第12話 ミノタウロスとの遭遇
次の日の朝、タクミが目覚めてシュラフから這いだすと、ケンギョは既に一仕事終え、次の仕事に取りかかったところだった。
「あ、勇者様。おはようございます」
ケンギョは手を止めずに挨拶する。
「おはようございます。あの、何やってるんですか?」
「昨晩、勇者様が仕留めたオオカミですよ。皮を剥いだので、裏に塩を擦り込んでいます。ホントは脂取りまでやった方がいいんですけどね、私も素人なんで。今が雨期でなくて良かった。こうしておけば、東の村まで腐らずに保ちますから」
「東の村で何かするんですか?」
「特大のオオカミですから、仕立屋に持って行けば勇者様に相応しい立派なガウンができますよ。もちろん、売っても高く売れます」
タクミは、自分が殺した動物の毛皮を着ることに恐怖を感じた。そういえば前世では、セレブな連中が高級な毛皮のコートを自慢気に着ていたが、屠殺の現場を見てもそんな気分になれただろうか?
「売りましょう。この旅でお金に代えて分けられる物は、四人の共有財産です」
「勇者様……何て心の広い」
ケンギョは感心して、しきりに頷いている。
獲物はトドメをさした者が権利を持つというこの世界のルールを思い出したが、タクミにとっては疎ましいだけだ。
「いや、ボクでは皮も剥げないし、塩漬けもできませんから」
「勇者様がいらっしゃらなければ、私たちは今頃コイツの腹の中ですけどね。だけど、これで食糧の心配は当分ありませんよ。まさかここで肉が手に入るとは、これから先は芋と豆だけと覚悟していましたから」
「肉? オオカミのですか?」
「ええ、もちろん」
オークの肉を食べる世界である。オオカミぐらい食べるだろう。
「……すみません、オオカミを食べたときの記憶が無くて。どんな味です?」
「美味いですよ。そうですね、ちょっと固めの鶏肉って感じですか。今朝はそれを食って出発しましょう。朝から豪勢だなあ」
釜戸の方を見ると、その一つに木の枝で組んだ囲いがしてあり、隙間から煙が洩れている。
タクミが薪をくべているショクジョの後から中を覗き込むと、上の方に肉片が吊してあり、立ち昇る煙に巻かれていた。
「これは……」
タクミが言いかけると、ショクジョが振り返った。
「おはようございます、勇者様。これはですね、オオカミの肉を薫製にしているんです。これで一週間くらい腐りません」
「なるほど……薫製ってのは味や香りのためだけじゃなく、元々は保存のためだったんだな」
タクミが一人で納得していると、ニベヤが皿を運んできた。皿の上には、焼きたてのジャガイモと肉が乗っている。
「さあ、お肉が焼けましたよ」
ニベヤの言葉に、ケンギョとショクジョが子犬のように寄ってきた。皿を受け取ると、これまた子犬のように肉に噛みつく。
「うーん、美味しい! やっぱり、新鮮なお肉は美味しいね」
ショクジョの言葉にケンギョが応える。
「まったくだな。だけど、ニベヤ様が料理上手だからでもあるぞ。この旅の間にショクジョもニベヤ様から料理を習って、上手になったてくれたら嬉しいよ」
「うん。ボク、がんばるから」
ニベヤは笑った。
「フフッ、ショクジョちゃんったら、ホントの女の子より女らしいわ」
そして、フォークを持ったままフリーズしているタクミに声をかけた。
「勇者様、お口に合いませんか?」
タクミは我に返る。
「いや、そんなこと……ただ、昨日のオオカミの姿を思い出して……」
ニベヤは、最近の勇者が驚くほど繊細なのを知っていた。先日もオークを殺した時に嘔吐していたが、あれも生き物の命を奪ったことへの罪悪感や嫌悪感によるものであることを見抜いていた。
今、勇者の脳裏にあるのは、気道を切り裂かれて呼吸する度に血飛沫を上げるオオカミの姿なのだろう。
ニベヤは勇者に語りかけた。
「勇者様、今は私たちの命を繋いでくれるものに感謝して食べましょう。それが、自然のことわりです」
勇者は笑顔を見せた。
「ニベヤさんは何でもお見通しですね。そうですね、それが弔いでもあるのでしょう」
そして勇者はオオカミの肉を一口食べた。
「うん、美味いや」
ニベヤは、勇者の横顔を眼を細めて見ていた。
前世ではほとんど意識しなかったが、水はとても重い。瓶に入れるとなおさら重い。
タクミは水が一杯に入った瓶を荷馬車に積みながら、前世の自分の筋力ではとても運べなかったと思う。
ケンギョは穴を掘り、オオカミの骨や内蔵を埋めた。そして、他の野生動物が掘り返さないように上に石を乗せる。
ショクジョは石の上にタンポポに似た花を一輪置くと両膝をつき、胸の前で指を組んで祈りを捧げた。
――土へと還り、草木の糧となりますように……。
ニベヤは板敷きの上の砂や小石を払った。いずれ次のキャラバンがここを利用するだろう。その者達も無事な旅となるようにとニベアは願った。
