第26話 大学時代

 二人は志望大学に合格し、勉強とバイトに明け暮れるようになる。看護学部も農学部も実習が多く、一般に思い描かれる大学生活とは程遠い忙しい生活を二人は送った。

 しかし、忙しくて良かったのだろう。もし暇だったら、二人は日増しに膨らむ異世界へ残してきた妻への思いに、正気を保つことができなかったかもしれない。

 入学式の頃には、ヒデヨがバスケで活躍した事も、タクミが出演したCMの事も、人々の話題にあがる事は無くなっていた。お陰で淡々とした日々を過ごせていたのだが、二人が勇者の力を使う事態はやはり訪れた。



 タクミが大学生活にも慣れた二年の夏、バイトの帰りに歩きスマホで地下鉄のホームから線路に転落した女子大生を間一髪で救出する。いや、常人には電車が来て間一髪に見えたのだが、タクミの能力的には余裕のある救出だった。

 誤算だったのは、想像以上の大事になったことだ。女子大生はどこも痛くないと言ったが、救急車が呼ばれて連れて行かれた。タクミは駅の別室へと連れて行かれて、駅員から危険な行為だとクドクドとお説教を聞かされる。やがて警察も来て、今回の件にはまるで関係なさそうな事まで、根掘り葉掘りと質問された。

 ようやく解放されてホームへ向かうと、凄い人だった。安全確認と称して、何も落ちていないことなど一目でわかるであろう線路を念入りに調査した結果だった。ダイヤは乱れ、タクミは寿司詰め状態の電車に乗って帰宅する。

 クタクタになり、食事を終えるとすぐに寝た。


 夏休みは午前中からバイトを入れていたので、次の日も普通に起きて家を出た。日曜なので人通りはまだ少ない。

 楽しそうだと思って始めたアニメショップのバイトだったが、想像以上に大変だった。次から次へと何かのフェアがあり、その特典の数々を覚えるのに苦労する。

 変わった客も多く、自分の主義主張をゴリ押ししようとする者が少なくなかった。

 ――これだからオタクが偏見を持たれるんだ。

 タクミは密かに憤っていた。

 古いビルの従業員通用口から入り、エレベーターでショップのある四階まで上がる。

 朝の挨拶をして中へ入ると、店長と社員から手招きされた。三〇歳を越えているのに童顔でいつもアルバイトに間違えられる店長が、自分のスマホを指差して言った。

「これって、君だよな」

 駅で女子大生を助けた時の映像だった。スマホを構えていた人が何人もいたし、その動画がアップされているであろうことはタクミも覚悟していた。

「ああ……」

 タクミはウンザリして、それしか言えない。

「凄いな。人を抱えて助走も無しにホームまで飛び上がれるか、普通。それに、この身のこなし」

「夢中だったんで。よく覚えていないんで」

「まあ、そうだろうけど、君の正体は宇宙人か改造人間で決まりだな」

「いえ、普通の大学生です」

 まだ二十代なのに、老け顔で店長に間違えられる社員が言った。

「助けたコ、なかなか可愛いね。この後、何かイイ事あったんじゃないか?」

「いえ別に。そのコ、すぐに救急車で運ばれて行きましたよ。ボクは駅員と警官にガッツリ叱られました」

「叱られるのか? 人助けしたのに?」

 タクミはうなずく。

「だって、キミが助けなきゃ、このコ今頃ミンチだろ」

 社員の言葉に店長もうなずく。

「オレ昔、病院の夜間守衛のバイトやってたんだけど、一回運ばれて来たことあるんだよ。電車にひかれた人。手も足もバラバラでさ、それでも死亡確認ってするんだよな。見りゃわかるのに」

