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 定時時刻を過ぎているためだろう、初めて訪れる夏木コーポレーションの受付カウンターに受付嬢の姿はない。人の出入りもまばらなエントランスのセキュリティゲートの前でスーツ姿の男が待ち構えていた。


『会長第二秘書の日浦と申します。木崎からお二人を会長室までご案内するよう言い付かっております』


 穏和な笑顔を浮かべて近付く日浦に美夜と九条は会釈する。渡されたゲスト専用のIDパスでセキュリティゲートを通過した二人は日浦と共にエレベーターホールで立ち止まった。


日浦とは特に話す話題はない。にこやかな第二秘書の話相手はもっぱら九条が務めている。


『日浦さんは第二秘書なんですね。会長に付いて長いんですか?』

『私は今年から夏木会長の側に。以前は別の企業で社長秘書をしておりました。……どうぞ。途中のスカイロビーで乗り換えとなります』


 最初に乗り込んだエレベーターも、スカイロビーで乗り換えた高層階直通のエレベーターも来客用はどちらもガラス張りのエレベーターだった。

それだけのことでも虫の居所の悪い今の美夜には鼻につく。夏木コーポレーションはどこまでも偉そうな企業である。


 案内されたのは高層階の応接室。日浦が開けた扉の向こうには、会いたいのに会いたくない男の顔が待っていた。


『お連れしました』

『ご苦労さん』


椅子から立ち上がった木崎愁は美夜を見て白々しく腰を折る。夏木コーポレーション会長秘書としての仮面を愁は完璧に被っていた。


「お久しぶりですね」

『そちらも元気そうでなにより』


 愁は美夜を見ても顔色を変えない。彼の反応は予想の範疇はんちゅうではあっても美夜の胸中は騒がしかった。


こちらは生理痛の痛みを薬で誤魔化して働いていると言うのに何が“元気そうでなにより”だ。

愁の他人行儀な振る舞いに苛立ちが増す。


『警視庁捜査一課の九条です』

『夏木会長第一秘書の木崎です。お掛けください』


 愁と向かい合う形で美夜と九条は重厚なソファーの上座に腰を沈めた。日浦は茶の用意で席を外し、応接室にいるのは愁と、美夜と九条の三人だけ。


「夏木会長との面会の約束でしたよね? 会長はどちらに?」

生憎あいにく、会長は外出中でして。代理で私が話を伺うよう会長から申し使っていますよ』


この時間を面会に指定した愁の意図が読めた。愁はわざと夏木会長がいない時間を狙って美夜を呼んだのだ。


はかったわね」

『会長に会わせるとは言っていない。俺も暇じゃないんだ。さっさとそちらの要件を済ませてもらえるか?』


 口調だけは秘書の仮面を外した愁と美夜の睨み合いの外側で九条が話の進行を担った。


『一昨日、大田区の浜辺で身元不明の人骨が見つかりました。DNA鑑定の結果、見つかった人骨はフラワー空間デザインの会社を経営する雨宮冬悟さんの骨の一部だと判明しました。雨宮さんは10月21日を最後に行方がわからなくなっています。木崎さんは雨宮冬悟さんをご存知ですか?』

『存じ上げませんね』

『では夏木会長は雨宮さんをご存知でしょうか?』

『秘書であっても会長の交遊関係すべての把握は難しいですよ。雨宮という男を知っているか、今度会長に聞いてみます』


ここまでの愁の返答も美夜と九条が予想していた通りの結果だ。


 ノックの後に日浦の手でコーヒーが三つ届けられた。砂糖を多めに入れる美夜を愁が物珍しげに観察している。


三人がそれぞれコーヒーに口をつけ終えた後、美夜はタブレット端末を愁に向けた。端末に表示したのは雨宮が銀行の貸金庫に保管していた舞との性交動画のデータだ。

無音設定にした動画を一時停止させ、美夜は男を指差す。


「ここに映っている男が雨宮冬悟、一緒にいる女の子は夏木会長のお嬢さんの舞ちゃんよね?」

『舞のことで話を聞きたいと言っていたから何のことかと思えば、こういうことか』

「この動画を見るのは初めてではなさそうね。舞ちゃんのこんな映像を初めて見せられたら、あなたは動揺しそうなものだけど。動画を前にも見たことがあるでしょう?」


 愁がいくらポーカーフェイスな男でも家族同然に接している少女が中年男と性行為を行っている場面を目にすれば、少なからず表情に動揺の気配が漂う。

だが動画を見ても愁は平常心を保っていた。まったく動じていない。


『仮に俺がこの動画を前にも見ていたとして、それが雨宮さんが骨となって見つかった件とどう関係がある?』

「雨宮はヤクザとの間に金銭トラブルがあった。舞ちゃんが夏木コーポレーション会長の娘と知って近付き、夏木会長の弱味となる娘の性的な動画をネタにして金を強請ゆすりに来たんじゃない?」


しばし無言で見つめ合う美夜と愁。男女の甘ったるい駆け引きを封じた、刑事と犯罪者の視線のみの攻防戦。


『証拠は?』

「証拠?」

『雨宮さんが夏木会長を強請った証拠。それがなければ雨宮さんと夏木会長は結びつけられない。警察が掴んでいる証拠は雨宮さんが舞の援助交際相手だったと示すこの動画だけだろ?』


 雨宮のスマートフォンは行方不明、自宅のパソコンからは夏木会長への脅迫を明示する証拠は出なかった。

美夜は視線を隣の九条に移す。小さくかぶりを振った九条の顔には、ここで一旦引けと書いてあった。


『もしもそのような証拠が見つかった際には、またお越しください。今度は会長と共に話を伺いますよ』


 証拠はすべて消してあると暗に含んだ勝ち誇った表情の愁が憎らしい。


「雨宮の件で舞ちゃんに話を聞かせてもらえない?」

『舞は未成年だからな。任意での聴取なら答えはNOだ。今後は男遊びはしないように俺から叱っておく。警察の説教は必要ない』


 せめてもの悪あがきにと食らい付いた舞への聴取も呆気なく拒否された。この部屋には盗聴器でも付いているのか、タイミングよく廊下側から日浦が開けた扉が美夜達に退室をかしている。


敗北を背負って応接室を去る間も愁とは一切目を合わせなかった。こちらを見つめる愁の視線を背中に感じながら、その視線が持つ意味を彼女は考えないようにしていた。

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