プロローグ

プロローグ

 ラグジュアリーなラブホテルの室内にはバニラを彷彿とさせる煙草の甘い香りが流れている。紫煙を吐き出す木崎愁の隣で裸の女が身動ぎした。


「ねーねー、愁ぅー。今度ね、カタログの撮影でブライダルモデルやるの。ウェディングドレス沢山着るんだよぉ」


舌足らずで甘えた声に愁の思考は遮断される。情欲の解放後の男と女は基本的に真逆だ。女は甘さの余韻を引きずり、男は余韻をシャットアウトする。

彼の思考はここではない別の場所に向かっていた。今も目の前の女を見ているようで見ていない。


『……そう。頑張れよ』

「素っ気ないなぁ。撮影前はエステ行ってぇ、食事制限もしてぇ、大変なんだよぉ。でも結婚前にウェディングドレス着ると婚期逃すって言うでしょぉ? 私も二十五だから、そろそろリアルでウェディングドレス着たいなぁ、なんて」


 愁の持つウィンストンの煙草を奪って口に咥えた女は整形で手に入れた綺麗な二重瞼を細めて笑っている。整形費用を稼ぐために身体を売っていた女がブライダルモデルとは。出世したものだと愁は冷笑した。


 羨望の的の美を手に入れ、金と地位を手に入れた次は約束された幸福を欲しがる。女は何かにつけて結婚を匂わせる生き物だ。


明日には意味のなくなる誓いのキス、法律の鎖となった左手の指輪、義務的な性交渉の産物として誕生する無力な所有物。

結婚の次は子ども、その次は新築のマイホーム。愁がくだらないと思うものを女は必ず欲しがっている。


 これ以上の戯言たわごとを聞きたくなかった愁は女の唇を自分の唇で塞いだ。こうすれば大概の女は大人しくなる。

男と女、両方に吸われたウィンストンは役目を終えて灰皿の底に沈んだ。愁の唇に吸い付いていた女はベッドに潜り込んで男の下半身を手と口でまさぐっていた。


(そういえばあの女……神田美夜)


 女にされるがまま、愁は別の女の名前を頭に浮かべた。


 イタリア料理店での相席がきっかけで関わりを持った愛想のない女は警視庁捜査一課の刑事だった。

警察は愁が最も相手にしたくない世界の人間。愁の雇い主の夏木コーポレーション会長、夏木十蔵は美夜の存在を注視している。


夏木には美夜に関わるなと釘を刺された。美夜の上司はあの犯罪組織カオスを壊滅させたチームの主要メンバー。それだけで夏木が美夜を忌み嫌うとは思えないが、どこでこちらの情報が警察に漏れるかわからない。


だが美夜は愁が知るどの女とも違っていた。


(そうか。あの女なら……)


 現在、ある厄介な問題が愁を悩ませている。

問題の種は愁が面倒を見ている同居人の夏木舞が運んできたが、舞を納得させるには美夜は適任だ。


 ただ会いたいだけなのか。

会う口実を探しているだけなのか。

そうかもしれない、と愁は心でひとりごちした。



プロローグ END

→片蔭、暴く に続く

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