 話が逸れてきたので、タクミはロッカー室へ行って着替える。エプロンを付けるだけだが。

 朝のミーティングが始まる。店長が今日あるフェアの説明の後に言った。

「ところで、ネットで観た人もいると思うけど、タクミ君が昨日、駅で人助けをしました。なのに、駅員さんとお巡りさんからヒドく怒られたそうで……」

 ドッと笑いが起こる。

「……せめてオレ達だけでも彼を讃えましょう。みんな、拍手!」

 ショップの店員全員が笑顔で拍手した。

「ども……」

 タクミは恐縮して頭を下げる。

 ようやく人助けをして良かったと思えたタクミだった。


 その日も開店と同時に大勢の客がなだれ込んで来た。夏休みは遠方からも中高生がやって来る。

「オイオイ、多過ぎだろ、午前中から」

 隣のレジに立つ、喫煙所でタバコばかり吸っている古株のバイトがウンザリした声で言った。

 最初の客がタクミのレジにやって来た。油断していたタクミは、慌てて背筋を伸ばす。

「いらっしゃいませ」

 四台並ぶレジの一番奥が担当だったので、今日は楽ができると思っていたのだ。

 ――しかしまあ、隅を好む人っているよね。

 そんなことを考えながら人気キャラクターの缶バッチ限定セットを受け取る時、その高校生くらいの女の子に言われる。

「写真撮っていいですか?」

 レジとレジの間には、先週サイン会をやった人気アニメの原作を書いたマンガ家の、直筆イラスト入りサイン色紙が飾ってあった。

「どうぞ、いいですよー。商品のほう、一六五〇円になります」

 タクミは缶バッチを袋に詰めながら答える。

「あの、レンズの方、見てもらっていいですか?」

「えっ?」

 何のことかと顔を上げると、そのコとタクミがツーショットで画角に入るようにスマホを掲げている。そのままシャッターが切られた。

「ありがとうございます。SNSにあげていいですか?」

 サイフの中から小銭を取り出しながら言う。

「えっと、写真ってサインのことじゃ……ちょうどお預かりします……」

 レシートを受け取ると、そのコは足早に去って行った。

「……ありがとうございました……」

 次のお客は二人組の女のコだ。

「おねがいしまーす」

 そう言って、アクリルキーホルダーを一個差し出す。

「いらっしゃいませ……」

 タクミが言い終わらないうちに、当然のように三人で写るようにスマホを構えた。

「すみません、少し笑ってもらえますか?」

 女のコのリクエストにタクミの顔がヒキツる。

「あの、いったい何が……」

 パシャ。

 気が付くと、タクミのレジだけに行列ができている。

 その様子を見て、店長はスマホを調べた。

「あ……ああ、こりゃ大変なことになってる」

 老け顔の社員がのぞき込む。

「どうしたんスか?」

「アイツ今、ヒーローになってるよ。モロ身バレして、名前も大学も、もちろんバイト先も……助けた女子大生が、ご丁寧にお礼やらをツブヤいちゃったから」

「怖いっスねえ、ネット社会」

「……へえ……」

「今度は何スか?」

「何年か前にさ、丸太を打撃で燃やす、みたいなCMがあったろ。あれ、アイツみたい……会社会長がチンピラに襲われていたところを助けたのが縁でCM出演した、だと。人は見掛けじゃわからんね、ホンマもんのヒーローだわ」

「まじスか? あんなチビがねえ」

「あのな、オレが敬愛するカンフースターのリー様もあれくらいだよ。武器でも罠でも本当に何でも有りの戦いじゃ、あれくらいが一番強いんだよ」

「そんなもんスかね。で、どうします、アイツ? バックに回します?」

「いや、このタイミングでアイツをレジから外すと、後が面倒だ。オタクはしつこいからな、あの列だけは捌かないと。君さ、レジ前でカメラマンやってよ。自撮りされると時間かかるし。オレは列のケツで他のレジに流すから」

「了解」

 店長の誘導で、タクミのレジには、一〇分程で誰もいなくなった。老け顔の社員は胸をなで下ろす。

「オタクは、不文律でもその場のルールに黙ってそれに従う習性があるからな」

 店長は一旦レジに休止中のフダを立てた。

「ご苦労さん。じゃあ、君はそのままタクミ君の代わりにレジに入って。タクミ君は、店の入口で今日のフェアのチラシ配りな」

 驚いたのは社員だ。

「正気スか? 今コイツを目立つ場所に置いたら、大変なことになりますよ?」

「そんなこと無いって。ランドでもシーでも、あの巨大ネズミが現れると、みんな行儀良く並んで写真撮るだろ。アレと同じだよ」

「アレを巨大ネズミって言うの、店長だけスよ。しかしまあ、確かにそうかもしれんスね」

「誰でも、一つの目的が達成されたら、次の目的に移るからね。達成されないで、いつまでも店内をウロウロされるのが一番困るから」

 果たして店長の言う通りになった。タクミからチラシを受け取りたいとか、写真を撮りたいという客は、一列に列を作る。そして、目的を達した客は、素直に店内へと流れて行った。

 タクミは、その日一日チラシを配って勤務を終える。いつもと違う疲労感にグッタリだ。

 しかし、店長はいつもの二倍近い売り上げに機嫌がいい。帰ろうとするタクミに声をかけた。

「おお、タクミ君、お疲れェ! 明日も頼むよ。オレの予想しゃ、しばらく特需が続く筈だから」

「はい、わかりました」

「しかし、アレだねえ。淡々と命張って人助けて、周りが騒いでも平常心で……君はアレかね、前世は冒険者か勇者かね?」

「まあ……似たようなものです。異世界でしばらく勇者の経験があるもんで」

 店長はタクミの言葉がツボに入ったらしく、タクミが帰った後もしばらく笑い続けていた。



「人の噂も七五日でござるよ」

 ヒデヨは、タクミがちょっとした有名人になって騒がれているのを見て、そう言って笑ったが、その一年後には他人事では無くなってしまう。バイクでの引ったくり現場に遭遇してしまったからだ。

 その日も暑い日で、ヒデヨはコンビニで新発売の好きなアニメのミニフィギュア付き食玩のパッケージを眺めながら涼んでいた。以前のヒデヨなら迷いなく購入したであろう商品だったが、今のヒデヨは異世界に持って行けない物はできるだけ買わないよう、物欲を制御して生きていた。

 箱を眺めるのにも飽き、他に目新しい商品も無かったので、ソフトクリームを買って外へ出た。

 このコンビニのソフトクリームはヒデヨも大好物だ。食べる度に、これをカナリヤに食べさせられたらどれほど感激するだろう、と考えて切なくなった。

 そんな調子で人通りの少ない道をソフトクリームを舐め舐め歩いていると、ヒデヨを一台の原付バイクが追い越して行った。そして、前方を歩いているOLにぶつからんばかりに近付いて行く。

 ――危ない!

