Act3.恋々残映

3-1

 夢に見ていた十六歳の誕生日は、なんて事ないつまらない日々の延長だった──。


         *


12月4日(Tue)


 ピンク色の弁当箱に敷き詰められたチキンライスを覆うふかふかの黄色い布団。弁当の中身は舞の好物のオムライスだ。

弁当を作り終えた夏木伶はいまだ起床しない妹の部屋の前に仁王立ちする。


『舞ー。そろそろ起きて朝ごはん食べないと遅刻するよ。学校にすっぴんで行けるって言うなら、まだ寝ていてもいいけど』


 控えめにノックをしても返事がない。細く開けた扉から中を覗くとベッドが人型に盛り上がっていた。

伶は人型の盛り上がりに触れた。身体を軽く揺すり妹の名を呼ぶ。

意識は目覚めていたのだろう。すぐに目を開けた舞はぼうっと伶を見上げていた。


『いつも誕生日の朝は浮かれて早起きしてくるくせにどうした? 具合悪い?』

「ううん。大丈夫。……顔洗ってくる」


 今日は舞の十六歳の誕生日だ。去年の誕生日にあんなに来年の誕生日を楽しみにしていた舞は、伶と目を合わせてもにこりとも笑わなかった。


 2018年時点の日本の法律では女は十六歳で結婚できる。そんな情報を耳年増の舞がどこで得たのかは知らないが、小学生ですでに舞は十六歳になった時に愁と結婚すると宣言していた。


愁も伶も冗談半分に聞き流していたあの結婚宣言がまさか本気だったとは今も思わない。けれど舞にしてみれば法律的に婚姻が認められる十六歳という数字は、愁との年齢の距離を埋めるひとつの指標だった。


 舞と伶の朝食の皿がダイニングテーブルに並ぶ。舞はいただきますと小声で呟いてチョコクロワッサンを口に運んだ。


『今年もホテルのディナー予約してあるから。プレゼントはその時にね』

「……うん」


 ここのところ舞は常にこんな調子だ。お喋りだった口数は少なくなり、日常の会話が続かない。

食事も残す回数が増えた。体調を聞けば具合は悪くないと言う。念のため病院で検査を受けさせたが、どこにも異常は確認できなかった。


 片腕を伸ばし、ダイニングテーブルの向こうの舞の額に手を当てた。舞の平熱と伶の平熱は近い。自分の額と比べてもそこまで熱さは感じない。


『熱はないな……。本当に大丈夫か? 舞が元気でいてくれないと俺は悲しい』

「お兄ちゃんは優しいね。舞のこと、いつも一番に考えて守ってくれる。舞はお兄ちゃんが大好きだよ」


そんなに無理して笑った顔で大好きと言われても素直に喜べない。舞の元気を奪った正体を伶は知っている。

食欲不振と鬱ぎがちな今の状態はやはり精神的な影響によるもの。


「“お兄ちゃん”はひとりでよかったのになぁ。二人もいらない」

『舞……』


 最悪のタイミングだった。兄が二人もいらないと舞が口にした時にはすでに木崎愁がリビングの入り口に立っていた。

愁は舞のもうひとりの兄だ。伶自身、まだ愁と舞の血縁関係と母の不倫の事実を受け止めきれずにいる。


 気まずそうに顔を伏せる舞の横を通って愁がキッチンに入った。彼を追いかけてキッチンに立つ伶は愁用のモーニングプレートを用意する。


『……愁さんコーヒーは?』

『いいよ、自分で淹れる。伶も飯食ってろ』


ポーカーフェイスな愁は今、何を思うだろう。舞の一言に傷付いていても彼はそれをおくびにも出さない。

感情の見えない愁と決まり悪そうに食事を続ける舞の狭間で伶も頭を悩ませる。どうして、こんな事態になってしまったのか。


 会話のない食卓は埼玉にいた少年時代を思い出す。黙々と食事を胃に詰め込んだ舞は愁と目も合わさずにリビングを出て行った。


張り詰めた重たい空気が舞の退場でわずかに緩和する。伶は肩の力を抜いて斜め前の愁を一瞥した。


『前に愁さんが、いつか舞に嫌われると言っていた意味がやっとわかりました』

『案の定、嫌われたな』


 伶はかぶりを振った。食べ終えた舞の食器と自分の食器を持って彼は対面式のキッチンに向かう。


『違いますよ。好きだから舞は困ってるんだ。嫌いになりたいのに愁さんをまだ好きだから。でもこの先、大人になっても絶対に愁さんの恋人にはなれない現実を受け止められない。舞は愁さんとどう接すればいいかわからないんですよ』

『それは俺もだ』


 蛇口から流れる水音に紛れて愁の溜息が聞こえた。鉄のポーカーフェイスの裏側で愁も泣いているのかもしれない。


 身支度を整えた制服姿の舞がリビングに顔を出す。

落ち込んでいてもメイクとヘアアレンジは通常通り。それでも今日は少しアイメイクが濃い気がする。


「……お兄ちゃん、愁さん、いってくるね」

『舞、帰り学校迎えに行くから』

「え?」


愁の一言に引き留められた舞は怪訝に首を傾げた。二杯目のコーヒーを用意していた伶も眉をひそめる。

中等部三年の時に遅刻寸前で、伶が愁の車を借りて学校まで送っていったことはあるが、過去一度も愁が舞を学校まで迎えに行った日はない。


『誕生日の特別待遇。正門の前で待ってろよ』

「……うん。わかった。いってきまぁす」


 最後はわざと昔と同じ笑顔を作った舞の足音が遠ざかる。玄関まで舞を見送った伶は、先月から続く愁と舞の膠着こうちゃく状態に挟まれ、くたびれていた。

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