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 誰にチャンネル設定の権利があるか不明の捜査一課のテレビでも立てこもりと夏木コーポレーションのニュースが延々と流れ続ける。

ニュースの合間にチョコレートのCMで元アイドルの高倉たかくら咲希さきの姿を見かけた。


大手芸能事務所に移籍後、少しずつ活動を再開した彼女は来年春にソロとしてのCDデビューが発表されている。仕立て上げられた悪役の汚名返上には時間を要するが、アンチ以上に咲希を支持する声が多い。


 昼休みに高倉咲希のインスタグラムを覗くと、先ほど放映されたチョコレートのCM撮影のメイキング動画が投稿されていた。せめてもの応援の気持ちで美夜はいいねボタンのハートマークをタップする。

動画で会えた咲希の笑顔に憂鬱な心を少しだけ軽やかにして迎えた午後の業務は14時に捜査会議の召集がかけられた。


 会議室に集められた人員は捜査一課の小山班と伊東班の刑事達、特命捜査対策室とサイバー犯罪対策課の他は、見慣れない男性刑事と女性刑事、そして素性が不明な男がひとり、上野一課長と小山真紀と三人で話し込んでいる。


『神田さんと九条くんの席はここね』


幾度の会議を経てすっかり顔馴染みとなった芳賀敬太に手招きされ、美夜と九条は言われるがまま指定の席に着席する。


『芳賀さん、あそこで一課長と主任と話してるあの男は誰ですか? 刑事には見えませんが』

『あの人は小山さんの旦那さん』


 隣席の芳賀はしたり顔で教えてくれた。驚く九条の側で美夜は予期せぬ出会いとなった上司の配偶者を観察する。


男は仕立ての良いフォーマルなスーツを着こなしている。真紀の夫なら年齢は三十代半ばから四十近いはずが、屈託なく笑う横顔は年齢よりも若々しい印象だ。

彼を包む陽気なオーラに微かに混ざる陽気とは相反するに、美夜は木崎愁と同じ種類の影を感じた。


「主任の旦那さんと言うと武田官房長官の甥ですよね?」

『そうそう。でも俺達にとっては官房長官の甥って言うより超優秀なエンジニアだな。確か、神田さんと同じ大学だよ。学部も法学部って聞いてる』

『超がつくエリートじゃないですか。刑事と政治家の甥がどうやって知り合って結婚までしたのか、俺ずっと気になってるんですよね』

「その答えが今のこの状況よ」


 九条と芳賀の背後から小山真紀がわざとらしく顔を覗かせた。目を見開いて驚愕の表情の男二人の隣で美夜だけが平然としている。


『だから小山さぁん! 瞬間移動して後ろから現れないでくださいよ……!』

『びびった……。後ろから主任の声がして心臓止まるかと思いました』

「大袈裟ねぇ。私の動きは神田さんしか気付いていなかったじゃない。いつ何時も対象者の動きは把握して、背後にも視野を持っておかないとダメよ。私が被疑者ならあんた達は後ろから撃たれるか刺されるかして死んでるからね?」


真紀の登場に芳賀だけでなく九条も肝を冷やしていた。噂話に興じて周囲の観察が甘い若手二人を軽く叱責した彼女は溜息で肩を落とした。


「好奇心で詮索されても困るからちゃんと紹介するね。夫の矢野一輝。昔、カオス関係の事件の時に捜査協力を依頼していたの。私達の出会いもその縁」

『矢野でーす。九条くんと神田さんは初めましてだね。二人の話は真紀や上野さんから聞いてるよ。よろしく』


 陽気なオーラ通りのひょうきんな男だ。握手を求められ、九条と美夜は矢野一輝と握手を交わす。

暖かな日向の笑顔は九条に似ている。けれど、九条が持ち合わせていない北風が吹き荒ぶ日陰の部分が矢野には存在した。


親戚に政治家を持ち、何不自由なく育ったであろうエリートのどこに木崎愁と同種の影が潜んでいる?


『自己紹介代わりに俺と真紀の馴れ初めを語ってもいいんだけど、出会い編、俺の片想いからのアプローチ編、恋人編、カオスとの死闘を乗り越えたプロポーズ編、結婚式編、出産編、育児編と分けていくと演説の所要時間が10時間以上になってしまう』

「演説しなくていい。さっさと資料の準備して」

『照れてる真紀ちゃんは最高に可愛いなぁ。うちの奥さんはクールそうに見えて照れ屋さんなんだ。ツンデレ世界大会第一位』


 上野一課長や杉浦、伊東班主任の伊東警部補までもが矢野に全幅ぜんぷくの信頼を置いている気配が矢野と彼らのコミュニケーションの端々で窺える。本来、警察官の身分ではない者がここまで自由に捜査関係者と会話する様を美夜と九条は初めて目にした。


真紀達の言う、かつて犯罪組織カオスが暗躍した“昔”を知らない美夜と九条には語られない人間関係や裏事情があるのだろう。


 矢野の知られざる一面は捜査会議が始まって数分で露になる。矢野はサイバー犯罪対策課と協力してあるアプリゲームを調べていた。


 10月から上野一課長の命を受けた九条がアプリゲームの被験者を務めていた件は美夜も周知だ。現在は九条の任務は解かれているが、九条のプレイデータはサンプルとして上野一課長を通して矢野に送られていたことが、会議の早々に明らかになった。


『俺のゲームのデータが矢野さんに送られてるとは思わなかった。主任の旦那さんって一体何者だよ』

「思い出した。前にサイバー課の飯田いいださんが話してくれたの。矢野さんはサイバー課と科捜研が共同開発した解析ソフトの開発チームにも特例で携わっていたんだって。警察のセキュリティシステムにも矢野さんの手が加わってるらしいよ」

『すっげぇ人なんだな……』

飄々ひょうひょうとしているように見えて、かなりの切れ者だろうね」


 会議室のモニターには九条を含めたゲーム被験者が1ヶ月、クライムアクションゲームアプリ〈agentエイジェント〉をプレイした結果得られたサンプルデータのまとめがグラフと数値で表示される。


 矢野が着目した点はゲームの中毒性と加虐性だ。

クライムアクションゲームの別名は悪役体験ゲーム。ゲームの世界ではどれだけ犯罪を犯しても法律で裁かれない。

ゲーム内に現れる警察や探偵に捕まらなければゲームオーバーにはならない。


 〈agent〉アプリ使用の3日目と1週間後では被験者の犯罪性のレベルも上がっている。定められた2時間以内に犯す犯罪の数もプレイ日数を重ねるほど増えていった。


被験者は全員が警察官。犯罪とは対極に位置する彼らでもプレイ時間の2時間はフィクションの犯罪世界にのめり込む傾向が認められた。


 続いて明かされた事実は〈agent〉アプリゲームはスマートフォンにアプリのインストールが完了した時点でアプリ利用者のスマホ端末の位置情報が〈agent〉側に抜き取られていた点だ。


『仕組みはウイルスを仕込んだ詐欺メールと同じです。詐欺メールはメールに添付されたURLを開くとウイルスが発動して端末情報が抜かれますが、〈agent〉はウイルスの発動条件がインストールなんです』


矢野はわざとウイルスに感染させたスマートフォンを被験者に支給した。被験者達のゲーム利用が警視庁本部内と指定があったのも位置情報を常に霞が関の警視庁本部に固定するためだ。

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