第21話 前世=現世
誰かが耳元で叫ぶ声で眼が醒めた。
「おい! 大丈夫か? 聞こえるか?」
胸を強く叩かれている。
タクミは瞬時に自分の使命を思い出し、立ち上がろうとした。
「急いで……急いで病院に行かないと!」
すると、何本もの手が伸びてきて、タクミを横に寝かそうとする。
「ちょっと待て、大丈夫だから。こっちから行かなくても、救急車がこちらに向かっている」
見覚えのある男だった。銀ブチのメガネ、短めに刈り込んだ頭、神経質そうな口元……。
――そうだ、高校で数学を習ってた先生だ……。
他にも、見覚えのある顔がタクミをのぞき込んでいた。みんなランニングウェアやジャージを着ている。
横を見るとヒデヨが倒れていて、周囲を冷静に観察していた。
タクミの視線に気付いて振り向くと言った。
「タクミ殿、無事でござるか?」
「大丈夫だよ。それと、病院を探す必要はないみたい。救急車が連れて行ってくれるって」
「それはラッキーでござるな」
その会話を聞いた数学教師が呆れて二人に言った。
「お前達、呑気だな。あんな目にあって」
タクミは尋ねた。
「ボクたちに何があったんですか?」
「カミナリに打たれたんだよ! スゴイ音だった! 青天の霹靂っていうのか? 初めて見たよ。ホントにあるんだな」
陽によく焼けた女子生徒が続けた。
「音の方見たら、アナタ達が校舎から落ちている瞬間だったの。落雷の衝撃で柵から飛び出したのね」
この女子生徒にも見覚えがあった。確か陸上部のキャプテンだ。そういえば、数学教師も陸上部の顧問だった筈だ。
別のランニングウェアを着た男子生徒も言った。
「オレも見たよ、落ちるトコ。なんと言うか、鳥の羽みたいにフワフワ落ちた。なあ先生、電気を帯びると、あんな風に重力を無視した落下になるのか?」
「私も知らんよ。カミナリに打たれた人を見たのは初めてだ。でも、現実がそうなんだから、きっとそういうものなんだろう。しかし参ったな、こんな日に限って保健室の先生がいないんだよ」
遠くに救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
数学教師が陸上部員に言った。
「誰か、校門まで行って救急車を誘導してくれ」
数名が校門に向かって駆けて行くが、それ以上の人間が更に集まって来た。その中にタクミの担任もいた。
担任は、生徒をかき分けてタクミの前に立った。
「命は! 命はありますか?」
数学教師が答える。
「不思議なほどピンピンしています。救急車も間もなく到着するでしょう」
担任は、全身の力が抜けるようにヒザをついた。
「良かった……」
生徒が無事であったことにも安堵したが、定年間近なこの時期に、命に関わるような事故が起きてほしくないのも本音だった。
タクミは担任に声をかける。
「すみません先生、ご心配かけて」
「いや、謝るようなことじゃないよ。自然災害の類だ。誰のせいでもないから」
「ところで先生、今日は何日ですか?」
「かわいそうに、ショックで記憶が混乱しているんだな。今日は十一月四日、水曜日だよ」
「やっぱり……」
横を見ると、ヒデヨはタクミの眼を見て黙ってうなずいた。
☆
その後、二人は救急車で同じ病院に運ばれる、
心電図がとられ、頭部のMRI検査を受けた。採血をして、全身をくま無く診察される頃にはストレッチャーから下ろされ、自力で歩いて院内を移動させられた。
全ての検査が終わり、二人は急患室に戻される。一緒に説明を受けたいと言うと、電子カルテモニターの前に並んで座らされた。
それから、既に到着していた二人の母親も、看護師から急患室に招き入れられた。青い顔をして眼を泣き腫らしていた母親達は、二人があまりにも平然と座っていたので、大口を開けて驚いた。
最初に切り出したのはタクミの母親だった。
「あの、先生。私たち、子供がカミナリにうたれて、校舎から落ちたと高校から連絡があって、慌てて来たのですが?」
二十代後半と思われる若い医師は、オレに聞かないでくれとばかりの表情で答えた。
「私も救急隊からそう報告を受けています。まあ、お母さん方もどうかお掛けください」
机の上にズラリと並んだモニターの一つを医師は指差した。
「これが二人の心電図、こちらがMRIの画像です。いずれも全くの正常です」
医師はマウスを手にしてカチリと一回クリックする。
「そしてこれが血液検査。タクミ君に男子としては少し貧血の傾向がありますが、まあ正常範囲内です。炎症反応は見られない」
ヒデヨの母親が質問した。
「それは、この子達が落雷を受けて校舎の屋上から転落したのに、悪いところが一つもないということですか?」