 そう思った瞬間、バイクに乗った男がOLのハンドバックを引ったくった。OLは悲鳴を上げて転倒する。

 ヒデヨは本能的にバイクを追った。ソフトクリームを落とさないように気を付けながら。

 それでもバイクの加速がつく前にヒデヨは追い付き、引ったくり犯の襟首を掴んだ。バイクだけが前方に走って行き、やがてフラフラと倒れた。

 犯人はヒデヨに襟首を掴まれ、ブラ下がった状態で呆然としている。ヒデヨはソフトクリームの溶けて垂れてきた部分をススった。

 OLが踵の高い靴が走り辛そうにやってきた。農業大学にはいないタイプの洗練された大人の雰囲気にヒデヨの鼻の下が伸びる。

「申し訳ないですが、これをしばらく持っててくださらんか?」

 食べかけのソフトクリームをOLに渡す。

 ヒデヨは犯人のフルフェイスのヘルメットを取った。耳はもちろん、鼻にも唇にも、頬や瞼にまでピアスだらけの顔が現れた。

 犯人は我に戻り、怒鳴り始める。

「テメエ! 何しやがる! ブッ殺すぞ!」

 立ち上がろうとしたので、ヒデヨは足払いをした。犯人の身体が大きく舞い上がり、今度は背中からアスファルトに叩き付けた。

「ゲフッ!」

 犯人が苦痛でおとなしくなる。

 ヒデヨはハンドバックを取り上げてOLに返すと、自分のベルトを外して犯人の手足をまとめて縛った。

 犯人は、まるで猟でシトメられたイノシシかタヌキのように地面に転がる。

「頼む、見逃してくれ……」

 もちろんヒデヨは無視して、OLからソフトクリームを受け取った。コーンの部分が湿気て柔らかくなっていた。

「ああ……パリパリの状態で食べたかったのでござるが……」

 無念さが伝わる表情を、OLは不思議な顔で見ている。

「では、警察への連絡はお願いしてよろしいですかな?」

「あ……はい」

「拙者はこれにて」

 溶けかけたソフトクリームを慌てて食べながら去って行くヒデヨの後ろ姿を、OLと犯人は一緒に見ていた。


 自分としては大事にならないよう注意して行動したつもりだったが、やはりそうそう思い通りにはならないと知ったのがその日の夜だった。

 事の始終を駐車場の防犯カメラが全て記録していたのだ。それを全国ネットのニュース番組が、劇的な脚色をして放送した。

 美人OLが引ったくりにあった所に、颯爽と登場したヒーローが犯人を退治し、名も告げずに去って行った、という訳だ。

 別に嘘ではないが、颯爽と登場した訳ではない。たまたま居合わせただけだ。別に大事件でもない。それなのに、ナレーターが現場を中継をしている。

「……防犯カメラの映像では、青年はあのコーンが立っている地点から引ったくり犯を確保したこの地点まで、約七〇メートルを僅か七秒で移動しています。これは、陸上一〇〇メートルの世界記録を凌ぐペースです!」

 ヒデヨは勇者の能力が数値化されることに違和感を感じる。画面は再び防犯カメラの映像に切り替わった。

「……信じられませんが、ソフトクリームを片手に持ったままです。防犯カメラ特有のコマ送りの映像では、平然と歩いているようにすら見えますね。」

 ヒデヨと犯人の顔にはモザイクがかかっているが、警察はしっかり見ているだろう。すでに身元は割り出しているだろうし、連絡がないのは夜で遠慮しているだけか。

 ――まあ、犯罪者ではござらんし、自ら出頭することはないでござろう……。

 助けたOLが素顔で映った。名前も出ている。

「色々と本当に驚いてしまって。助けて頂いたのに、お礼の一言も言っていません。もう一度会って、感謝の気持ちを伝えたいです……」

 実物はそうでもなかったのに、TVで観るとキャバ嬢っぽく見える。不思議に思って観ていると、髪型が念入りに整えられているのに気付いた。全国ネットだし、気合いが入ったのだろう。

 電話がかかってきた。タクミである。

 ところが、電話の向こうからは笑い声しか聞こえない。

「ヒャヒャヒャ……」

「タクミ殿、人が悪いでござるよ」

「クックッ……ゴメンゴメン。でも心配しないで、ヒデヨ君。人の噂も七五日だから」

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