第15話 怒りの刃

 タクミが岩山の中腹まで来たとき、その場所から湿地を渡る盗賊たちの姿が見えた。

 縦一列で慎重に進んでおり、足を取られたら最後、命を確実に奪うであろう泥の深みがいたる所にあるのがわかる。所々に浮いている白骨は、その犠牲者だろう。

 オークに担がれているニベヤとケンギョの姿も見えた。この状況では迂闊に手は出せない。

 タクミはしばらく様子を窺うことにした。

 湿地を渡りきると三方を崖に囲まれた高台があり、そこがアジトになっているようだ。

 ――あの沼を渡るのは危険だな。暗くなるのを待って、崖から降りるしかないか。

 幸い、オークは今すぐ二人に危害を加える気はないらしい。手足を縄で縛っている。

 意外と几帳面なのか、別のオークは茶碗のような物を桶に溜めてある水で洗っている。高台の中央は焚き火のあとで黒くなっており、そこで再び火を燃やし始める。

 それから、小屋の奥から大きな樽を運んできた。三匹のオークは樽の周りでアグラをかく。樽の中は酒だと思われるが、オークは直接それを茶碗ですくうと、まるで水のようにガブガブと飲んだ。そして、タクミ達から奪ったオオカミの肉に一斉に食らいつく。

 陽が沈みかけていた。

 タクミは、崖の上を目指して移動を開始した。



 辺りが暗くなるとタクミは崖を降り始めたが、焚き火の灯りが予想以上に明るい。一匹でも上を向けば確実に見つかる状況だったが、オーク達はバカ話で盛り上がり、崖を見上げる者はいなかった。

 タクミは、勇者特有の優れた身体能力で高い崖を音も立てずに降り切り、小屋の中にあった別の酒樽の裏に隠れた。

 さてどうしたものか、とタクミは考える。酒でベロベロの三匹を殺すのは容易だろう。しかし、帰りをどうするかだ。

 崖をよじ登るのは、ケンギョはともかくニベヤには無理だろう。タクミが背負って登るにしても、しがみついているニベヤの腕力が持たない可能性がある。

 沼を渡るのはもっと危険だ。長年この地に住み慣れていなければ、どこに底無しがあるかわからない。

 だが、水先案内がいればどうだろう?

 タクミは、二匹を死なない程度にボコり、残った一匹に水先をさせる作戦を立てる。この『死なない程度』というのが難しいように思えた。

 タクミは炎の灯りを避け、ゴキブリのように地を這って一匹の真後ろに近付く。オオカミも食い終わり、このオークはケンギョを食いたくて堪らないようだ。

 オークが立ち上がった瞬間を狙って、タクミはアキレス腱を目がけてナイフを一文字に走らせた。確かな手応えがあったが、オークは痛がる様子もない。前回の戦いでも思ったことだが、オークは総じて痛みに鈍感なのだろう。

 そんなことを考えながら、タクミは倒れていくオークを見ていた。それから、素早く別のオークの陰に入る。

 別のオークは、倒れたオークの出血を見て慌てている。その状態でアキレス腱を切ると、そのオークも重心がかかった前方へと倒れていった。

 タクミは、三匹目のオークから見えないように焚き火の反対側に身を伏せた。タクミの存在に確信が持てたケンギョは、強気になって三匹目のオークを脅している。すっかり腰砕けになったオークとの会話がおかしくて、タクミは必死に笑いをこらえた。

「頼むよ、勇者の仲間なんだろ。オレ達に悪気は無かった。腹が減ってしかた無かったんだ。頼むから出てくるように言ってくれよ」

「何が悪気は無いだ。オレを食って、ニベヤ様を犯しまくるって言ってたじゃないか」

「いや、だから誤解なんだって」

「勇者様、こう言ってますが、どうしますか?」

 ケンギョに呼ばれたからには出て行くしかあるまい。しかし、ニヤニヤしながら登場するのもヘンだろう。タクミは前世における仁王像を思い出し、顔マネをしながら立ち上がった。

