第20話 異世界への道

 次の朝、ザゴがあくびをしながら仕事場に行くと、すでにヒゲの上司は来ており、いかだの始業点検を始めていた。

「はよーござーッス」

「おお、ザゴ、おはよう。昨日はあれからどうだったよ。あのお二人で、殴り合いなんか始めなかったか?」

「勇者様達ッスか。そんなことあったら、この辺メチャクチャッスよ。て言うか、スゴイ仲良かったスよ。抱き合わんばかりッス」

「マジでか? とても信じられん」

「まあ、自分の眼で確かめるッス」

 ザゴの指差す方を見ると、東西の勇者が仲良く肩を並べて歩いて来ていた。

「ああ……本当だな」

 ヒゲの上司は何を期待していたのか、少し残念そうな声だった。

 西の勇者は相変わらず礼儀正しい。二人の前に立つと頭を下げた。

「船長さん、ザコさん、昨日はありがとうございました。本当に助かりました」

「いえいえ、ザゴも私も当然のことをしたまでです。ところで、お二人でどこかへお出かけですかな?」

 東の勇者が口を開いた。

「西の勇者殿の奥方のために、恐ろし山へ薬草を採りに行くでござるよ。船長殿、いかだを出して頂けますかな」

「もちろんです。すぐに準備を終えますんで」

 その時、戦士の詰め所から宿直の戦士が眠そうに出てきた。昨日ニベヤを運んだのとは別の戦士だ。

 勇者に気付くと直立する。

「あ、勇者様! おはようござます!」

「おはようございます、戦士殿。拙者らは薬草採りに行くので、留守を頼みましたぞ」

「ハッ! 了解致しました!」

 ザゴがいかだの上から声をかける。

「勇者様がたー、準備いいッスよー」

 二人を乗せると、いかだはゆっくり対岸に向かって漕ぎ出す。朝の川を渡る風が気持ちいい。

 戦士が手を振って二人を見送ってくれたので、タクミとヒデヨも手を振り返した。

「何というか、千葉浦安にあるテーマパークのいかだのアトラクションのようでありますな」

 ヒデヨの言葉にタクミもうなずく。

「それそれ、ボクもそう思ってたんだよ」

 二人はいかだを降りると、道の無い方へと歩き出した。岩ばかりがどこまでもゴロゴロと転がっている。

 ザゴは、それを見送りながらヒゲの上司に言った。

「オレ、いかだの仕事、キライだったんスよ。毎日同じ所行ったり来たりで。だけど、畑やるのもヤだし、戦士やるほど強くないし、冒険者やる勇気も無い」

「なんだオメエ、自分のことわかってんじゃねえか」

「でもッス。昨日、今日と勇者様から礼を言われて、自分の仕事もちゃんとヒトの役に立ってんだなって。オレ、もっとガンバるッスよ。ね、いかだの船長」

 ヒゲの上司は笑ってうなずいた。

「ああ、そうだな。だけど、いかだ言うな。船長だけでいいから」



「恐ろし山は拙者も始めてでござるよ。標高は五〇〇メートルもないようでござるが、山頂は切り立った崖に囲まれており、オークが登れないので薬草の宝庫になっているとのことでござる」

「オークの巨体じゃ岩登りはね」

 しかし、二人の真の目的は薬草採りではない。それは、別の世界からニベヤを治療できる薬品を持ち帰ることだ。

 この計画をヒデヨから聞いた時、タクミは本当に驚いた。そして、とても不可能だと思った。

「ねえ、ヒデヨ君。例の脳外科医が主役のドラマからの発想だろうけど、あのボクらが校舎から飛び降りた日から、もう二ヶ月だよ。前の身体は火葬されてるさ」

「まあ、拙者の仮説を聞いてくだされ。まず、拙者らがなぜこの世界に飛ばされたか、でござる」

「偶然?」

「……確かにそう言えばそうでござろうが、タクミ殿は飛び降りた瞬間、何を考えてござった?」

「えーと、異世界なんかないだろうなあ、って」

「……なるほど、ほとんど何も考えていなかったという訳でござるな。拙者は考えていたでござるよ、具体的に」

「異世界に行けますように?」

「そのとおり。そして、イメージしていたのはアニメ『異世界で勇者やってみた』の世界観でござった」

 タクミは歩みを止めて大声を出した。

「あー! 生態系の頂点が人類だけじゃなく、オークとミノタウロスがいてイザコザが絶えないっていう……」

「そう。ここには魔法もダンジョンもござらんが、リアルという意味ではイメージ通りの世界でござる」

「つまり、死ぬ直前に強く念じた世界に行けるってこと?」

「仮説でござるが。ただし、物理を越えた力が実在する世界というのは、さすがに存在せんのでしょうな。それとタイミングも必要でござろう。拙者らが死ぬのとほぼ同時に、異世界の誰かも死ぬ必要がある」

「……なんか天文学的な偶然が重ならないと、転生なんてできないんじゃ……」

「しかしでござるよ、パラレルワールドは無数に存在するという説が事実であれば、拙者らの前世と同レベルの医学を有する世界で、拙者らの魂が入り込める死体が転がっている可能性も十分に有るということでござるよ」

