第25話 祭りの後

 ヒデヨが、マグシー・ボークスの再来とか和製マグシー・ボークスなどと呼ばれるようになるのは、ウインターカップ終了後のことだ。

 試合の動画が拡散し、それを観た誰かが言い出したことが定着したのだ。その頃には、ヒデヨはバスケファンの間で、少し知られた存在になっていた。

 しかし、いいことばかりではない。ヒデヨのオタクエピソードや、イジメられた時の話を書き込む輩が出てきた。溝口に振られた時の話も、オモシろ可笑しく誇張されて書かれた。

 事実であれば我慢もできる。しかし、やがてネットの常で、嘘やデタラメのオンパレードになってくる。中でもヒデヨが驚いたのは、寄ってきた女の子を食い散らかしているという噂だ。

 モテないので振られまくるという話と寄ってきた女のコを食い散らかすという話は矛盾するものだが、ネット上ではこの相反する話が双方事実として受け入れられていた。

 ヒデヨは、バスケ部の人間関係を心地よいものに感じていたが、退部して勉強に専念することを決意する。

 白井も、ヒデヨが真剣に農業や畜産を学びたがっているのを知っていたので、快く送り出した。正直なところ、負傷した手首で、これ以上ヒデヨの超高速パスを受け続ける自信も無かった。

「今度はオレ達だけの力でベストエイトを掴むから、安心して勉強に励んでくれ。君とバスケをできたことを、オレは誇りに思うよ」という言葉を鼻向けに。



 CMの編集過程を、タクミは一切見ていない。会社からも連絡が無かったし、実は本人もさほど関心が無かった。

 テレビCMは毎日色々と観ているが、有名人以外のモブの顔がハッキリ映ることなどほとんどない。録画だと、容赦なくスキップだ。

 きっと今回も、後ろ姿や手元のアップ、そして商品の後に隠れるなどして、自分だとわかるほど顔が映ることはないだろうと高をくくっていた。

 CM撮影の現場を見れて良い社会勉強になった、というのが親子の共通意見だった。

 それでもやはり初オンエアの日は楽しみで、例の若いサラリーマンから教えられた時間に両親と母親の弟夫婦、その娘で生意気盛りの中学生のいとこの六人でテレビの前に勢揃いし、録画の準備も完璧にその時を待ち構えていた。

「丸太に火が付くまで叩かされたのよ。もの凄いスピードで。自分の息子がサ○ヤ人に見えたわ」

 母親の話を、いとこ以外が真剣に聞いている。

「丸太って、叩いたくらいじゃ火なんて付かないだろ? なあタクミ君」

 今年の正月も叔父さんからはお年玉をもらったし、タクミは愛想良く答えた。

「そうだね、お母さんはちょっと大げさかな。煙が出たくらいだよ」

 会話中も、いとこはツマラナそうにスマホをいじっている。今でこそタクミを完全に見下しているいとこだったが、小さい頃はタクミを慕い、どこへでも付いて行こうとしたものだった。

