第23話 高校生活の再開

 翌日、筋肉痛に耐えて登校した二人は、数学教師に礼を言うために職員室へと向かった。

「もう大丈夫なのか? うん、足はちゃんと付いているようだな」

 会う教師会う教師、同じことを言われるのでウンザリしていた時、数学教師が陸上部の朝練から戻ってきた。

「おう、おはよう。足は何とか付いているな」

 タクミはニガ笑いして答える。

「はい、おかげさまで。先日はありがとうございました」

 ヒデヨも頭を下げる。

「ありがとうございました」

「二人が生きてて本当に良かったよ。いや、これマジだから」

 顔は笑っていたが、数学教師の眼は真剣だ。

「で、これだろ」

 数学教師は、机の引き出しからレジ袋に包まれた物を取り出す。

「君たちな、学校にこんな物持ってくるなよ。二人がどんだけマジメか、知っているから返すけど、普通なら没収だぞ」

 タクミとヒデヨは恐縮して受け取る。

「金属持って高い場所にいたのが落雷の原因だろうな。もう持ってくるなよ」

 そして、数学教師は声を潜めて言った。

「でもそれ、アレだろ、深夜にやってた魔法少女アニメの。実はな、先生も観てたんだ。よく買えたよな、限定品のナイフだろ。キズとか血糊とか、リアルでカッコいいねぇ。ウェザリングってヤツか。自分でやったの?」



 教室に入って、タクミに声をかけてきたのは、生徒会副会長の神原だけだった。

「おはよう。大変だったわね。身体はもういいの?」

 気遣いのできる女子だったんだな、とタクミは思う。

「ありがとう。大丈夫だよ」

 笑顔で返事をすると、タクミの仏頂面以外の表情を初めて見た神原は不思議な顔をした。

 しかし、タクミがいなかった二日間、誰も掃除をしなかったのは間違いない。教室の隅にはホコリ玉が転がり、ゴミ箱に収まりきれないゴミが溢れ出している。

 タクミが机の上に鞄を置いた途端、案の定、教室の後方にたむろっていたスクールカースト上位のヤンキー系グループが声をかけてきた。

「ヨオ、オタク二号。なる早でこのゴミ捨ててこいよ。臭くてタマんねえからさ」

 ――ああ、ここではボクは勇者なんかじゃなく、オタク二号なんだ……。

 タクミはそんなことを思いながら答えた。

「イヤだよ」

「はあっ?」

「ボクは今週の掃除当番じゃないから。ゴミは掃除当番が捨てる筈だろ。でも、君たちが捨てにいくというなら、喜んで手伝うよ」

 タクミに命令したリーダー格が、真っ赤な顔になって立ち上がった。

「何ナメた口きいてんだ!」

 そう大きな声を出すと、タクミに向かって突進して来る。

 ――ヤンキーってのは、何でこうムダに顔がいいヤツが多いんだろ?

 タクミはそんなことを考えながらヤンキーの到着を待った。すでに心拍数は上がり、周囲がスローモーションのように見えている。クラスの全員がタクミが無様に這いつくばる様を期待して、ニヤニヤしながら成り行きを見ていた。

 タクミは鬱々とした気分になる。そして、向こうの世界の純朴なヒト達を思い出す。

 お互いが思いやり、助け合わなければ生きていけない世界のヒト達。油断をすれば他の種族に喰われる世界に住む者は、こんな風に誰かがイジメられるのを、スポーツを観戦するかのような眼で見ることなど決してない。頑固揃いの長老達でさえ、村の将来と村人を思う気持ちに偽りはなかった。

 タクミは、このヤンキーが人を威嚇するときに、どんな手段を取るかを知っていた。何度かやられたことがあるからだ。

 髪を掴んで振り回す。最後は床に顔を押し付ける。殴らないので顔にアザもできず、教師にもバレないという寸法だ。

 一八〇センチ近いヤンキーは、右手を上から伸ばしてきた。タクミは一歩下がると、両手でその手を掴み、思い切り手前に引く。

 ヤンキーはそのまま頭から前方に倒れていく。顔面が床に激突する寸前、タクミは制服の襟首を掴んでヤンキーを引き上げた。ヤンキーの体重は七〇キロほどだろうか、今のタクミの腕力で引き上げるには、精一杯の重さだった。