「そこで緑膿菌の薬を探し出して盗み、この世界に戻って来る……だけど、戻って来れるのかな。恐ろし山の山頂から飛び降りるわけでしょ、この身体がどうなっているか」

「……一時間。一時間でござろうなあ。心臓が止まって一時間を越えれば、さすがにこの身体も細胞などの破壊が進み、蘇生するのはもはや無理やかもしれぬ」

「逆に一時間なら、ボク達が転生した時の実績があると言えるね。でも、その時だってニベヤさんが諦めずに心臓マッサージしてくれたらしいから」

「お、奇遇でござるな。我が愛妻もでござるよ」

 ヒデヨはどこまでもポジティブのようだ。

 タクミの脳裏に、今朝二人を見送ってくれたカナリヤと赤ん坊の姿が浮かんだ。

「やっぱり、今回はボク一人でやるよ。ボクはニベヤさんが死んだら生きてても仕方ないから一か八かヤル意味はあるけど、ヒデヨ君にはこれから守るべき家族がある。こんな危険、冒しちゃダメだ」

「タクミ殿……」

「それより、落下したボクの身体が、オークやキツネに食われないように見張っててよ。この世界に戻っては来たけど、内蔵が無かったじゃシャレにならないからね」

「まあ、聞いてくだされ。拙者らがこの世界に転生した要因は明らかではござらん。明らかでないなら、なるべく状況をあの時に近付けるしかない。では、拙者らで近付けることが可能な状況には何がござろうか?」

「んーと……高い所から飛び降りること、カランビットナイフを手にすること、それと……」

「拙者らが腕をクロスさせることでござる。心配も遠慮も必要ござらん。前回は、タクミ殿が拙者に付き合ってくれた。今回は、拙者がタクミ殿に付き合う番でござる」

「ヒデヨ君……ありがとう」

 ヒデヨは、前を向いたままニヤリを笑う。

「それでは、ここで段取りを決めるでござるよ。転生に成功しても、お互いが確認できる場所にいなければ、単独で作戦を開始するでござる。一時間が経過したら、作戦の成功、失敗に関わらず、この世界への帰還を試みること。良いでござるか?」

「了解……」

 不安は多過ぎる程あった。運良く前世の日本に行けたとしても、果たして一時間圏内に病院はあるだろうか。あったとしても、薬を盗み出せる状況にはあるだろうか。盗めたとしても、それをこの世界に持ち込むことは可能なのだろうか。

 まして知らない世界へ行ってしまっては、右往左往する間に一時間など瞬く間に過ぎてしまうだろう。その時、一人でどこかから飛び降りて、この世界に戻ってこれるのだろうか。

「それでも行くのでござるよ。緑膿菌の治療薬のある世界へ」

 タクミの表情で、何を考えているかをヒデヨは察した。お互い顔の形は変わっても、そんなことで気持ちが通じないほど二人の絆は弱くない。

 タクミは覚悟を決めてヒデヨの顔を見た。

「わかったよ、ヒデヨ君。今日は最後まで付き合ってくれ」

 ヒデヨは笑って答えた。

「地獄の果てまで付き合うでござる」


 恐ろし山までの道程は順調だった。

 途中で一〇匹程の盗賊団が現れたが、二人の顔を見ると脱兎のごとく逃げて行った。

「アイツら、先日拙者が追い払った、いかだ泥棒と同じ集団でござるな」

 盗賊団の後ろ姿を見ながらヒデヨが言った。

「へえ、アイツらにも学習能力があるんだ」

 今のタクミには、オークの盗賊団のことなど、どうでもよかった。

 山頂が近付くにつれ、坂道は険しくなる。それでも緑は少なく、赤茶けた岩ばかりが転がっている。

「こんな所までオークは根っこを食べに来たんだね」

「植物がほとんど無いということは、そうなのでござろう」

「美味しいのかな」

「ダイコンもゴボウも部位的には根でござるよ」

 やがて山頂を前にした時、以前はこの山も緑豊かな場所であったことを窺わせるものが見えた。垂直に切り立ったガケの上にあるのは、紛れもなく生い茂った森である。

 タクミもヒデヨも、一五メートルはあるガケを、まるでジャングルジムか何かの遊具のようにスルスルと登っていく。

 山頂に到達すると、そこには以前ここを訪れた冒険者たちの痕跡が残っていた。

 焚き火のあと、枝を組んだだけの簡単な屋根。そして、採取したものの、薬草ではないことが判明して放置された枯れ草の山。

 振り返ると、そこに障害物は何もなく、遠く東の村まで見渡すことができた。東の村とオークの領地を隔てる川が、陽の光を反射して輝いている。

「東の村に高い場所があれば、わざわざここまで来なくてもよかったのでござるが。村は平地ばかりですからな」

「ううん、ここに来れてよかったよ。この美しい世界に、何があっても戻ってきたいという気持ちが強くなったから」

 二人は眼を見合わすと、何も言わずにうなずいた。そして同時にカランビットナイフを取り出すと右手に強く握り、その腕をクロスする。

 身体が宙に浮く感覚。空が下に見えた。

 タクミは前世の日本を強くイメージした。

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