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『インスタグラムのアカウントの持ち主は鳴沢栞里。現在の年齢は十九歳、渋谷区にある
上野が口頭で説明する鳴沢栞里失踪の経緯を美夜は手帳に書き記す。
現時点で把握できている栞里の行動は7月26日の午前から午後にかけて大学で授業を受け、15時に表参道の美容室に来店。
母親の話では17時頃に夕食を外で食べてくると連絡があったきり、栞里は27日の夜になっても帰って来なかった。町田市に住む姉も栞里の所在を知らなかった。
町田の姉に会いに行ったのでもなく、栞里が家出する心当たりもない。28日に両親は最寄りの警察署に捜索願いを出している。
栞里のインスタグラムも、ほぼ毎日更新されていた写真の投稿が26日を境に途切れていた。
そうして沈黙の日々が過ぎた7月29日の夜、突如投稿されたのがこのアートされた死体写真だった。
『この写真はインスタグラムのストーリーズと呼ばれる機能で投稿されたものだ。ストーリーズの説明は伊東、頼む』
『はい。まずはインスタグラムの説明ですが……』
上野に代わって伊東警部補がインスタグラムとインスタグラム内に導入された24時間で投稿が消えるストーリーズのシステムを手短に説明する。
最近はSNSを利用した犯罪が横行している。そのたびに各種SNSの説明が為されているため、SNS利用者ではない刑事達にもシステムの基礎知識は備わっていた。
栞里のインスタグラムのフォロワー数は一万九千人。彼女はマイクロインフルエンサーと呼ばれる立場にあり、何かと注目を集める存在だったようだ。
話の主導権は伊東からまた上野に引き継がれる。
『ストーリーズに投稿された写真は24時間で自然に消えるが、不適切な投稿としてインスタグラム側が24時間が経つ前に削除した。だが、栞里のフォロワー数を考えると削除される前にこの写真を閲覧した人数は一万人を越える。おまけに、写真はスクリーンショットが撮られてツイッターなどで拡散が止まらない状態だ』
上野の指示通りにタブレット端末の画面をツイッターに切り替える。ツイッターの検索画面にハッシュタグで〈#死体風アート〉と入力すると、先ほどの鳴沢栞里の死体写真のスクリーンショット画像を載せているツイートが山ほど検索できた。
他にも〈#死体のフリ #死装束フォト〉など冗談半分の不謹慎な言葉遊びのハッシュタグが作られ、栞里の写真は今なお拡散を続けている。
『元ネタを削除してもスクショが出回ったら拡散は止められないよな』
「ツイッターで拡散している人達もこれが本物の死体だとは思っていないようね。一目で死体だとわかるのは医療関係者かな」
『本物の死体だと思っているのは警察やインスタ側に通報した一部の人間だけか』
美夜も九条も、集まる刑事達もSNSによる写真や動画の拡散には幾度も頭を悩まされている。
スマートフォンの普及に伴うスクリーンショット文化とSNS利用率の増加、話題性のある事柄にすぐに飛び付く人間の野次馬根性は犯罪捜査を行う警察には厄介な代物だ。
『栞里のスマートフォンが最後に使われた発信地点を割り出した。7月29日19時38分、場所は渋谷駅構内。この時間は栞里のストーリーズに写真が投稿された時間と一致する』
「渋谷駅……」
『夜7時の渋谷は人の嵐だな』
インスタグラムの操作はハッキングでもしない限りは投稿も削除も行えるのはアカウント所有者のみ。自分の死体写真をSNSに投稿できるわけがない。
栞里のスマートフォンを使用して彼女のインスタグラムに死体写真を投稿した者がすなわち栞里を殺害した犯人だ。
美夜達が閲覧するタブレット端末の画面は栞里の死体写真に戻された。九条の手元に渡ったタブレットを横から覗き込む美夜は栞里の手元を拡大する。
「一課長。この花は生花ではなく造花ですね。拡大するとわかりますが花は布で作られています」
美夜の指摘を受けて全員が栞里の手元の花に注目する。栞里が胸に抱いている花束の花は鮮やかな赤色と黄色、ピンク色の小花が稲穂のようについている。
「これは……キンギョソウ?」
『キンギョソウ?』
「花の形が金魚に見えるからその名前がついたの。昔、祖母の家で金魚草を見たことがあって、この造花と形が似ているんです」
伊東班のタブレットが金魚草のデータを表示する。小山班のタブレットに映る造花と見比べてみると確かに花の形状は金魚草によく似ていた。
栞里が寝かされた白い床に散る花弁も造花に見える。散った金魚草の海を泳ぐ無数の金魚のオブジェはガラス細工だ。
造花の金魚草にガラスの金魚、どこまでも金魚づくしな死体のアートには何の意味がある?
『栞里の死体写真は今もSNSで拡散され続けている。そのうちマスコミも騒ぎ出すだろう。第一に栞里の遺体の捜索、そしてこの写真が撮られた現場の特定だ。伊東班は渋谷駅周辺で不審者の聞き込みと写真から読みとれる情報の分析、小山班は栞里が失踪した当日の足取りと彼女の交遊関係を洗ってくれ。解散』
夏の盛りに発生した死体なき殺人事件。
鳴沢栞里の死亡は確定しているのに彼女の死体は画面上にしか存在しない。失踪した日が7月26日だとしても詳細な死亡推定時刻は不明。
殺害に使用された毒物も画面越しには判別のしようがない。暗中模索な状況下で鳴沢栞里殺害事件の捜査は始まった。
不確定要素が多い事件はそれだけで現場の士気を落とす。足取りを重くしてミーティングルームを去る伊東班の刑事達の中に、ひとりだけ挑発的な笑みを浮かべる男がいた。
扉の前で立ち止まった男はタブレットを見ながら話し込む美夜と九条に視線を向ける。
『あのまま呑気に朝飯食って昼寝してくれて構わないのに』
『は? なんか言ったか?』
『俺達だけで充分だって話。伊東班の足引っ張るなよ』
彼の名前は七係所属の刑事、南田康春。南田は美夜と九条と同じく今春から警視庁に配属になった新人だ。
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