 それは、下から照らす炎の効果もあって、まさの魔王と呼ぶに相応しい恐ろしさだった。

 三匹目のオークは、自分の身の丈の半分ほどしかないタクミにビビリ上がり、腰を抜かして失禁してしまった。

 タクミは、焚き火を必要以上に高くジャンプしてオークの前に降り立つ。

 そして尋ねた。

「ハムかベーコンか?」

「へ?」

「ハムになりたいか、ベーコンになりたいか、それを聞いている」

「あの、意味が……」

「ああ、言葉の意味がわからないか。あのな、塩漬けした肉を薫製にしたものがベーコン、その後にスチーム加工した物がハム。せめてもの情けに、どちらか好きな方にして食ってやる」

 タクミは、大げさに唇のまわりを舌でベロリと舐めた

 三匹目のオークは、大粒の涙をこぼしながら許しを乞う。

「そんな、食べることを前提にそんなことを言われても。どっちもイヤです。カンベンしてください」

「あきれた、よくもヌケヌケと……」

 タクミは、腰を抜かしたまま怯えるオークの真横をわざと通ってニベヤとケンギョの所へ行き、ナイフで手足を縛っている縄を切った。

 タクミは笑顔でニベヤを立たせる。

「お待たせ、ニベヤさん」

「ちっとも。冒険には、これくらいのスパイスがないと。でしょ?」

「フフッ、そうですね。ケンギョさんも大丈夫ですか?」

「ええ。もうすぐ食われるところでしたけど」

 タクミは、腰を抜かして座り込んだままのオークに向かって言った。

「おい、オマエ」

「ヘイ!」

「そこで死んだフリをしている二匹を隅に連れて行け。目障りだ」

「ヘイ!」

 三匹目のオークは仲間のところへ這って行き、ゴロゴロと転がして隅へ移動させる。仲間の二匹は、そんな状況になっても死んだフリをやめない。

 タクミは再びオークに声をかけた。

「おい、オマエ」

「ヘイ!」

「なんか食い物はないのか?」

「トウモロコシと芋なら少し」

「持ってこい」

「ヘイ!」

 オークはようやく立ち上がり、大きなカゴ一杯のトウモロコシと芋を持って来た。オークには少量だろうが、ヒトにとっては大量だ。

「ニベヤさん、これで何か作くれる?」

「ここだと、茹でるくらいしかできませんが」

「十分です。おい、オマエ。塩くらいあるだろ。持って来い」

「ヘイ!」

 ケンギョは、勇者とオークのやり取りを面白く見ていた。



 食事の後、歩けない二匹のオークの傷口を、タクミは興味深く観察した。

 腱は見事に切れているが、出血はもう止まっている。オークの生命力は大したものだとタクミは思った。

「あのう、勇者様……」

 死んだフリをやめた黒い短パンのオークが、借りてきたネコのようにしおらしくタクミに話かける。

「何だ?」

「あの、実は手前ども、できればベーコンにもハムにもなりたくありませんで……」

「で?」

「何とかご勘弁頂けないものかと」

「ああ、そうだな。ベーコンもハムもやめだ。代わりにケバブにする」

「ケバブ? でございますか?」

「そう、美味いぞ。串に刺したデッカイ肉の塊を、回転させながら炙るのさ。それをナイフで薄く削いでパンに挟んだら最高なんだ」

 タクミは、前世で公園に来ていたキッチンカーで食べたケバブサンドを思い出して微笑む。しかし、三匹のオークには、その笑顔がこの上なく恐ろしいものに見えた。

 緑の短パンのオークが、恐怖で歯をガチガチと鳴らした。

「肉を少しずつ削ぎながら、ジワジワと殺す気ですね。何て恐ろしい……」

 タクミは、オーク達の身勝手な言い分にあきれる。

「ケンギョさんを生きたまま食うのが美味いとか言って、手足を千切ろうとしてたヤツ等が何言ってんだか」

 そう言って立ち上がると、座っているオークと視線はほぼ同じだ。

「じゃあ、もう寝るから。寝床は借りるぞ。オマエらはバカだから、そこでも風邪はひかんだろ」