「そうですね。実は落雷を受けて一命を取り留めることは結構あります。しかし、体内を高圧の電気が流れるので、リヒテンベルグ図形と呼ばれる稲妻形のヤケドが残るのが普通なんです」
「それも無い?」
「ええ。身体のスミズミまで診ましたが、ミミズ腫れ一つない。それにも増してですね、校舎の屋上から落ちて擦り傷一つ無い」
母親達にとっては、現象の異常さより、子供が無事だったことの喜びの方が大きい。今度は安堵の涙を流し始めた。
タクミとヒデヨは母親の背中をさすった。二人にとっては二ヶ月ぶり、もう会えないだろうと覚悟していた親との再会である。やはり涙が溢れてきた。
医師としては釈然としないものがあるのだろう。どこかに見逃しがないかと、眼を皿にして電子カルテのデータを見つめている。
「まあ事が事なんで、今日は大事を取って入院しましょう。明日、もう一度検査して、何も無ければ退院です」
看護師が四人を立たせた。
「こちらへどうぞ、入院の手続きをお願いします」
四人が礼を言って急患室を出る時、医師はまだ首を傾げて電子カルテを見つめていた。
☆
そこは二〇〇床ほどの中規模病院で、内科、外科、整形外科と一通りの診療科があった。タクミとヒデオも病院の存在は知っていたが、来たのは初めてだった。二人の自宅からも高校からも、そう遠くない場所にある。
同じ四人部屋に入院して、さほど美味しくない病院食を食べた二人は、見舞客が帰って誰もいなくなったディルームに行った。
木製の簡素なテーブルに向かい合って座ると、タクミは自分の二の腕を触りながら言った。
「ボクの腕って、こんなに細かったんだな」
「拙者もでござるよ。勇者の身体と比較して、己がいかに鍛錬を怠ってきたか……」
「チビだからさ、何やってもムダだって、自分で決めつけてた気がする。勇者の身体も、この身体と同じくらいのサイズなのにね」
「祖父が言ってござった。先の大戦で、南の島から生きて帰ってきた兵隊さんは、小さい人ばかりだったと。向こうの世界でもそうでござるが、生き残った方が勝ちという状況では、人間はある程度小柄な方が有利なのでありましょうなぁ」
「そうだね。ボクも暗闇に紛れてオークを襲ったことがあったけど、身体が大きかったら、ああは上手くいかなかったと思うよ」
タクミもヒデヨも、この身体でオークと戦った訳ではないが、その経験が身に付いているという実感はあった。
「それにしても」
ヒデヨは大ゲザに腕を組む。
「こちらの世界では時間が経過していなかった、というのは想定外でござったなぁ」
「全くだね」
タクミは両肘をテーブルに付き、顔をヒデヨに近付けた。
「だけど、ここは本当に元の世界なのかな? そっくりの別の世界ということはない?」
「その可能性が全く無いとは言えぬが、これだけの状況証拠が揃うと、元の世界に戻ってきたと考えるのが妥当でござろう」
「ということは、今、向こうの世界は時間が止まっている……」
「左様。我々にとっては、でござるが。向こうからすると、瞬間と瞬間の狭間に我々は存在しているという訳でござろうなあ」
「じゃあ、ボク達が向こうに戻ったら、ガケから飛び降りて地面に落ちた所から始まるんだ」
ヒデヨは何度もうなずく。
「先ほど校庭で経験したことを、もう一度経験するのでござろう」
「じゃあ、慌てて緑膿菌の薬を盗み出す必要はないね」
急患室を出た後、二人は隣にあった調剤室の前を通ったが、入口にはナンバーロック式の鍵があり、中には何人もの薬剤師が働いていた。そして、幾つもの棚一杯に有りとあらゆる薬品が並んでおり、この中から部外者が緑膿菌の薬品を探し出すなど、とても現実的ではなかった。
「そうでござるな。少なくとも、手荒なことをしてまで盗む必要はないかと」
「それに、薬だけ盗んでもダメだよね。注射器も必要だ。人に注射する技術も」
「まさしく」
「ボクね、看護師になろうと思う。この頭じゃ医者は無理だけど、看護師になら頑張ればなれると思うから。向こうの世界へは、万全を整えて行きたい……ヒデヨ君が賛成してくれるなら、だけど」
ヒデヨも両肘をテーブルに付き、タクミに顔を近付けた。
「当然、大賛成でござるよ。それに拙者も、大学で農業か畜産を学びたいと思っていたところ。食料事情さえ改善できれば、ヒトとオークが食ったり食われたりという関係は改善できるのではないかと」
「ゴメンよ、ヒデヨ君。カナリヤさんや赤ちゃんに会いたいだろうに」
「否。拙者はあまりにも未熟ゆえ、妻と釣り合う立派な男になりたいでござるよ。大学教育のチャンスを与えられて、むしろ感謝でござる」
「ボクも! ニベヤさんに相応しい男になりたいんだ」
二人は拳と拳を突き合わした。
「頑張りましょうぞ、タクミ殿」
「うん!」
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