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11月22日(Thu)
港区の
愛宕神社はこの長い階段を登った先に境内がある。夕刻を過ぎた神社に参拝客の姿はなく、聴こえる物音は神社に面した大通りを走る車の音のみ。
朱色の鳥居の向こうに黒い影が見えた。近付くにつれて輪郭が鮮明になる影は、黒いロングコートに身を包んだ長身の男に変化する。
鳥居を潜って立ち止まった木崎愁は九条の周囲を見回した。
『今日は相方を連れていませんね』
『神田とはしばらく別行動なんですよ。神田に会えるかもと期待させてしまいましたね』
『別に期待はしていません』
九条と愁は今夜この場所で落ち合う約束をしていた。愁は両脇に並ぶ狛犬のひとつに身体を預け、九条を見据える。
『それで俺に話とは?』
『ジョーカー。この名前に心当たりは?』
『さぁ。トランプ遊びも久しくやっていませんし』
これから刑事の尋問が始まるというのに、愁の顔色は涼しげだ。動じない、感情を見せない、冷めた目付き……夏木コーポレーションで面会した時も感じたが、嫌になるほど愁は美夜と似ている。
『ある筋からの情報でジョーカーが二人いる可能性が出てきた。もうひとりのジョーカーは誰だ?』
『ああ……トランプには確かにジョーカーが二枚入っていますね』
のらりくらりと九条の追及をかわす愁がジャケットのポケットから取り出した物は煙草だ。暗がりに揺らめいたライターの火は役目を終えて刹那に散った。
『刑事の前で堂々と条例違反するなよ。しかもここは神社だぞ』
『神仏を信じない
強面な二匹の狛犬に威嚇されても愁は素知らぬ顔で煙草を咥えた。
端正な顔立ちに品のいい所作。警察相手にあくまでも
その上、都内随一の進学校である
それらを総合すれば木崎愁は黙っていても女を引き寄せる素材を持っている。学校や職場、同じコミュニティ内に木崎愁がいれば大半の男は嫉妬と劣等感に駆られるだろう。
だが神田美夜は相手の外見や経歴に惚れる女ではない。九条がイケメンと称した愁の容姿にも美夜はさして興味がないようだった。
『神田があんたのどこに惚れたのかまったくわからない。優等生が不良に惚れるみたいなものか?』
『きっと男の趣味が悪いんでしょう』
『付き合おうとか、そういった言葉を言ってないんだってな?』
『大人はそんな言葉がなくてもやることはやれますよ。九条さんにも覚えがあるのでは?』
大人の恋愛は言葉がなくても始まると美夜に豪語したのは九条自身だ。あの時は何の気なしに言った言葉が自分に跳ね返ってきてしまった。
『もういい、話題を変える。夏木十蔵の養子と同居してるなら養子になった子ども達の親の事件も知ってるよな? 10年前に埼玉で起きた不動産会社社長夫妻の殺人事件だ』
夜空に向けて紫煙を吐き出す愁は何も言わない。無言は肯定の証と捉えて九条は話を進めた。
『あの事件で殺された不動産会社の社長は同じ日に援助交際相手の女子高校生を殺してる。被害者の佐倉佳苗は神田の同級生だ』
『……そうですか』
『知ってたのか?』
『彼女が埼玉の出身だとは聞いていましたが、同級生の事件は初めて知りました』
淡々とした愁の口調に変化はない。
美夜の過去を本当に知らなかったのか、知っていて今初めて知った風を装っているのか、刑事としては半人前の九条には愁のポーカーフェイスの奥は読めない。
『神田は佐倉佳苗の死体の第一発見者だった』
『話の筋が見えませんね。彼女と同級生の死に何の関係が?』
『神田は人の殺意に同調しやすい。これまでも事件の被疑者に何かにつけて執着されてるんだ。普段はまったく動揺しねぇくせに刑事らしくないだの、自分と同じ匂いがするだのと被疑者に言われただけで動揺して、被疑者にシンパシーを感じている時もあった』
デリヘル嬢連続殺人事件の犯人、陣内克彦に“どうしてそちら側にいる”と問われた美夜は返す言葉を失い、放心していた。
江東区看護師殺人事件の犯人の
サラリーマン連続殺人事件を起こした西村光にも美夜は何かしらのシンパシーを感じていた。光の最後の犯行と自殺を食い止められなかったことを彼女は悔いている。
犯罪者達は美夜の心に潜む闇を巧みに見抜き、彼女の闇に同調する。美夜もまた、犯罪者の闇に同調していた。
『これは俺の憶測だが、佐倉佳苗が殺されて神田はホッとしてしまったんじゃないかと思う。佳苗はアイツの父親とも援交していたようだから、佳苗がしてることを神田は許せなかったかもしれない』
『そういう感情を否定はしませんよ。誰にでも嫌いな人間がいなくなってくれたらと願う感情はある』
『そうだな。俺も否定はしない。……いや、半年間、神田と一緒にいてそういう感情を否定できなくなった。理解はできないが否定もできない』
佐倉佳苗殺しの事件の概要と美夜のこれまでの言動を照らし合わせた結果、美夜は佳苗に対してマイナスな感情を抱いていたと思われる。
『あんた人殺したことあるよな? それもひとりやふたりじゃない』
『何とも言えませんね』
『否定もしないんだな。普通は慌てて否定するぞ』
『普通と呼ばれる感情はどこかに棄てました。あなたのこれまでの話を俺なりの解釈でまとめると、もしも俺が人殺しなら美夜の俺への気持ちはそれに同調しただけだと、九条さんは
軽々しく美夜を呼び捨てにする愁が気に入らない。溢れる個人的感情は拳の震えとなって可視化される。
震える右の拳を左手で押さえ、けだるげに煙草をふかす愁を睨んだ。
『その解釈で間違いない。仮にあんたが俺達が追っているジョーカーだとして、あんたの正体を知っているのに神田は動かないんだ。あんたにとっては遊びでもアイツは何て言うか……ピュアだろ?』
『言いたいことはわかります』
『本気じゃないならきっぱり別れてやってくれ。神田を振り回さないで欲しい』
『……神田美夜に本気だったら、どうします?』
愁からその言葉が出るとは思わなかった。愁の口振りは相変わらず冷静でも、今までとは何かが違う。
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