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 店の外階段の踊り場で愛佳の撮影は進んでいた。深井の指示でプロのモデルさながら顔の角度や表情をころころと変える愛佳に、訪れる客達の羨望の眼差しが注がれる。


理世と藍川は客の接客をしつつ撮影の進行を見守る。カラーリングの準備を行う理世の隣に藍川が並んだ。


『理世ちゃんさ、深井の告白保留にしたんだって? 深井から嘆きの電話が来たんだよ』

「少し考える時間が欲しくて……」


 理世が深井に告白されたのは先週の出来事だ。好意を受け取るにしても断るにしてもすぐには結論が出ず、しばらく保留の形で深井には納得してもらった。


『もしかして浮気の心配してる? 深井はチャラそうに見えて一途だよ。高校からずっと友達やってる俺が保証する』

「もちろん深井さんはイイ人ですよ。だけど一度浮気されると、トラウマになるんですよね」


 元恋人の彰良あきらと別れてからの2年間、まったく恋愛をしなかったわけではない。好きになった人も好きになってくれた人もいる。

しかし、誰と恋愛をしても心に生まれる猜疑心。

一度でも男に裏切られた女は慎重になる。


トラウマの原因を作った彼らの名前は口にしたくもない。あの男とあの女のせいで何をやっても上手くいかなくなった。


『俺としては深井はオススメだよ。あいつ、あれでも冷凍食品会社社長の一人息子』

「冷凍食品ってどこの?」

『サブマリンフーズ。あの歳でどこにも就職せずにフリーカメラマンやれてるのは親の金のおかげでもあるんだ。金持ちを鼻にかけない奴だから友達やれてるんだけどね』


 藍川と深井は美容専門学校の同級生。藍川がこの店を立ち上げた当時から、店のホームページやインスタグラムに載せるサロンモデルの撮影は深井が担当している。


「深井さんは美容師免許あるのにどうしてカメラマンになったんですか?」

『美容専門入ったのも親への反抗だったらしい。成績は良かったけど向き不向きはあるよね。最初に勤めたサロンを辞めてからはずっとカメラマンしてる』

「カメラマンが向いていたのかもしれませんね。深井さんの写真には見る人を惹き付ける吸引力のようなものがある気がします」

『深井は職人よりは芸術家肌なんだよ。だから気難しい部分もあってオススメできるけどオススメできない』

「ええ? どっちですかぁ?」


 芸術家よりも職人が好きだと口にできない歯がゆい想いを理世は封じ込めた。

2年前、仕事のスランプと恋に傷付いて荒んだ理世の心を優しく癒してくれたのが藍川だった。

この数年で理世が自分から唯一好きになった男が藍川店長だ。


 思わせ振りなハグと酒の勢いで触れ合わせた唇、欲情に呑まれた身体の繋がり。

幾度も恋人同然の行為をしているくせに藍川も理世も決定的な一言を言わないまま、店長と従業員、友達以上の恋人未満、ただのセックスフレンド……名前の付けられない曖昧な関係を1年以上もだらだらと続けていた。


そうしてあろうことか藍川は理世に好意を持つ友人の恋を後押しし始めた。深井も藍川と理世の関係をどこまで知っているかわからない。

結局、どんな男も最後は自分勝手で残酷だ。


 外階段で愛佳と深井と藍川が楽しげに話している。

背後に聞こえるハサミとドライヤーの音、カラーリングの溶剤の独特な匂い、客の女の子達の恋とお洒落の話も藍川の屈託のない笑顔も、何もかも目に焼き付けておこう。


 もうすぐ彼女はここから消える。あと少しだけ世界一残酷な好きな男の側で、好きな仕事に打ち込んで。


その後はリセットするだけ。

上手くいかない、人生のすべてを。

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