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7月30日(Mon)


 起き抜けの寝ぼけた頭で天気予報をチェックする。東京の天気は一日を通して晴れ、予想最高気温は36℃。

今日も暑くなりそうで美夜は尚更、家を出るのが億劫になった。


 トークアプリに未読のメッセージが一件届いている。先日の結衣子の結婚式で二次会の幹事を務めた七菜ななからのメッセージだった。

伸びかけの鬱陶しい前髪を掻きあげ、彼女は画面を見下ろす。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

結衣子の旦那さんの友達で真山まやまさんって言う東京の商社勤めの人と仲良くなったんだけど真山さんが披露宴で見かけた美夜のこと気にしてたの。

美夜の連絡先教えてって言ってきてしつこいんだ。

どうしよう~💧

_____________


 漏れてくる溜息が返事を打つ指の動きを鈍らせる。これだから大勢が集う場への参加は苦手だ。

確かに披露宴の最中に何度か視線を感じた。二次会を不参加にして正解だったが、友達を介しての接触は逆に厄介な事態になった。


 今日もゆるしをうための日常がなに食わぬ顔で始まっている。憂鬱を引きずって警視庁に現れた美夜を一瞥した九条が苦笑を溢した。


『おはよーさん。朝から雰囲気暗いんですけど。なんか悩み事?』

「友達から男紹介されそうで気が滅入ってる」

『ほぉ、それはそれは』


朝食中の九条のデスクにはコンビニの五目おにぎりとサンドイッチ、シーザーサラダが整列している。相変わらず食欲旺盛な男だ。


「何よ? ニヤニヤして」

『神田にもそういう方面の心配してくれる友達がいるんだなと思って』

「私ってそんなに友達いない人間に見える?」

『見える』


 愁にしろ九条にしろ、美夜の周りには失礼な男が多い。これで機嫌を直せとでも言うように九条が二つ入りのサンドイッチのひとつを美夜に差し出した。


『気が進まないなら彼氏いらないって言えば?』

「女の世界をわかってないなぁ。いらないって言っても強がりに思われて、会うだけ会ってみなよって勝手に予定をセッティングされるのがオチなの」


高校大学の頃は合コンに友達の紹介。単なる彼氏彼女が欲しいだけの恋愛か、結婚を前提とした恋愛か、学生時代と異なる部分はそこだけだ。


『まるで親戚のお見合いオバチャンだな』

「いつの年代でもお見合いオバチャンみたいな子はいるよ。九条くんはどうなの? 彼女は?」


 美夜に問われた九条は飲んでいた野菜ジュースのストローを噛みながら唸っていた。

美夜には暑苦しく感じるこの相棒も女にはそれなりにモテる。九条が以前いた代々木警察署では婦警達に人気があったと聞いている。


『もう2年はいないな。土日必ず休めるわけじゃねぇし、一般職で刑事の仕事理解してくれる女って少ないんだよ』

「刑事は職場恋愛が多いものね。そのまま刑事同士で結婚してる」

『刑事の仕事を理解できるのはやっぱり刑事しかいないからな』


隣席で肩を並べる二人の視線が交わるタイミングに特別な意味はない。


『……お前って顔だけはかなり良いのにな』

「それセクハラ案件になるよ? 顔だけで悪かったね。唯一褒められるこの顔が私は嫌いなの」

『俺は神田の顔けっこう好きだよ。その眉間にシワ寄せた険しい顔とか』


 九条に指摘されて美夜は額を片手で押さえた。美夜をからかって面白がる九条は大口を開けてサンドイッチの最後の一口を放り込む。


「九条くん暑さで頭ふやけてるんじゃない?」

『顔を褒められて嫌がる女、神田くらいなものだぞ』


そうかもしれない、とあえて口には出さない独り言が空気に溶ける。


 午前9時前の捜査一課はソファーやデスクで仮眠をとる徹夜組のイビキの合唱が聴こえ、どこかのデスクでは電話が鳴り響き、ある班では捜査の方針を議論している。


『主任も杉さんもまだ来ないな。動いていないのは俺達の班と……伊東いとう班のメンバーも暇してるな』

「主任達は休みの連絡はないから来ているはずだよ」


ひとりだけ早弁をする男子高校生のようにマイペースな九条の隣で捜査報告書を作成する美夜も、すっかり捜査一課の風景の一部に馴染んでいた。


『神田、九条。こっち来い』


 美夜と九条が先輩刑事の杉浦誠に呼ばれたのは捜査報告書が七割完成した頃だった。


『杉さん、今までどこにいたんですか?』

『小山さんと一課長と話していたんだ。今から捜査会議を始める』

「うちに帳場が立つ事件が起きたんですね」

『いや、まだ正式な帳場が立つかはわからない』


 曖昧に言葉を濁す杉浦の後ろを美夜と九条はついていく。誘われた先は中規模なミーティングルーム。

室内には捜査一課長の上野恭一郎に美夜達の上司の小山真紀、伊東警部補を主任とする七係のメンバーも集まっていた。


指定の席に着席した小山班四名と伊東班六名、総勢十名の顔触れを見渡した上野が口を開いた。


『全員揃ったな。まずはこれを見てくれ。昨夜19時半過ぎ、ある女子大学生のインスタグラムに投稿された写真だ』


 上野が裏返したホワイトボードには一枚のA4用紙が貼られている。用紙にカラーでプリントアウトされているのは目を閉じた女性の写真だった。

各班に一台配布されたタブレット端末にも用紙と同じ画像が表示される。


白い着物を纏う女性は仰向けに寝かされ、胸の前に組んだ手に鮮やかな色彩の花を持っている。女性の顔周りにも赤や黄色の花びらが散り、花びらの海を泳いでいるのは小さな赤い魚のオブジェと電飾。


 着物の白と彩度の高い花とのコントラストが眩しい。一見、何かの広告にも見える。

しかし、これが宣伝目的の広告ではないと誰もが直感していた。


固く瞼を閉ざした女性の蒼白い顔には生きている人間の血色や温かさが感じられなかった。

生気が宿らない女の写真を見ても驚く者はここにはいない。


『写真を閲覧したフォロワーから警察に通報があった。検視官の目視のみの判断だが、女性は死亡が確認されている。死因は毒物による中毒死。使用された毒物の特定には至っていない』


 写真で見る限り女性に目立った外傷はない。本来は色を失うはずの唇には艶のある真っ赤な口紅が塗られていた。

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