Act1.片蔭、暴く

1‐1

 楕円形のプールの周りをテラス席が囲っている。東京の夜景が一望できる渋谷のカフェアンドバーに集まる人々は今宵も夜風に吹かれながら酒と雑談を楽しんでいた。


賑やかな笑い声が飛び交うプールサイドの一角に笑顔ではない女がひとり。


「だいたいさぁ、別れ話の時に私が好きな人できた? って聞いても、あいつ“そうじゃない”って言ったんだよ。なのに別れた2週間後のゴールデンウィークにもう浮気相手と休日デートしてるじゃんっ!」

「元カレも馬鹿な男だよねぇ。なんでもインスタに載せるからバレるんだよ」


 眉間にシワを寄せて玉置理世はビールのグラスを空にした。理世の話に相づちを打つのは柴本香乃、職業はネイリスト。

美容師の理世が勤務するヘアサロンと同じビルに香乃が勤めるネイルサロンがある。二人は美容専門学校の同期だ。


 酒のさかなは理世の元カレの愚痴。

事の発端はまだ東京に桜が咲いていた2ヶ月前。その日は理世の彼氏の彰良あきらが好きなアーティストのライブの日だった。

やっとチケットが取れたと喜んでいた彰良をいってらっしゃいと朝のメッセージのやりとりで見送った。


ライブ会場に立ち寄る前に撮影した桜の写真を彰良は自分のインスタグラムに載せていた。同じ写真が理世のトークアプリにも送られてきているが、写真を見た理世の心は騒ぎ始める。


 ──この桜の写真を撮った時、彼は本当にひとりだった……?──


当然、ライブはひとりで行くものだと思っていた。他に連れがいるとは聞いていない。


「彼氏が浮気してるかもって直感した時の女の洞察力と情報収集能力舐めんじゃねぇぞぉっ!」

「そういう時の女の勘の良さと嗅覚の良さね。あれは探偵か刑事になれるよね」


 所謂いわゆる、虫の知らせは本当にあるらしい。トークアプリに送られた桜の写真を見た時に鳴り始めた理世の心の警告ブザーは日増しに音が大きくなっていった。

あのライブの日を境に彰良の連絡頻度が減っていった。電話での会話もよそよそしく、メッセージの返信も遅くなった。


 彰良の挙動に不信感を覚えた理世は彰良のインスタのフォロワーから非公開アカウントを除くすべてのアカウントを閲覧した。

そうして見つけた。彰良と全く同じ場所の桜の写真を同じ日付でインスタに載せていた女のフォロワーがいる。

女のインスタでの名前はユミ。


彰良のツイッターでもユミは相互のフォロワーだった。


「彰良は私にはツイッターを知られてないとでも思ってたみたいだけど、彰良とインスタ繋がってる地元の友達のツイッターを探れば、彰良のツイッターなんか簡単に見つけ出せるのにね」

「彼女にアカウントを知られていないと思い込んでるツイッターで女とライブ行く約束してたのも馬鹿だね」

「ねぇー。ツイッターでのチケットの譲渡って私はよくわからないけど、余ったチケット譲ってもらう話から二人で一緒に行くことになったみたい。“予定が空いてるなら一緒に行きませんか? ライブはナマモノですし”……ってユミから誘ってた。それにホイホイ乗りやがって」


 SNSがない時代なら隠し通せたかもしれないやましいやりとり。

どこで誰が誰と何をしたのか、リアルタイムで情報が流れるSNSは対人関係の脆さを浮き彫りにする。


「ユミはその時は理世の存在知らなかったの?」

「彰良はツイッターやインスタでは私の存在匂わせてなかったんだ。ユミも彰良が彼女持ちって知らなかったんだろうね。それは彰良が悪いんだけど、問題はそこからだよ。彰良はライブの日から、ちゃっかりユミと親密になってたの」


 そして桜が散り4月も半ばに入る頃、デートの最中に告げられた彰良の残酷な一言。


 ──“俺達、友達に戻ろう”──


「自分は友達って枠で元カノをキープしておきながら浮気相手と継続して遊ぶって元カノの理世にも浮気相手にも誠実じゃない」

「都合良すぎるよね。彰良の優しさって全部、偽善と自己愛なんだよ。自分がイイ人でいたいから優しいだけだったって別れ話の時に気付いた」


 別れを告げる側は時として残酷にならなければいけない。残酷が相手への精一杯の誠意になると彰良は知らなかった。

『友達に戻ろう』は優しい仮面を被った最低な言葉だ。


悪者になりたくないから優しい人間のフリをする。そうやって理世をどこにも行けないように繋ぎ止めて自分は自由の身になり羽ばたいていく。

優しいフリをした男の偽善で身勝手で最低な一面を知るのは理世だけ。


「一度でも恋愛感情があった男と女が簡単に友達になれるわけないよ。友達だったとしても都合の良いセフレ要因に使われるだけ」

「それがさ、彰良は男女の友情成立派だったの。私が嫌がっても平気で女友達と二人で会ってたりしてたんだ」


 理世と彰良の交際期間はわずかに半年。その半年間、彰良は何度も理世には黙って女友達と二人で食事に行っている。

女と二人で出掛けるのは嫌だと理世が泣いても喧嘩をしても、彰良は何がいけないのか少しも理解していなかった。


「異性の友達だけど下心ないならセーフって思ってるタイプいるよねぇ」

「ねー。どこからが浮気? って聞いてくるタイプもね。二人で食事だろうが映画だろうが付き合ってる相手が嫌がってる時点でそれは浮気だろって思う」


 理世と香乃のグラスはすでに空。まだまだ話足りない二人は追加オーダーを頼んだ。


 テラス席で身を寄せ合うカップルを遠巻きに眺めて、理世はインスタグラムのアプリを開く。

先ほど香乃とこの店で撮ったツーショット写真が香乃のプライベートのアカウントに投稿されていた。


 理世も香乃もヘアサロンとネイルサロンの専用インスタグラムにはスタッフとして顔を載せたりクレジットに名前が載る場合もある。


それとは別の個人のプライベートなSNSは二人とも、限られた人間にしか閲覧できない非公開アカウントにしている。非公開だからと言って出身校名や本名の記載もしない。

プライベートなアカウントをサロンの客に特定されないようにするためだ。ビジネスとプライベートの線引きはSNS上でも保っていたかった。

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