 助けてもらったというのに、ヤンキーの顔は益々赤くなった。

「このオタク野郎! ブッ殺してやる!」

 タクミの耳には、スローモーション再生時のような妙な声に聞こえる。

 横殴りのパンチが飛んできたので、タクミは身を屈めてよけた。勢い余ったヤンキーが、そのままクルリと半回転する。

 後を向いたところでタクミは再びヤンキーの襟首を掴み、強く引っ張った。ヤンキーは今度は背中から倒れるが、やはり後頭部を床に激突させる直前に、タクミは胸倉を掴んで引き上げた。

 ところがギリギリで助けたつもりが、ヤンキーの頭は勢い余って後方に反ってしまい、床にぶつかってゴツンと鈍い音をたてた。

「イテテ……」

 タクミに立たせてもらうと、ヤンキーは頭を押さえて痛みに耐える仕草をする。本当に痛いというより、周囲への照れ隠しに見えた。

 相棒のヤンキーが飛んできて、痛がるヤンキーの肩に手をかける。

「オイ、もう止めとこうゼ。コイツ、マジやばいって。雷に感電してチート化してやがる」

 その時、担任の教師が教室に入ってきた。



「皆さん、朝礼を始めますよ。席について……」

 担任の教師は、凍り付いた教室の空気を敏感に感じ取った。何かが起きている最中か、もしくは何かが終わった直後か……四十年に渡る教師の経験がそう告げている。

 教室の中央に、一昨日の事故から復帰したばかりイジメられっ子と、騒ぎをよく起こす不良の二人が立っていた。それを周りが遠巻きに見ている。

 ――またイジメか……。

 担任の教師はウンザリした。なぜ毎年毎年受け持つクラスに、必ず問題児がいるのだろう。あの中の何人かでもいなければ、自分もせめて教頭になれたのではないか、そんなことを折りに触れて思っていた。

 ――どうでもいいから無事に定年を迎えさせてほしい。

 今の願いはそれだけだ。

 だから、担任の教師が何も気付かない振りをしてやり過ごそうとした時、イジメられっ子が自らが口を開いたのには驚いた。

「先生、ゴミ箱が一杯なんです。この二人が手伝ってくれるので、捨ててきていいですか?」

「えっ? ああ、それはいいことですね。ゴミだらけの教室では勉強にも身が入らないでしょうから」

 担任の教師はそう答えたが、二人の不良が怒り出さないかと、ヒヤヒヤしながら見ていた。しかし、イジメられっ子から背中を押されると黙って従い、ゴミ袋にゴミを詰め始める。

「あの、朝礼を始めているので、なるべく早く戻るように」

 返事をしたのはイジメられっ子だった。

「はい! わかりました」

 三人がゴミ袋を持って教室から出て行くと、他の生徒は不思議な顔しながら席についた。

 それを見て担任の教師は思った。

 ――昔から言うキツネかタヌキに化かされたかのような表情ってのは、このことなのだろうな……。



 昼休みのチャイムが鳴ると、ヒデヨは真っ先に白井の教室へ行った。

 声をかけると、巨体を揺らしながら廊下へ出て来た。

「よっ、オタク一号。自分から水代払いに来たか。助かるぜ、次からも頼むな」

 当然だが、ヒデヨが屋上から転落したことなど、触れようともしない。

「そのことでござるが、君にお金を払うのは今後やめるでござるよ。高校生同士でそんな事をするのは良くないでござるからな」

 白井の顔色が変わった。声が低くなる。

「オマエ、自分が何言ってるのか、わかってんのか?」

 ヒデヨは元気良く答えた。

「もちろん! バスケ部も、これからは誠意で応援するでござるよ」

「……オイ、ちょっとコッチ来いよ。誰もいない所で話そうぜ」

 こんな時の白井の常套手段をヒデヨは知っていた。体格の劣る相手には肩を組むように覆い被さり、強引にひと気の無い所へ連れて行って、身体にアザが残らない程度の暴行を加えて脅すのだ。

 今回も白井はヒデオの肩を組もうとした。

 しかし、肩を組もうとした瞬間にヒデヨの姿は消え、白井は文字通り肩すかしを食らって体制を崩す。いつの間にかヒデヨは、白井の正面に距離を取って立っていた。

「それも断るでござるよ。拙者には、これ以上話すことは何もござらん」

 白井は周りを見回した。誰もが平常に廊下を行き交っている。

 ――気のせいか?

