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11月13日(Tue)


 昨日より規模を拡大した捜査会議には捜査一課からは伊東班と小山班が、加えて組織犯罪対策部の百瀬警部、芳賀敬太を始めとする特命捜査対策室のチームが顔を揃えている。


 捜査会議の議題は雨宮冬悟の事件から始まった。美夜は昨晩、愁から雨宮殺害の自白を聞いている。

雨宮殺害の犯人について刑事達が唱える様々な憶測に罪悪感を抱えて、彼女は彼らのディスカッションを拝聴した。


 しかしディスカッションの終盤に百瀬警部が持ち出した話は、それまで鉄壁のポーカーフェイスを貫いていた美夜も平常心ではいられない内容だった。


 約10年前から夏木グループ会長、夏木十蔵の周辺では不審な殺人事件、失踪事件が頻繁に起きている。

ある時は夏木コーポレーションの社員が、ある時は夏木十蔵を敵視する裏社会の人間が突如、変死体として現れたり失踪したまま今も行方が知れない事態がこの数年間に相次いだ。


その不審な殺人事件や失踪事件はちょうど、かつて裏社会を牛耳っていた犯罪組織カオスが暗躍した時期と重なる。その頃から裏社会では密かに囁かれている噂があった。


 夏木十蔵には専属の殺し屋がいる。夏木会長に害をなす者を容赦なく殺害するヒットマンの通り名はジョーカー。

ジョーカーの存在はヤクザや海外マフィアも恐れるほどだと、百瀬警部は述べた。


『犯罪組織カオスが壊滅する2009年12月までジョーカーはカオスの仕事を請け負っていた形跡があります。当時のカオスの内情は上野一課長がよくご存知だと思いますが……』

『確かに2007年から2009年にかけてカオスに属するメンバー以外が関与していると思われる不審な事件があった。それらがすべてジョーカーの犯行だと考えるのも早計だが、いくつかジョーカーの犯行が濃厚な未解決事件をまとめてある。芳賀、モニターに資料を出してくれ』


 上野に命じられた芳賀が会議室の大型モニターにとある事件の捜査資料を表示した。

それは2008年3月、埼玉県川口市で起きた埼玉不動産会社社長夫妻の殺人事件の資料だった。殺害された不動産会社社長、明智信彦は美夜の幼なじみ、佐倉さくら佳苗かなえを殺害した犯人でもある。


『一課長から聞いてるんだ。10年前にお前の同級生が殺された事件と、この不動産会社社長の事件の関係……』


 隣席の九条がモニターを見たまま小声で呟いた。佳苗の事件を九条が知っていたのは驚いたが、バディの立場上知る必要があると上野一課長が判断してのことだろう。


「……そうよ。明智は私の幼なじみを殺した犯人」


 明智信彦は美夜しか知らない、彼女の隠れた共犯者。佳苗を殺してくれた明智に感謝した美夜の心の闇をこの場にいる者は誰も知らない。


愁は明智の殺害も認めている。この事件をジョーカーの犯行だと睨む上野一課長の慧眼けいがんにはさすがの一言だ。


(この頃からジョーカーの仕事を負っていたの? どうしてあの人は……)


 続いて小山真紀が明智の子どもに言及した。


「殺された明智信彦の娘が、雨宮冬悟の援助交際相手であるくだんの動画の夏木舞です。事件の後に兄の明智伶と妹の舞は夏木十蔵の養子に入っています」


 会議室が騒がしくなった。厄介な相関図に刑事達は昨日の美夜と同じく戸惑っている。動揺を隠せない九条に腕を小突かれた。


『夏木十蔵の娘の件はどこまで知ってた?』

「舞ちゃんが明智の娘ってことは木崎さんから聞いて知ってる。ちゃんと主任と一課長にも話したよ。舞ちゃんの母親の話もね」


 真紀の話には続きがあった。夏木伶と舞の母親が雨宮冬悟の妹、雨宮紫音である事実に今度は誰もが納得の溜息をついている。


 繋がった10年前の埼玉不動産会社社長夫妻の殺人事件と雨宮冬悟の事件。

午後には京都の雨宮本家より現当主の妹、雨宮蘭子の聴取が予定されている。雨宮冬悟と紫音の話も蘭子から聞けるはずだ。


けれど夏木舞を取り巻く事情はもっと根深く、複雑だった。舞は明智信彦の娘ではなく夏木十蔵の血の繋がった娘だ。

雨宮冬悟が姪の舞と肉体関係を結んだ根底には紫音と夏木十蔵の不倫がある。


 次にモニターに表示されたのは今年4月に東京立川たちかわ市で起きた半グレ集団レイヴンのメンバーが射殺された事件。立川の雑居ビルでレイヴンのかしらと愛人、計六人が射殺された。


 8月には東京の城東区域をシマにしている中規模暴力団組織、木羽きば会が一夜にして壊滅した。木羽会の本部には木羽会の会長と若頭、他数十名のヤクザの死体が転がっていたと言う。

さらに記憶に新しい先月の伊吹大和の殺害。どの事件も銃殺の未解決事件だ。


 夏木十蔵専属の殺し屋、ジョーカーは少なくとも10年近く前から夏木の側にいる人間に限られる。

年齢や立場を考慮しても否応なしに会長秘書の木崎愁に嫌疑の目が向く。現状、木崎愁ジョーカー説が最有力だった。


 配布された捜査の振り分け表に美夜の名前はない。木崎愁に近しい存在と見なされた美夜は今後のジョーカー関連の捜査への関わりを禁じられた。

これは上野一課長と美夜の上司の小山真紀の判断だ。

雨宮冬悟殺害事件の捜査本部での美夜の最後の仕事は14時に東京駅に到着する雨宮蘭子の送迎のみ。しばらくは内勤業務だ。


 デスクワークを命じられて都合が良かった。今朝から体調が優れず、生理3日目になっても経血の量は減るどころか増えている。

誰もいないトイレでつく溜息はもう何度目?


生理中はメンタルが不安定になりやすい。加えて捜査線上に浮上した木崎愁ジョーカー説が、美夜の心に暗い影を落とした。


 刑事の美夜と女の美夜の感情がせめぎ合う。化粧室の鏡に映る女の顔は、どちらの美夜?

鏡の向こうにいる顔色が悪い女がまたひとつ、幸せを逃す溜息を吐き出した。


愁がジョーカーであろうとなかろうと、彼は美夜の目の前で殺人を犯した。愁の逮捕はまぬがれない。

いずれ訪れるその時の覚悟がまだ定まらなかった。

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