人の愛人の存在に苛立つ正妻の朋子は心身が未成熟な十五歳の愁を手に入れることで凛子への復讐を叶えた。


 朋子のベッドに呑み込まれた十五の夏を、愁は今でも夢に見る。愁も伶と同じ悪夢を抱えていた。

だから愁は伶をほうっておけなかった。自分と同じ悪夢を抱えた伶と、半分血の繋がった妹の舞。


ふたりをどうしても守りたかった。

……守り抜きたかった。

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