 最近では、親が何を言っても反発するらしい。仕方ない、何せ中学二年生である。両親もさじを投げ、時間が解決してくれるのを待っていた。

「おっ、そろそろだな」

 父親が言った。

 サプリメント会社は、人気男性アイドルの二人が刑事役を務める番組のスポンサーだった。CMは、番組開始直前に流れる筈だ。

「私もいくつか飲んでいるが、サプリってのは儲かるんだろうな。こんなゴールデンタイムの番組のスポンサーになるんだから」

 叔父さんが答えた。

「そりゃ儲かるでしょう。原価なんてタダみたいなモノでしょうし」

 皆がソワソワしていると、いきなりCMは始まった。

「ヒッ!」

 タクミが悲鳴を上げる。自分の顔がいきなりアップで映ったからだ。

 緊張感のない顔で上を向き、粒状のサプリメントをサラサラと口の中へ入れている。

 粒が口の中へ落ちていく様子を撮っているのだろうと思っていたが、タクミのバストアップがしっかり映っていた。

 丸太の前にタクミが立つと、ご丁寧に「この映像に早送りもCG加工もありません」とテロップが流れる。

 そして、両手に持った木製ナイフで丸太を打ち始めた。自分の技を客観的に見る機会がなかったタクミは、我ながらそのスピードに驚く。カメラが腕の動きを捕らえきれない。

 実際は数分間叩き続けた筈なので、真ん中は大幅にカットしてあるのだろう。画面が切り替わると丸太から煙が立ちのぼっており、表面に幾筋もの赤い線が浮かび上がる。

 最後、振り返ったタクミが木製ナイフを差し出すと、刃の部分が焼けて赤くなっている。そして、商品とオーバーラップしてCMは終わった。

 僅か三〇秒のことだった。

 すぐに次のCMが始まったが、タクミを含めた誰もがアッケに取られて言葉が出ない。母親だけがドヤ顔で言った。

「ほらね、サ○ヤ人みたいでしょ」

 叔父さんは唸った。

「いやぁ……サ○ヤ人というか、スーパーサ○ヤ人だね。タクミ君、いつの間にあんな技を?」

「通販で買ったDVDで……」

 いとこがタクミの横に寄ってきて、スマホをかざした。

「タク兄ィ、スマホ見て」

「えっ?」

「ホラ、笑って。ピースも」

 言われるがままに従うと、パシャと写真を撮る。

「今度は私の肩を組んでよ」

「いいの?」

「イイから。有名人のいとこと仲良し感を演出したいわけ。わかる?」

「有名人って……ボクのこと?」

 それを見ていた父親が言った。

「最近の若い女の子は、清々しいほどハッキリ言うね」

 何枚も写真を撮られた後、タクミは言った。

「あの、SNSには上げないでね」

「なんで?」

「親友がさ、バスケの試合で有名になったら、ヒドいこと書かれたんだよ。ボクもできるだけ人に知られたくないんだ」

 いとこは鼻で笑った。イマホをいじりながら返事をする。

「心配しないで。友達と共有するだけだから。だけど、できるだけ人に知られないなんて、多分無理だよ。こんな時間に地上波で流れたら」

 そして、撮った写真の出来に満足そうにうなずくと言った。

「タク兄も、もう少し背が高くて、もう少しイケメンだったら、私がデートしてあげても良かったのに」

 それを聞いた叔母さんが笑い出した。

「アハハッ、このコったら、ほんと素直じゃないんだから。ごめんなさいね、タクミさん。失礼なことばかり言って。でもね、このコ、本当はタクミさんのことが大好きなのよ」

 いとこが顔を真っ赤にして立ち上がる。

「やめてよ、お母さん! そんなんじゃないから」

 しかし、叔母さんは楽しそうに話を続ける。

「今日だってね、タクミさんのCMを観に行くって言ったら、友達との約束、全部キャンセルして来たのよ」

 いとこは諦めてソファーに座ると、うつむいて前髪を引っ張りだした。

「このコ、顔だけは美人になると思うわ。一〇年後ぐらいにイイ人いなかったら、お嫁にもらってあげてね。いとこ同士は結婚できるから」

 叔父さんも笑っている。

「それはいいな。タクミ君なら安心して任せられるよ」

 タクミは何と答えて良いかわからず、ニガ笑いするしかなかった。


 その日の深夜、ヒデヨから電話があった。

「観たでござるよ! カッコ良さに痺れたでござる。ニベヤ殿に観てほしい勇姿でしたなあ」

「うん。でもニベヤさん……カナリヤさんもだけど、ボクらのコッチの顔を知らないから」

「ハハハ、そうでござった」

「ところでさ、あのCMでボクだとわかる?」

「もちろん。事前に聞いてもいたし」

「そうじゃなくて、知らない人でもボクって気付くかな?」

「あ……ああ、どうでござろう。肌は小麦色に補正してあったし、眼はメイクのせいでパッチリでしたな。あのツンツン逆立った髪はカツラでござるか?」

「ううん、地毛だよ。整髪料ベッタリ付けてさ、あの後シャンプーが大変だったんだ」

「まあ、常にタクミ殿に関心を持っている人であれば、普通に気付くでござるよ。逆に、そうでなければ、まず気付かれることはないかと……悪口の書き込みを気にしているのでござるな」

「うん……」

「見ないことでござるよ。世の半分の人が悪く書いても、あと半分の人は良く書いてくれる。ところが、悪く書かれたことばかりが記憶に残るのでござるよ。であれば、最初から見ないほうがいい」

