第19話 勇者の妻としての生き様
夢の中で、ニベヤは花畑の中を夫と手を繋いで歩いていた。
夫はいつものように優しく、ニベヤは安心してその手にすがることができた。
花畑の中心に、天まで届くような大樹があった。葉の隙間から、陽の光が宝石のようにこぼれ落ちている。
二人は木の下に座り、夫は白く大きな花をニベヤの髪にさした。
ニベヤは多幸感に包まれ、陽の光の中を昇っていくのを感じた。そして、もういつ死んでも悔いはないと思った瞬間に眠りから醒めた。
眼を泣き腫らした夫がベットの横にいた。ニベヤの手を握りしめている。
「勇者様、何をお泣きですか?」
ニベヤの声は弱々しい。
「ニベヤさんがなかなか眼を醒まさないので、心配で泣いていました」
勇者の声は鼻声だった。
ニベヤは勇者を安心させたくて微笑んだ。
「ニベヤは大丈夫でございます。ずいぶん眠ったので少し楽になりました。夜も更けております。勇者様もお疲れですので、どうぞおやすみください」
「うん、そうします。……さっきまで、この村の勇者がいてくれたんですよ。明日も朝からニベヤさんの薬のことで打ち合わせするんです。ニベヤさんは、ボク達が必ず治すから心配しないでくださいね」
「はい」
「それと、この診療所にはスプンさんという看護婦さんがいて、呼んだら来てくれますから」
「はい」
勇者はニベヤに優しく口づけすると、おやすみと言って部屋を出て行った。
ニベヤには、これが夫との最後の別れのように思え、涙が一筋こぼれ落ちた。
「……必ず治せるのなら、眼が腫れるまで泣いたりしませんでしょうに。本当に嘘が下手なお方……」
夫が出て行った扉に向かって語りかける。
自分の死が近いことをニベヤは悟っていた。誰よりも強いのに、人一倍泣き虫な夫を残して逝くことに胸が痛んだが、次の妻となる女性こそ世継ぎができますようにとニベヤは祈った。
☆
籠の中から、息子はヒデヨの顔をジッと見ていた。
この世界にベビーベットなどという洒落た物は無い。赤ん坊は、ある程度大きくなるまで、穀物を保存する籠に毛布などを敷いて寝かせるのが習慣だ。
籠は底が膨らんでいるので、軽く押すとユリカゴのように揺れる。揺れている間、息子は満足そうな顔をしている。揺れが止まると、途端に不機嫌な顔になる。そのまま揺らさないでいると激しく泣き出すことを知っていたので、ヒデヨはその寸前で籠を揺らす。すると息子は、再び満足そうな表情に変わった。
「可愛いでありますなあ……」
ヒデヨが人差指を伸ばすと、息子は小さな手で握った。
転生した途端に父親になったことに躊躇いはあったが、この子が今の肉体の遺伝子を継いでいることに間違いはない。ヒデヨは、世間の父親と同様の愛情を息子に注いでいた。
ローソクの光の横で編み物をしていた妻のカナリヤが声をかけた。
「フフッ、以前はあれほど子供を疎ましがられていらっしゃったのに」
「そうでござるか? 笑っても、泣いても、ウンチしても、プチゲロしても、何をやっても可愛いでござるよ」
カナリヤにとっては、数ヶ月前からは想像もつかない穏やかな生活だ。
夫は村の守護神ともいえる存在だが、気性が荒く、常に怒っているような人物だった。それは生まれて間もない息子に対しても同様で、泣き出すとうるさいと怒鳴った。カナリヤは、真夜中でも泣きやむまで息子を抱いて外に立ち続けるしかなかった。
夫の怒りは激しく、いつか息子を殺してしまうのではないかと思えるほどだった。
ところが今の変わり様は何だろう。息子がグズった時、率先してあやすのは夫である。
二ヶ月ほど前、夫はオークの大襲撃を迎え撃ち、退けはしたが自らも傷ついて死の淵をさ迷った。一時は心臓の鼓動も止まり、誰もが諦めたが奇跡的に回復する。
その時からだ。夫は今のような妙な言葉使いをするようになり、別人のように温厚な性格になった。
しかし、弱くなったかというと、それも全くない。先日も、いかだを強奪しようとした一〇匹余りのオークの盗賊団を、夫はほとんど一人で撃退している。
かと思うと、飢えた子オークが村から食料を盗もうと川を泳いで食肉魚に襲われた時、それを助けたばかりか食料まで与え、「もうヒトの村には近付くなよ」とだけ言って逃がしたりもした。
カナリヤには一つの仮説があった。戦士の目撃談によると、オークの大襲撃の際に夫が力尽きたかに見えた時、天から落ちた雷は二つに裂かれ、一つは西へ飛んでいき、一つは夫に落ちたという。
その雷とは、神そのものだったのではないか。ヒトを哀れに思った神が、我が身を二つに裂いて東西の勇者に宿ったのではないか。
カナリヤは、息子が寝ている籠を飽きもせず揺らし続ける夫を見ながら、そんなことを考えた。
息子の丸い眼が少しずつ細くなっていき、やがて閉じられると寝息が聞こえてきた。
「……眠ったでござるよ」
夫はカナリヤを振り向いて小声で言った。その眼はイタズラをする前の子供と同じ眼だ。
夫がその眼をした時、何を求めているかをカナリヤは知っている。カナリヤは編み物をテーブルの上に置くと、夫の手を引いてベットへ向かう。
子供まで作らせているのに、夫はまるで女を知ったばかりかのようにカナリヤの身体を求めた。その不器用で少し荒々しい愛撫に、むしろ感じてしまう。
それからの長い時間、まるで今生の別れかのように、夫はカナリヤの身体を何度も何度も揺さぶった。
「アアッ! ……また……またイキました。イッたばかりですので、少しご勘弁を……」
「いや、まだまだ。まだまだですぞ!」
驚異的なスタミナの夫がようやく満足して身体を離した時、カナリヤは嵐のように吹き荒れた快楽に意識が朦朧としていた。
夫は優しくカナリヤを抱き締める。カナリヤも、夫の厚い胸に頬を預けた。
「明日でござるが……」
夫が唐突に話始める。
「朝から西の勇者と、恐ろしの山へ薬草を探しに行くでござるよ」
「西の勇者様の奥様のためですね。奥様は大丈夫なのですか?」
「先生のお話では、あまり猶予は無さそうでござる」
「それは大変です……お帰りは遅いのですか?」
「恐らく。場合によっては二、三日。でも、心配はござらんよ」
恐ろしの山はオークの領土内にある山だが、最強の勇者が二人連れだって行くのだ。カナリヤも心配はしていない。
それよりも、神も身を二つに裂いたのでは、簡単に奇跡は起こせないのかとカナリヤは思った。
そんなことを考えていると、夫は小さなイビキをかき始めた。カナリヤも、夫が呼吸する度に上下する胸に身を委ねていると、いつしか深い眠りへと入っていった。
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