第2話 芥川龍一についての美城みゆきの個人的感情



 美城みしろみゆきは、自分が不完全アンナチュラルな人間であることを十分に理解していた。それは肉体的にも精神的にも発展途上である、ということではなかった。

 彼女はたしかに若かった。

 十五歳。

 それは何事にもリカバリーが効く年齢だ。

 加えるなら、容姿にも優れていた。

 彼女の淡く薄い肌と蠱惑こわくの瞳は少女の幼さを象徴していたが、薄紅色の唇が不意に緩むとき、他者は誰しも胸中の情緒を感じた。

 ただしその美醜びしゅうはかりは、彼女が抱える空虚さを満たしはしなかった。

 単純に、それは局所的に目立つ容貌ようぼうではあったが、類型的な美貌びぼうの中では打ち消されてしまうほど弱々しことも事実であった。

 それでも彼女は自分の横顔だけは気に入っていた。イーラインの美しさは彼女の父が褒めるとき、よく引き合いに出してくれた。そのため一時期の彼女は、写真撮影はすべて横顔でやり過ごすほどであった。

 

 眠い目をこする。

 希望していた広陽こうよう高校に進学することができた春であったが、美城みゆきの深層上の感情はほぼ空虚でしかなかった。

 彼女は何かを欲していたが――答えは見つからない。

 自分が何者であることより、何者になれるかの可能性を模索する。

 鏡の前でうまく笑える練習をする。

 昨日よりもうまく笑えているだろうか?

 美城みゆきは思念する。

 いつか覚悟の源泉に手を差し出したとき、その腕を犠牲にしてでも全てを手にしたいと願える者か、何者にもなれない自分が、果たして他者からしみなく奪えるのか――。

 想像性の範疇を跳躍した妄想のたぐい。

 笑顔の練習をやめ、高校の制服に着替え終えた。朝食を済ませる。

 

 自宅マンションの玄関口で「行ってきます……」と静かに伝え、硬いドアノブを引いて外に出る。



 少し暖かい春風が吹いた。


「おはよう、美城みしろみゆき」


 玄関扉を閉めるとすぐに声をかけられた。


「ちょっと相談したいことがあるんだ」


 みゆきは彼を見つめた。


「おはよ、芥川あくたがわ龍一りゅういち


 嫌な予感がするな、とみゆきは同じマンションに居を構える幼馴染の表情をうかがった。


「私に相談ごと……?」


 小中高と同じ学校に通い、現在高校でも同じクラスの芥川。


「ああ、遅刻してもなんだし歩きながら話そう」


 みゆきは逡巡した。昔はよく一緒に登下校をしたものだったが、今は――。


「みゆき、どうした。行くぞ」


 芥川が振り向いていた。――私には選択する権利はない。みゆきは芥川の後ろについて歩く。


 二人は連れ立ってマンションのエントランスから出た。

 桜が散った四月の半ば、外界は寒暖の差をうれうように日が差したり陰ったりしていた。


「芥川、自転車は?」


 バス停まで歩いて十分ほどの距離。芥川は自転車通学のはずだった。


「今日は歩くよ」

「そう」


 途切れる会話に二人の距離感が表れていた。


「それで相談なんだけど――」

「うん」


 みゆきは芥川の相談を黙って聞くことにした。


「俺はとある機関から依頼を受けているんだ」


 雲行きの怪しい切り出し方だった。まるで国家的陰謀に加担しているがごとく。


「詳しくは説明できないが概略を話すと、うちの高校の旧校舎に魔女が住みついている」


 芥川は続けざまに放つ。


「簡潔に言えば、その魔女を人間に戻す、というのが俺のミッションさ」


 冗談めかしてウインクを飛ばす芥川の言動をまともに考慮すべきか、みゆきは迷っていた。


「ねぇ、芥川。その魔女って――」


 きっと水無瀬香織みなせかおりのことだろう。みゆきの推測は噂話が基礎になっていた。

 いわく、ミナセグループの令嬢が旧校舎の一室に引きこもっているらしいよ、といった種の醜聞しゅうぶん、怪聞だ。さらに言えば、女子高生で社長業をやっていたが激務に精神的破綻をきたしたのだとか。金銭にまつわる不名誉な話題もある。学校側に法外な金品をバラまいているらしい。


「知っているのか、みゆき。水無瀬香織という令嬢だ」


 やっぱり、とみゆきは思った。危険な香りが漂い始めた。自分に選択肢がないことと、選択すらしないことは同義なのだろうか。


「芥川、ごめん、私――」


 みゆきが言いかけると、二人はバス停に到着していた。今しがたスクールバスが停車したばかりのようだった。濃紺の学生服を身に着けた同校生たちが、乗車口に吸い込まれていく。


「メイド業は楽じゃないだろうが、面接せんにゅうそうさの段取りは整っている」


 芥川は軽快にバスに乗り込んだ。


「心配ないさ、俺がついているから」

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