森を抜けると荒野が広がる。
幾隊ものキャラバンが通った後が踏み固められ、道となって延びていた。
ケンギョは先頭を歩き、大きな石があったら横に退ける。当然だが荷馬車はゴムのタイヤではなく、木製の車輪だ。石を踏んだだけで、その衝撃は大きい。荷馬車は車輪が壊れただけで、いや、歪んだだけで使い物にならなくなる。
修理は村でプロに頼む必要があるし、お金もかかる。素人に車輪の修理は無理な芸当だった。それだけに、ケンギョは注意深く前へ進んだ。
ショクジョとニベヤが時々荷台の後に座るので、タクミも試しに乗ってみたが、突き上げが酷くてとても長時間は耐えられない。ガマンしていると、車酔いになった。
「勇者様ったら、平坦な道が続くのを確認して乗らないとダメですよ」
青い顔のタクミに、ショクジョが笑いながら声をかけた。タクミは前世のサスペンションと舗装道路を、今更ながらスゴイ発明だと感心した。
途中から、道は牧草地と荒地の境界線上へと繋がる。キャラバンが踏み固めたことで、境界線はより一層クッキリとしたものになっていた。
「ここから、右の牧草地がミノタウロスの領地、左の荒地がオークの領地になります」
ケンギョの言葉に、タクミは緑が美しい牧草地を見渡す。
「見える範囲には何もいませんね」
「そうですね。ミノタウロスは通常一頭のオスと一〇頭程度のメスで家族を作り、それに子供が加わるのですが、それだけのミノタウロスが草だけを食べて生きるのですから、広い縄張りが必要です。今は別の場所にいるのでしょう」
タクミは反対側の荒地を見た。
「オークもいません」
「オークはどちらかというと沼地や湿地帯を好みます。この辺りはヤツらが根まで食いつくして荒地になったので、今はもっと北の方に集落を作っていますから。だけど気を付けないと、たまにキャラバンを狙って待ち伏せしていますから」
ゆるやかね丘を登り、下りに差し掛かった所で、ケンギョはタクミを肩を叩いて遠く前方を指さした。
巨大な岩かと思えば、モゾモゾと動いている。
「ミノタウロスですか?」
「そうです。まだ群を持てない、若いオスのようですね」
「このまま前進して大丈夫ですか?」
「奴らは、この道を進むぶんには関心を示しません。多少、緑地に入っても大丈夫です。ヒトが草を食べないのをよく知っているんですよ。まあ、機嫌が悪いと、あのツノで突き飛ばされてしまいますけど」
近付くにつれ、ミノタウロスの様子がはっきりと見えてきた。
草原にアグラをかき、片手で草をチギっては口に運んでいる。もぐもぐと動き続ける口は、まさに前世における牛のソレだ。
古代ギリシャ風の布を巻き付けたような衣を着ており、右肩の巨大な筋肉が露出している。
ミノタウロスの実物を初めて見たニベヤとショクジョは怯え、荷場所の上に登って小さくなった。
「温厚ですが、眼は合わせないほうがいいです」
ケンギョが注意をうながす。
「もちろんです」
タクミだって早く通り過ぎたい。
ところがミミが、よりによってミノタウロスの真横で脚を止め、草を食べ始めた。十メートルも離れていない。
タクミは慌ててミミを引っ張る。
「ミミちゃん、ゴハンは後だ。お願いだから歩いて」
ショクジョも荷馬車の上から半ベソでミミのお尻を叩く。
「ほらミミちゃん、動いてよ。怖いよ」
ミノタウロスはこちらを見ているようだが、攻撃を仕掛けてくる気配は無い。タクミは思わずミノタウロスの方を見てしまい、眼が合ってしまう。
――しまった!
恐怖でタクミの睾丸がキューと収縮する。反射的に腰のカランビットナイフに手が伸びた。
タクミとミノタウロスはしばらく見合っていたが、やがてミノタウロスは立ち上がり、数十メートル先へ地響きを立てながら歩いて行くと、再び座って草を食べ始めた。
それを見たケンギョは感服した面持ちだ。
「いやぁ、さすが勇者様だ」
ホッとした勇者だったが、ケンギョが何に感心しているのかわからない。
「何がですか?」
「ミノタウロスは戦いを好まないので、勝てないと思った相手には距離を取ります。今の行動がそれですよ」
「そうですかあ?」
弱そうなので相手にしなかっただけではないか。萎縮したままの睾丸をさりげなく揉みほぐしながらタクミはそう思う。
ミミはようやく満足したのか、再び歩きだした。
一行は安堵の息を吐く。
「ミノタウロスは馬やロバを敵視しないと聞いていましたが、本当でした。不思議ですね」
ケンギョの言葉に、タクミは前世で観光牧場に行った時のことを思い浮かべる。たしかに牛と馬は、互いに警戒することもなく仲良く草を食べていた。
ミミとミノタウロスもあれに近い関係なのだろうとタクミは思った。
道は地平線まで続き、荷馬車はゴトゴトと単調な音を立てて進んだ。
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