2-12
同級生の誕生日プレゼント代に三万円。年数回の海外旅行も親のクレジットカードでの高額な買い物も家の船でのクルージングも当たり前。
紅椿学院高校の生徒は由緒ある家柄の子女が多い。会社経営者、銀行の頭取、医者や弁護士を両親や祖父母に持つ生徒が大多数を占めている。
和美と亜未の家は会社経営、恵里佳の家は医者。雪枝の父も末席ではあるが、守山ハウジングの役員の立場にある。
だが世間的には裕福とされる家柄の娘が通う私立女学校こそ、カースト最上位と最下層の格差が彼女達の前に残酷に立ち塞がる。
カーストの頂点に君臨する夏木舞は長者番付常連の夏木十蔵が束ねる夏木グループの令嬢。
学校は夏木十蔵からの多額の支援を受けているのを理由に、舞だけは何もかもが特別待遇。
高等部の制服も舞のために今年度から一新され、舞は学校指定の学生カバンではなく、何十万もするハイブランドのバッグで通学している。
今日の英語の小テストも合格点に達しなかった舞は本来であれば和美達と同じく居残りの課題プリントのペナルティがあるにも関わらず、ペナルティは免除。
学校が恐れているのは夏木十蔵からの多額の寄付金が途絶えることだと噂話で耳にした。だから教師達は舞を特別扱いして常に夏木舞と夏木十蔵のご機嫌とりをしている。
名門女子校の名が聞いて呆れる。見た目だけは歴史と品格を掲げる紅椿学院高校の実態は、長いものに巻かれる大人達の金儲けの場だった。
あの学校は腐っている。教師も生徒も腐っている。
一年生にして雪枝は生徒の保護者でしかないはずの夏木十蔵に完全に支配されている学校に絶望を感じていた。
舞の機嫌をとるのは教師だけではない。
中流の家の娘は上流の家の娘の機嫌を窺い、少しでもおこぼれに
父親の権力を盾にワガママ放題な舞が友達や同級生から密かに疎まれている現状は雪枝にはいい気味ではある。けれど舞の前では笑顔を取り繕い、舞を持て
雪枝にしてみれば、ワガママな舞も金魚の糞の和美達もどっちもどっちに思える。
雨の街を歩いて到着した三田駅の改札口の前で雪枝は手元のパスケースを見下ろした。パスケースのポケット部分には彼女の御守りが入っている。
入学直後、夏木舞に逆らってはならないと言う紅椿学院の掟を知らなかった雪枝は舞の怒りを買ってしまった。
舞の憂さ晴らしのターゲットにされた雪枝は、以降の学校生活を舞の奴隷として過ごさなければならなくなった。
舞と舞を囲む和美達の駒使い。宿題や授業ノートの写し、パシりは当たり前。
掃除をしない舞に代わって雪枝が毎日、自分の担当区域が終わった後に舞の担当区域まで出向いて掃除を行っている。
やりたくもないクラス委員は舞の鶴の一声で雪枝に決まった。クラス委員とは名ばかりのクラス全員の都合の良い雑用係。
舞だけではなく、この学校は同級生も姫気質の強いお嬢様の集まりだ。女王の舞がいない場所ではクラスメイト達もクラス委員の雪枝に雑用を言い付け、平気で下僕扱いしている。
雪枝が舞やクラスメイトの使いパシりをする事実を教師達は周知だ。しかし教師は舞やクラスメイトを叱責しない。
中等部の生徒も高等部の生徒も傍観者。すべては舞と夏木十蔵を敵に回したくないからだ。
様々な業界に顔の効く夏木十蔵を敵に回せば親の仕事にも影響が及ぶ。親が仕事を失えば、お嬢様達は今のような裕福な暮らしができなくなる。
人間は皆、自分が一番可愛い。保身のためならいじめも見て見ぬフリ。
雪枝に手を差し伸べてくれる人も、舞の奴隷である雪枝と友達になろうとしてくれる人もいない。
誰も助けてくれない孤独な学校生活が始まって数日が経過した春の帰り道に地元、
何もかも嫌になって自暴自棄になりかけた雪枝が犯罪の闇に伸ばしかけた片手を、あの人の大きな手が包んでくれた。
パスケースに入れた御守りはあの時に万引きしかけたチョコレートの空き箱。あの人が買ってくれたチョコレートは赤と白のパッケージをしたいちご風味のチョコレートだ。
チョコを食べ終えても空き箱が捨てられなかった彼女は箱の一部を切り取り、パスケースのポケットに入れて大切に持ち歩いている。
あの人への淡い恋心を自覚したのは夏の終わり。
親との関係や学校のいじめに疲れた心を癒してくれたのはあの人だった。
親身に話を聞いてくれるあの人のことを考えると顔が火照って鼓動は速くなり、夜も眠れない。勉強ばかりで恋とは無縁の思春期を過ごしてきた雪枝の初めての恋だった。
あの人に好きな人がいると気付いたのは街に金木犀の薫りが漂う秋の頃。警察官のあの人が話してくれる話題にたびたび登場する相棒の女性が、あの人の想い人だと察したのも同じ頃だった。
あの人が相棒の話をする時、雪枝はいつも心の奥が痛くなる。相棒の話が愚痴に見せかけたラブレターになっているとあの人は気付いていない。
好きな人には好きな人がいる。初めての恋で経験するにはあまりにも残酷な現実だ。
ホームに流れ込む電車に乗り込んで、電車の揺れに身を任せる。御守りの入るパスケースを握りしめた雪枝の口から漏れたのは
計画は着々と進んでいる。実行は来週火曜日、舞の誕生日の当日にこの腐った世界を終わらせる。
その日を越えたら元の生活には戻れない。きっと親には迷惑をかける。親不幸者だと泣かれるだろう。
何かが変わるかもしれない期待と何も変わらないかもしれない不安のせめぎあい。
あの人との連絡の頻度は減った。今も月に二度ほどあの人から連絡が来るが、雪枝の方が返事を素っ気なく返してしまう。
会って話をしたのも学校をサボって結果的にあの人に迷惑をかけた10月が最後だ。
会いたい。でも会いたくない。
闇の手前で雪枝を止めてくれたあの人への後ろめたさが、あの人を拒んでいる。
雪枝が抱えるドロドロとした負の感情は善意の塊で生きるあの人にはきっと理解されない。
だけどもしかしたら会えるかもしれない。その日になれば、会いに来てくれるかもしれない。
だって……あの人は刑事だから。
Act2.END
→Act3.
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