 青の短パンのオークが不思議そうに尋ねる。

「これから寝るって、オレらを縄で縛ったりしないんですか? オレなんかはケガもしていませんぜ」

 タクミは鼻で笑う。

「フン、オマエらが何匹いても、ボクの相手にはならんよ。試しにボクが寝入ったら襲ってみればいい。その瞬間、オマエの頭と胴体は離ればなれさ」

 三匹のオークは、青ざめて首を横に振る。青短パンのオークは言った。

「そんなことしませんって。それと勇者様、もう一ついいですか?」

「なんだ?」

「パンツ履き替えていいですか? さっき漏らしたションベンが気持ち悪くて」

「勝手にしろ」



 オークの寝床だけあって、大きくて快適だった。

 先ほどまであれだけ怯えていたオークのイビキの大合唱が聞こえてくる。

 タクミは両耳を押さえた。

 ケンギョはよほど疲れていたのだろう。こんな騒音の中で寝息を立てている。

「勇者様……」

 ニベヤがタクミの横に潜り込んできた。

「ニベヤはもう、勇者様の腕枕なしでは眠れません」

 タクミはニベヤを抱きしめる。

「いいですよ。一緒に寝ましょう」

 すると、オークのイビキもあまり気にならなくなり、タクミも眠りに落ちた。



 次の朝、タクミの一日は青短パンのオークを蹴り飛ばすことから始まっった。

「おい、起きろ。ボク達は帰るから、沼を水先案内するんだ」

 青短パンはムクリと上体を起こし、寝ぼけながら言った。

「勇者様、オレは美味しくありません。食うんなら、緑のパンツのコイツか黒のパンツを……」

「きちんと案内できたら食わないでやるよ。その代わり、トウモロコシと芋はもらっていくからな」

 立ち上がれない黒短パンと緑短パンは、手振りを加えてこう言った。

「どうぞどうぞ、そんな物でよければいくらでも」

 カゴ一杯のトウモロコシと芋を青短パンに渡す。

「オマエはコレを持て。ケンギョさんはニベヤさんを背負って頂けますか。ボクは、コイツが怪しい素振りを見せたら、すぐに首を切り落とさないといけないので」

 タクミはそう言いながら、カランビットナイフのリングを人差し指に引っかけて、高速でクルクルと回した。青短パンは、泣きそうに顔を歪める。

「カンベンしてくださいよ。またチビッちゃうでしょ」

 黒短パンと緑短パンに見送られ、タクミ達は湿地帯へと踏み出した。

 先頭をカゴを持った青短パン、その後をタクミ、最後にニベヤを背負ったケンギョが続いた。

「オレの通った後を正確に付いて来てくださいよ。一歩でも足を踏み外したらお陀仏ですから。あ、そこ、右側は深みなんで気を付けて」

 青短パンは点数稼ぎに勤しむ。確かに藻が多く、水中の微生物のせいで水が黒っぽいため、上から見下ろしても深みの場所はわからない。

 しかし、沼を知り尽くした青短パンのおかげで、三人は無事に渡り切れた。

 陸に上がると、ニベヤはケンギョの背中から降りた。

「ありがとうございます、ケンギョさん。重かったでしょ?」

「いえいえ、小鳥みたいなものですよ」

 タクミは青短パンからカゴを受け取る。

「オマエもありがとう、助かったよ。お礼に、ケバブになってボクに食われる名誉を授けよう」

「ヒイー! そんな殺生な」

「あれ、不満か?」

「不満とか、そんなものではありません」

「まあいいや、ケバブはやめといてやる。その代わり、二度とヒトは襲うなよ。約束できるか?」

「もちろんス。二度とヒトは襲いません」

「ヒトを襲えば、またボクが来る。その時は踵じゃなく、オマエらの首を切っることになるからな」

 そう言ってタクミはニヤッと笑った。その笑顔を見た青短パンの股間にシミが広がる。

「ヒッ! ああ、またチビッてしまった……」

 そう言うと、逃げるように沼へと戻って行った。

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