 今度は慎重に右手を伸ばして、ヒデヨの胸ぐらを掴もうとする。

 掴んだ……筈だった。しかし、それは残像で、手は空を握る。

 ――消えた……。

 白井が呆然としていると、耳元で声がした。

「では、拙者はこれで失礼するでござるよ」

 ヒデヨは、白井の真横に立っていた。

 白井は驚いて一瞬仰け反るが、体制を立て直してヒデヨの前に立ちふさがる。

「ここを通れるものなら通ってみろ!」

 白井は腰を低く落とし、バスケットのディフェンスの構えだ。

 生徒の何人が足を止め、その様子を見ている。

 ヒデヨはゆっくりと直進した。ゆっくりと歩いているつもりなのだが、ゾーンに入っているヒデヨの歩きは、周囲にはとんでもない速度に見えるのだろう。

 白井も反応して通さまいと両手を広げる。しかし、ヒデヨは易々と白井の脇の下を通り抜け、背後で立ち止まった。

 ヒデヨが呼吸を整えると、体感時間が徐々に元に戻っていく。

 それを見ていた女子の一人が声を上げた。

「あれ? 何? 何今の?」

 見ていなかった女子は、興味なさげに答える。

「ん? どうかした?」

 声を上げた女子の視線の先を見るが、白井とヒデヨが背中合わせに立っているだけだ。

「何もないじゃん」

 しかし、声を上げた女子は、白井とヒデヨを見つめ続ける。

 ヒデヨは、鼻の頭をポリポリと掻いた。

「もういいでござるかな。これで失礼するでござるよ。お腹も空いたので」

 ヒデヨが去ろうとすると、白井は振り返って叫んだ。

「待って! オタ……じゃない、ヒデヨ君。オレの話を聞いてくれ!」

 あまりの大声に、ヒデヨだけじゃなく、廊下にいる全員が振り向く。しかし、白井は人の視線などお構いなしにヒデヨに詰め寄った。

「お願いだ、バスケ部に入ってくれないか? オレと君なら……全国の上位がねらえるから!」

「ええ!」

 ヒデヨだけじゃない。廊下にいた誰もが驚きの声を上げた。

「正直に言う。ウチの部がウインターカップに行けるのは運だ。ラッキーが重なったからだ。だけど、全国は運で勝てるほど甘くない。だからといって、ただ行っただけで満足なんてしたくないんだ」

「いやいや、拙者はバスケットなんてロクにやったことないでござるよ。おまけにこんなチビだし、そのウインターカップまで何ヶ月もないのでござろう?」

「背の低いバスケ選手って、結構いるんだ。君はその動きで、ゴール下までボールを運んでくれればいい。後はオレが絶対ゴールを決めるから」

 白井は後悔していた。こんな凄い動きをするヤツと知っていれば、みみっちく金をせびったりせず、最初からバスケ部に勧誘していたのに……。

「その動きって言われても、今のはボールを持っていなかったでござるから」

「オレは本気でディフェンスしたんだ。それを、あそこまで簡単に抜くなんて……」

 ヒデヨは、右手のひらを差し出して白井の言葉を止めた。

「白井殿。お誘い頂くのは光栄ですが、拙者はやはりバスケットはできませぬ。農業大学への進学を希望しているので、この出来の悪い頭では今からガンバるしかないのでござるよ」

 白井は、見ていて気の毒なほど落胆した表情になる。ヒデヨは早くここから立ち去りたかった。

「でも、約束するでござるよ。試合は必ず応援に行くと。あ、でも女性ファンで一杯で、拙者の席など無いかもしれませぬな。ははは。では……」

 ヒデヨは、まるで逃げるように自分のクラスへ戻って行った。

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