「……そだね。やっぱりヒデヨ君はスゴイや」

 タクミは心からそう思った。


 次の日、誰かに声をかけられたらどうしようと緊張しながら登校したタクミだったが、拍子抜けするほど何も無かった。

 初オンエアの後も、番組中にもう一度CMは流れた。いとこは色々検索して、CMに出演しているのが誰なのか、話題になっていると教えてくれた。

 だが、クラスメイトには、タクミとCM出演が結び付かないようだ。生徒会が始まる頃には、すっかり平静を取り戻しているタクミだった。

 いつものように議事が進行し、紛糾することもなく淡々と議案が決まっていく。終了するとタクミを除いて全員が退席した。

 タクミは生徒会室を片付け、簡単に掃除すると、部屋を出て鍵をかけようとした。

「能ある鷹は爪を隠す、ね」

 突然後から声がして、タクミは驚いて振り返る。

「な! 何?」

 神原が立っていた。

「昨日観たわよ。カッコ良かった」

 シラは切れないとタクミは直感する。

「どうも……ありがとう。よくわかったね?」

「え? わかるわよ。顔、バッチリ出てたじゃない。タレントにでもなるの?」

「ならないよ。大学に行くし」

「あら、もったいない。アクション俳優なんて向いていそうなのに」

「あのCM一本の約束なんだ。それを言うなら、神原さんこそ美人だから……」

「知らなかった? 私はアイドル脱落組。某人気グループだったけど、人気投票で下位が続いてクビになった組なの」

「……ゴメン。知らなかったんだ」

「気にしないで。色々言われるけど、私も気にしないようにしている。人なんて、どうせ他人の表面だけしか見ていないから……私もだけど」

 自分もだ、とタクミも思う。神原の表面だけを見て、勝手に羨んでいた。神原にも、神原なりの葛藤や悩みがあった筈だ。

「ほら、去年の転落事故の直後。アナタ、あのお調子者連中の一人を手玉に取ったでしょ。アレ、みんなヤツが勝手に滑って自爆したと思っていたけど、違ったのね。道理であの連中がアナタにチョッカイ出さなくなった訳だ」

「生徒会に入ったのもあると思うけど」

「……私ね、アナタのこと、凄く尊敬している。一号……じゃない、ヒデヨ君もよ。人って、ここまで自分が持っている爪を隠して、謙虚に生きられるものなの? 教えてほしいわ」

 タクミは笑って誤魔化す。

「ははは、オタク二号でいいよ。ボクのことは」

「ううん、タクミ君。タクミ君はさ、好きなコとかいるの?」

「え?」

「女の感。タクミ君が急にイキイキして、自己主張も始めたのは、好きなコができたからなのかな、って」

 恐るべし、女の感。

「……そうだね。その通りだと思うよ」

「それって……私のこと?」

 神原は少し恥ずかしそうに視線を逸らす。

 タクミは言葉に詰まった。神原の発言は、いつもタクミの想定の一枚上を行く。

「……い……いや、違うけど」

「えっ……違うの? おかしいなあ、この学校に私くらいタクミ君のこと見ている女子はいない筈なんだけど……」

 神原なりにリサーチした結果なのだろう、本当に驚いている。

 タクミは昨日のヒデヨの言葉を思い出した。

『常にタクミ殿に関心を持っている人であれば、普通に気付くでござるよ』

 ――神原さんは、本当にボクに関心を持っていたということ?

「だってホラ、神原さんはこの学校一の高嶺の花で、そんなこと考えたこと無かったよ」

 嘘ではない。

「じゃあ、私にも、まだチャンスあるのかな?」

 神原は、真っ向からきた。タクミも、真っ向から返す責任があった。

「……何というか、ボクは一度死んだんだ。それを救ってくれたのがニベヤ……彼女だった。今、彼女は病気で会えないけど、ボクが勉強するのも、身体を鍛えるのも、全部彼女を幸せにするためだよ」

 神原は、廊下の天井を見上げた。

「ああ……だから看護大学志望なんだ。……何か良い勉強になった。こんな失恋を経験して、男を見る眼って養われるのね。でも、タクミ君みたいなイイ男、簡単に諦めてなんかやらないんだから」

 そして、後にクルリと振り向く。長く美しい髪が見事に跳ね上がった。

「……まだ、卒業まで一年もあるし。さようなら、また明日」

 いつもの早足で去って行く。

「さよなら……」

 タクミも応えたが、神原はもう遠くにいて声は届かなかった。


 簡単に諦めない、神原そうは言ったが、二人がこの話をすることは二度となかった。

 二人が別れたあと、タクミは校舎の屋上に向かう。一緒に帰ろうと、ヒデヨと待ち合わせしていたからだ。

 ところが、ヒデヨは屋上に続く階段の下でタクミを待っていた。

「どうしたの、ヒデヨ君。外に出ないの?」

「あ、タクミ殿。屋上には出ない方がいいでござるよ。神原女史がいるでござる」

「神原さんが……」

「号泣してござった。何があったかは知らぬでござるが、今はそっとしてあげた方が良いかと」

「……泣いてる」

「美貌とか、カリスマとか、人が羨むものは全て持っているように見えても、やはり人並みの悩みはあるのでしょうな」

「うん、どんな人にも色々あるんだよ。色々……」

 タクミは自分に言い聞かせるように言った。

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