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 警視庁が設置した対策本部は港区芝二丁目に所在する小学校の図書室。この小学校と大通りを挟んだ向かい側に紅椿学院高校がある。


 小学校の正面玄関の前には警官が二名立っていた。二人の警官に警察手帳を掲げ、敬礼に見送られて美夜達は手すりと蹴上けあげが低い階段を上がった。


 図書室は二階の端。偉人達の伝記や古今東西の物語、植物図鑑や宇宙図鑑、世界地図など、小学生向けの書物が書棚に並ぶ図書室に集まるのは気難しく眉を寄せた刑事達。


 集まった刑事達は室内に散らばる各テーブルごとにグループ分けされていた。

指揮官である捜査一課長の上野恭一郎、美夜達の上司の小山真紀と杉浦誠、組織犯罪対策部の百瀬警部と彼の部下が同じテーブルに。


別班の南田康春と多田真利子がすぐ隣のテーブルにいる。南田と真利子は応援で派遣された人員だろう。

他には通称をSITシットと呼ばれる警視庁刑事部所属の特殊犯捜査係が数名待機していた。


 テーブルには数台のパソコンが設置され、壁面に貼られた生徒達が描いた想像力豊かでカラフルな絵は、壁の前を陣取る二つの巨大なホワイトボードに覆われて一部が見えない。

現在、把握している情報がその巨大なホワイトボードに時系列順にまとめられていた。


 事件発生時刻は今日11時50分頃。

紅椿学院高校の守衛室から芝区域を管轄する三田警察署に通報が入った。

銃を所持した数名の男女が正門から無理やり学校に押し入ったとの連絡の最中、轟いた銃声と途切れた守衛の声。


 緊急事態を察した三田警察署の刑事が学校に到着した時には紅椿学院高校の正門と裏門は中から鍵がかけられ、学校の敷地内には銃を所持した男が二人、門からの侵入を試み刑事相手に威嚇発砲を仕掛けてきた。


 事件発生当時、グラウンドで体育の授業中だった中等部三年の生徒三十五名、高等部二年の生徒三十九名、中等部と高等部の二人の女性体育教師はグラウンド側の裏門から脱出、警察が現在対策本部を立てているこの小学校に助けを求めて避難した。


 体育教師が避難先の小学校から110番通報したのが12時13分。教師と生徒達の話では、まず正門側で男の叫び声とピストルの発砲音を数名が聞いている。


その後に女の声で学校を占拠したと校内放送が入った。たまたま体育の授業中でグラウンドに出ていた二人の教師と中等部と高等部の生徒七十四人だけが犯人グループの目に留まらず難を逃れたのだ。


 通報者の守衛や職員室にいる教員とは連絡が付かない。極めつけが12時20分に動画配信サービスとツイッターにて投稿された夏木舞と夏木十蔵の醜聞を訴えるあの告発動画と舞を晒し者にした写真だ。

校内には中等部と高等部、教師を含めて一四〇〇人近い人間が人質にとられている。


 警視庁は捜査一課と特殊班捜査係を中心に特別捜査本部を設置、紅椿学院高校のサーバーに侵入したサイバー犯罪対策課が学校の防犯カメラ映像のハッキングに成功した。


 犯人グループによる教室占拠の数分前、正門前に設けられた防犯カメラの映像には守衛が銃で撃たれる惨劇の様子が映っていた。

この事件はすでに学校の立てこもりだけではなく守衛の殺人事件に発展している。殺害された守衛は青井陽史、勤続三十年を越えるベテランの門衛もんえいだった。


 学校の正門前、昇降口、各棟のフロアに繋がる階段と廊下、複数の場所に設置された防犯カメラ映像から犯人グループの身元を数名特定。


堂々と身元と素顔を動画で明かしたリゾートホテル計画反対派メンバーのリーダーである滝本航大の他は、四十代から五十代と思われる男女が三人、三十代から十代後半と見られる男女が六人、合計十人の姿が確認できた。

大橋雪枝を加えると犯人グループの数は十一人だ。


 三十代の男と二十代の男ひとりは、夏に会長と若頭、幹部を殺害されて壊滅した木羽会の二次団体構成員だった。生き残りのヤクザの端くれ二人の身元は梶浦と吉井。


三十代の梶浦は恐喝と暴行の罪で刑務所に3年服役、二十代の吉井は高校時代に傷害事件を起こして少年院に入っていた前科がある。


守衛を殺したのも三田署の刑事に威嚇発砲を仕掛けたのも木羽会の梶浦と吉井である。対策本部のメンバーに組織犯罪対策部の百瀬警部がいるのも木羽会の残党が関わっているためだ。


 タブレット端末に向き合っていた南田が興奮気味に立ち上がった。彼は端末を持って上野に駆け寄る。


『身元が不明だった若い女の情報が伊東いとう主任から入ってきました。名前は河原水穂、年齢は二十一歳。先月に女子児童連続切りつけの容疑で逮捕した山岸勇喜の実の姉です』


 南田の周りに上野や真紀、美夜達が集まり、一斉にタブレット端末に羅列された情報を閲覧する。南田が警視庁本部の伊東から送られた河原水穂のデータを読み上げた。


『山岸勇喜と河原水穂の両親は3年前に離婚、姉の水穂は母親に、弟の勇喜は父親に引き取られたので二人は苗字が違います。水穂に前科はありませんが弟の事件に不可解な点が多く、伊東主任が勇喜の交遊関係を中心に引き続き捜査をしていたんです』


 女子児童連続切りつけ事件、通称月曜日の切り裂きジャック事件は一部、犯行日時の勇喜のアリバイが立証されている。しかし勇喜は自分のアリバイが証明されている犯行もすべて自分が切りつけ行為を行ったと供述した。

勇喜は誰かを庇っている。十六歳の少年が庇う対象として最も怪しい存在は家族だ。


『今回、伊東主任が山岸勇喜の家族の身辺を洗った時に入手した水穂の顔写真のデータと犯人グループの女の顔認証の結果が一致しました。犯人グループの映像を見た主任がまさかと思って水穂のデータで顔認証をかけてヒットしたようですね』


 先日殺害された紺野萌子は春に世間を騒がせた21世紀の切り裂きジャック、陣内克彦と親密な関係にあったと思われる。

萌子の同級生、山岸勇喜は21世紀の切り裂きジャックを模倣した月曜日の切り裂きジャック。

萌子と共に陣内の教え子だった勇喜も陣内の思想に傾倒していた。


その姉が紅椿学院高校に立てこもっている犯人グループの一味。

これは偶然が呼び寄せた必然?


『なぁ神田、河原水穂の住所って……』

「南千住八丁目。現場に近い場所にあったあのマンションね」


 美夜は九条に頷き返す。

河原水穂のデータに記載された現住所は荒川区南千住八丁目。紺野萌子が殺害された緑地公園の側に建つ、巨大なマンション群のひとつだった。


膨大な情報をひとつひとつ脳裏に浮かべ、データの処理と整理を繰り返して彼女は黙考する。美夜の予感が正しければ紺野萌子を殺した犯人は……。


(勇喜の姉がもうひとりの月曜日の切り裂きジャックだとして、姉を庇う勇喜、勇喜と肉体関係を持った萌子、萌子が所持していた間宮の〈殺人衝動〉、萌子の無意識の上から目線と所持品から消えたスマホ……)


 紺野萌子殺しと月曜日の切り裂きジャック事件。

この二件を解決に導くには、まず目の前に立ちはだかる学校立てこもり事件を解決しなければならない。

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